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!平成13年9月25日火曜日更新!
千葉介 | 両総平氏の一族で千葉氏の宗家。平安時代末期に下総国千葉庄(千葉県千葉市)に発生し、室町時代末期までの約400年間、下総国の大々名として栄えた。 |
奥州千葉氏 | おそらく鎌倉時代初期~中期に千葉宗家から分かれたと思われる一族。奥州の千葉氏領に下った一族が土着して豪族化したと思われる。中世は葛西氏の家臣となった家が多い。 |
小城千葉氏 | 鎌倉時代後期、千葉氏は「元寇」の警戒のために「異国警護番役」を命じられ、肥前小城郡に赴いたのが始まり。肥前有数の大豪族だったが、子孫は肥前佐賀藩の重臣となる。 |
武蔵千葉氏 | 室町中期、庶家に敗れて上杉氏を頼った千葉介嫡流の実胤・自胤の末裔。幕府からも千葉介と呼ばれた。下総千葉介と争ったが、のち小田原北条氏に属し、北条氏滅亡後は帰農したとみられる。 |
葛西氏 | 千葉氏と縁戚関係にあった。下総国葛西庄が本貫地だが、鎌倉中期に奥州へ下り豪族化、室町時代には戦国大名となったが、秀吉によって滅ぼされた。子孫は仙台、宇和島、盛岡藩士となっている。 |
千葉氏 | 千葉介常胤の嫡男・胤正を祖とする。千葉亥鼻城を居城として繁栄するが、鎌倉・室町期に混乱が続き、印旛郡本作倉城に居城を移した。豊臣秀吉に城を落とされ、嫡流は帰農したとみられる。 |
相馬氏 | 千葉介常胤の次男・師常を祖とする。子孫は下総と奥州に分かれ、南北朝時代には互いに抗争した。江戸時代、下総流は旗本、奥州流は陸奥中村六万石の藩主となった。 |
武石氏 | 千葉介常胤の三男・胤盛を祖とする。子孫は下総と奥州に分かれ、下総流はのち里見氏に仕え、奥州流は亘理を称し、仙台藩一門・涌谷二万石の領主となった。 |
大須賀氏 | 千葉介常胤の四男・胤信を祖とする。子孫は下総と奥州に分かれ、下総流は国分氏・東氏らとともに下総に力を振るう。下総流は帰農、奥州流は仙台藩士、出羽亀田藩士となった。 |
国分氏 | 千葉介常胤の五男・胤通を祖とする。子孫は大須賀氏・東氏とともに一族一揆を結び、千葉宗家に対抗した。子孫は水戸藩士、古河藩士、多くは帰農したと思われる。 |
東氏 | 千葉介常胤の六男・胤頼を祖とする。子孫は下総と美濃に分かれた。美濃流は勅撰歌人の家柄、名跡を継いだ遠藤氏が大名として幕末にいたり、下総流は東総の豪族として続き、江戸期は帰農した。 |
円城寺氏 | 千葉介常胤の七男・日胤を祖とするとされるが、実際は原一族。千葉四天王と呼ばれる家老の一家で、小城千葉氏・武蔵千葉氏・千田千葉氏の重臣としても各地に見られる。 |
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