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東時常(????-????)

 郡上東氏二代。初代・東六郎左衛門尉行氏の子。通称は六郎。官途は左衛門尉中務丞。号は素阿弥。諱の「時常」執権北条時宗からの偏諱と思われる。

 彼もまた歌人としての才能を花開かせ、素阿弥と号した歌人であった。歌は勅撰和歌集『続千載和歌集』などに四首掲載されている。

 捨てはてん 後こそ人に世のうさを いはでいとひし身ともしられめ  平時常(『続千載和歌集』)

 具体的な活動は『吾妻鏡』以降となるため見ることはできないが、正安3(1301)年正月の紀伊国薬勝寺の修築の沙汰人として、六波羅探題より「在京人東六郎左衛門入道周防三郎左衛門尉」が命じられている(『紀伊国薬勝寺沙汰次第注文』)。父・胤行が承久の乱の恩賞で得た美濃国郡上郡山田庄の地頭職を継承することによって西国御家人と扱われ、在京人として六波羅探題に伺候する立場になったと思われる。

 正和元(1312)年4月3日、越前国大野郷で戦死したとも、正和3(1314)年11月21日、62歳で亡くなったともいわれている。法名は志禅院眞舜常仙

 時常と親交のあった叔父・東氏村は時常の死を知り、彼と交わしていた手紙に経を書いて歌を送った。おそらく京都であろう。歌は『続千載和歌集』「十九哀傷」に載せられている。

  平時常みまかりて後、常にかきかわしける文のうちに経を書きて、人の許よりおくられければ
  心だに 通わば苔の下にても さぞな哀れと みずくきの跡  氏村(『続千載和歌集』)

 正和6(1317)年1月7日、「平宗常」という人物が「山田庄内馬庭郷内為真名」「平金熊女」に譲り渡したことが正和6(1317)年正月7日『平宗常譲状并安堵外題』に記され、嘉暦3(1328)年12月10日、執権・北条守時によって安堵されている。宗常が譲り渡している所領は東氏の所領・山田庄であることから東一族である可能性が高い。また「宗」字が北条時宗よりの偏諱を受けているとすれば、彼は御内人であったのかもしれない。

正和6(1317)年正月7日『平宗常譲状并安堵外題』(『青蓮院旧蔵文書』:『岐阜県史』中世編4所収)

 (外題)「任此状可令領掌之由、依仰下知如件、
      嘉暦三年十二月十日 相模守 (花押)

   譲渡  所領事
        平金熊女所
    美濃国山田庄馬庭郷内為真名
     但若無実子者、宗常子孫中仁、何にても随有志可譲与也、

   右、所譲与之状如件

     正和六年正月七日   平宗常(花押)

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