【大須賀氏について】
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●大須賀惣領家想像系図
千葉介常胤──大須賀胤信──通信──────胤氏────朝氏───+─宗胤
(千葉介) (四郎) (太郎左衛門尉)(左衛門尉)(左衛門尉)|(太郎)
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+─時朝──────宗朝──+
(次郎左衛門尉)(下総守)|
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+───────────────────────────────────────────────+
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+─宗時 +─宗正───憲康────常康────朝宗────常正────政常────政朝───政氏
|(下総次郎) |(左馬助)(左馬助) (左馬助) (左馬助) (尾張守) (尾張守) (尾張守)(弥六郎)
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+─宗信───憲宗──+─宗幸───朝信────直朝────朝胤────朝宗────胤朝
(越後守)(左馬助) (越後守)(左衛門尉)(左衛門尉)(安芸守) (安芸守) (伊豆守)
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四代・大須賀左衛門尉朝氏の嫡男。通称は太郎。
比較的古い『神代本千葉系図』『徳嶋本千葉系図』には朝氏の長男「太郎宗胤」の名があり、彼は将軍・宗尊親王より偏諱を受けて宗胤を称したと思われる。
建長4(1252)年8月1日、宗尊親王が征夷大将軍の任を受けた御礼として鶴岡八幡宮へ参詣したが、このときの供奉人の中に「大須賀左衛門太郎」の名が見えるが、この「左衛門太郎」が宗胤であると推測される。しかしこの後、宗胤に関する記述は無く、亡くなってしまったと思われる。