東氏
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東行氏(1228?-1300?)

 郡上東氏初代。三代惣領家東中務丞胤行の二男。母は二条大納言為家女と伝わるが疑問が大きい。前名は胤重(『松蘿館本千葉系図』)。通称は六郎。官途は左衛門尉下野守中務丞。法名は素道

 宝治2(1248)年正月3日の将軍の御行始の供奉人に「東中務少輔」が見え、さらに建長2(1250)年8月18日、将軍・藤原頼嗣が由比ガ浜にて犬追物を催した際に供奉の後列に「東中務少輔」の名が見える。さらに建長4(1252)年4月14日に宗尊親王の鶴岡八幡宮初社参の隨兵、4月17日の御所御鞠始めの儀、7月23日の将軍家御方違えの供奉、9月25日の将軍家方違えの供奉人に「東中務少輔胤重」がみえるが、行氏の前名か(『松蘿館本千葉系図』)

 行氏の長兄・東図書助泰行は下総国東庄の惣領となり、子孫は東氏惣領家として代々森山城主として続くことになる。泰行は頼経・頼嗣・宗尊親王に仕え、出家の後は「行暹」と号した。行氏の次兄・東四郎義行は頼嗣・宗尊親王に仕えたという。

 行氏六郎左衛門尉を称し、父・胤行が承久の乱の恩賞として賜った美濃国郡上郡山田庄に下向したといわれる。その下向時期についてはいくつか伝承があるが、承久年間(1221-23)とされる。行氏胤行から譲られた、もしくは代官的な立場で郡上郡山田庄に移ったと思われる。山田庄はもともと鳥羽上皇の皇女・上西門院統子内親王(後白河天皇の准母とされた。行氏の曾祖父・胤頼が仕えていた)の御領で、宣陽門院覲子内親王(後白河法皇皇女)に譲られていたという(1)

 行氏は美濃に移ると、千葉庄金剛授寺(現千葉市院内の千葉神社)の「妙見菩薩」を当地に勧進したという。伝に拠れば、妙見は東一族の遠藤氏・野田氏をはじめ、宿老の埴生太郎左衛門高師粟飯原文次郎常定土松彦太郎・日置氏・尾藤氏・滝日氏・和田氏・餌取氏・石神氏・井股氏・土屋氏・村上氏・河合氏・市村氏・増田氏らが供奉して、神廟を造営したという。妙見社は埴生高師が祭主となり、その後は代々埴生氏が神職を継いでいる。永禄5(1562)年4月14日、行氏の子孫・遠藤六郎左衛門尉盛数が織田信長へ謁見したとき、妙見社禰宜・埴生太郎左衛門を同行している。その後、太郎左衛門は盛数の弟・遠藤太郎兵衛に禰宜職を譲ったという。太郎兵衛は後に粟飯原太郎兵衛と称して大禰宜職を継ぎ、代々粟飯原家が禰宜職を継いで現在にいたっている。

 『六条八幡宮造営用途注文』(『北区史』資料編 古代中世1第二編)によれば、建治元(1275)年5月、京都六条八幡宮の新宮用途のために二十五貫を負担している「東兵衛入道跡」が見える。重胤入道の跡であるため、行氏も所役の一端を受け持っている。

 弘安7(1284)年12月9日、新日吉の小五月会で七番の流鏑馬が行われた。その五番手を「東六郎左衛門尉平行氏法師」が務め、射手として「遠藤左衛門三郎盛氏」が務めている。この遠藤盛氏は東行氏入道素道の郎党であり、代々東家に仕え、江戸時代の郡上藩主・遠藤家の祖となった人物と考えられる。

●弘安7(1284)年12月9日新日吉小五月会流鏑馬交名(『勘仲記』増補史料大成所収)

    射手 的立
一番 武蔵守平時村 伊賀右衛門六郎藤原光綱 福田寺太郎兵衛尉藤原行實
二番 備後民部大夫三善政康 牧右衛門四郎藤原政能  
三番 葛西三郎平宗清 富澤三郎平秀行  
四番 肥後民部大夫平行定法師 法名寂圓 宮地彦四郎清原行房  
五番 東六郎左衛門尉平行氏法師 法名素道 遠藤左衛門三郎盛氏  
六番 頓宮肥後守藤原盛氏法師 法名道観 奥野二郎太郎源景忠  
七番 後藤筑後前司基頼法師 法名寂基 舎弟 壱岐十郎基長  

 正安2(1300)年10月2日、73歳(78歳とも)で亡くなったという。法名は眞光院道瑜常雅

 行氏も父・素暹と同様に歌人として名を残し、『続拾遺和歌集』『続千載和歌集』『続後拾遺和歌集』『新千載集』『新拾遺和歌集』の5つの勅撰和歌集に撰ばれている。また、行氏の妹・中務丞胤行女も歌人で『続拾遺集』に撰ばれている。権大納言藤原為家はこの娘のために、嵯峨小倉山荘で百首を書き写して与えたという。胤行女は正中2(1325)年6月11日に亡くなった。

 ちぎりしは 末もとほらぬ忘れ水 たのむやあさき心なるらん 素道法師(『続拾遺和歌集』)
 恋しぬと いひてもへぬる年月の 命や人にうたがはるらん 中務丞胤行女(『新続古今和歌集』)

【参考文献

(1)『岐阜県史 中世』岐阜県史編纂委員会


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