【大須賀氏について】
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●大須賀惣領家想像系図
千葉介常胤──大須賀胤信──通信──────胤氏────朝氏───+─宗胤
(千葉介) (四郎) (太郎左衛門尉)(左衛門尉)(左衛門尉)|(太郎)
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+─時朝──────宗朝──+
(次郎左衛門尉)(下総守)|
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+───────────────────────────────────────────────+
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+─宗時 +─宗正───憲康────常康────朝宗────常正────政常────政朝───政氏
|(下総次郎) |(左馬助)(左馬助) (左馬助) (左馬助) (尾張守) (尾張守) (尾張守)(弥六郎)
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+─宗信───憲宗──+─宗幸───朝信────直朝────朝胤────朝宗────胤朝
(越後守)(左馬助) (越後守)(左衛門尉)(左衛門尉)(安芸守) (安芸守) (伊豆守)
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| 伝大須賀氏墓所(松子城南の宝応寺内) |
大須賀家13代当主。父は大須賀左馬助宗正(『寶應寺大須賀系図』)。官途は左馬助(『宝応寺過去帳』『寶應寺大須賀系図』)。
康正元(1455)年、下総国において千葉大介胤直と原越後守胤房・千葉陸奥守入道常義が合戦を起こしていることを聞いた将軍・義政は、千葉一族の東左近将監常縁に鎮定を命じ、常縁は浜式部少輔春利(土岐一族)を副将として下総国へ下向。下総国香取郡東庄の東大社へ参詣して戦勝を祈願した。
●常縁の歌
献歌を終えた常縁は「国分五郎、大須賀相馬」ら下総の千葉一族と合力して、原胤房の本拠である千田庄に馳せ向かい、11月13日、千田庄内で原一族の「原左衛門朗珍」「原右京亮朗峯」を討ち取った。このとき常縁に味方したという「大須賀相馬」は、「大須賀・相馬」と、独立した二氏と捉えられる向きもあるが、「相馬」はしばしば「左馬(サウマ)」と同意に用いられることや、「国分五郎」という通称名を用いた呼び方との並びから考えて、「大須賀左馬」とすべきだろう。
これ以降、大須賀氏の活動は文書中からしばらく見られなくなる。
■大須賀家想像略系図■
大須賀朝氏─+─宗胤
(左衛門尉) |(太郎)
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+─時朝──────宗朝──+─宗時 +─宗正───憲康────常康
(次郎左衛門尉)(下総守)|(下総次郎) |(左馬助)(左馬助) (左馬助)
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+─宗信───憲宗──+─宗幸───朝信────直朝
(越後守)(左馬助) (越後守)(左衛門尉)(左衛門尉)
| 書名 | 生年 | 没年 | 通称 | 法名 |
| 『宝応寺過去帳』 | 天文8(1539)年 | 左馬助 | 寛祥院殿 月峯道三大居士 | |
| 『寶應寺大須賀系図』 | ||||
| 『大須賀家蔵系図』 |