郡上藩主遠藤家 ~古今伝授を伝える家~

郡上遠藤家 ~三上藩主遠藤家~

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 郡上藩主・遠藤氏は、千葉介常胤の六男・東六郎大夫胤頼を祖とする東氏の流れをくむ一族である。東中務丞胤行入道素暹またはその子・東六郎左衛門尉行氏が美濃国郡上郡山田庄の地頭職として下向したが、遠藤氏は東氏に従って下総(他説有)から郡上郡に移り、東氏の重臣として栄えた。しかし、室町時代後期に東氏と遠藤氏の間に確執があり、遠藤六郎左衛門尉盛数は義父・東下野守常慶を討ち、義兄の東七郎常堯を郡上郡から追放して東氏を滅ぼした。
  遠藤盛数の妻は東下野守常慶の娘であり、その子・遠藤新六郎慶隆が盛数の跡を継ぎ、織田信長・豊臣秀吉に仕えた。その後の慶長の役(関ヶ原の戦い)では、美濃国でも数少ない徳川方として活躍し、その功績によって美濃郡上藩主となった。

●郡上藩・三上藩遠藤家

郡上藩・三上藩の概要 美濃郡上藩主 近江三上藩主 郡上遠藤家
木越遠藤家 乙原遠藤家 和良遠藤家  

●東氏の歴代

郡上東氏 郡上東氏歴代 東氏惣領家 須賀川東家 森山東家

●江戸時代の遠藤家(東家)

土佐藩遠藤家 木曾遠藤家 田中藩遠藤家
苗木藩東家 小城藩東家 医官東家

●郡上藩歴代藩主

代数 名前 生没年 就任期間 官位 官職 父親 母親 法名
初代 遠藤慶隆 1550-1633 1601-1632 従五位下 但馬守 遠藤盛数 東常慶娘 乗性深心院
―― 遠藤慶勝 1588-1615 ―――― 従五位下 長門守 遠藤慶隆 三木良頼娘 明心大神院
2代 遠藤慶利 1609-1646 1632-1646 従五位下 但馬守 三木直綱 遠藤慶隆娘 至誠院乗雲
3代 遠藤常友 1628-1675 1646-1675 従五位下 備前守 遠藤慶利 板倉重宗娘 常敬院素信
4代 遠藤常春 1667-1689 1676-1689 従五位下 右衛門佐 遠藤常友 戸田氏信娘 恵正院素教
5代 遠藤常久 1686-1692 1689-1692 従五位下 ―――― 遠藤常春 側室某氏 本了院素道

●三上藩歴代藩主

代数 名前 生没年 就任期間 官位 官職 父親 母親 法名
初代 遠藤胤親 1683-1735 1692-1733 従五位下 但馬守 白須政休 小谷忠栄娘 宝地院素吟
2代 遠藤胤将 1712-1771 1733-1771 従五位下 備前守 遠藤胤親 久松氏娘 大心院素江
3代 遠藤胤忠 1732-1791 1771-1790 従五位下 下野守 遠藤胤親 田所氏娘 東覲院素秋
―― 遠藤胤寿 1760-1781 ―――― ―――― ――― 遠藤胤忠 青木氏娘 心開院素練
―― 遠藤胤相 1761-1814 ―――― ―――― ――― 酒井忠与 西村氏娘 霊信院素淳
4代 遠藤胤富 1761-1814 1790-1811 従五位下 左近将監 松平信復 小林氏娘 自得院素行
5代 遠藤胤統 1793-1870 1811-1863 従四位下 中務大輔 戸田氏教 猿田氏娘 敬武徳院素中
―― 遠藤胤昌 1804-1855 ―――― ―――― 式部少輔 松平義和 某氏娘 直諒院素温
6代 遠藤胤城 1838-1909 1863-1909
(藩知事含む)
従五位下
(贈正三位)
但馬守
(子爵)
遠藤胤統 小谷氏娘  

三代藩主

遠藤常友(1628-1675)

<名前> 慶澄→常季→常友
<幼名> 岩松
<通称> 内蔵助
<正室> 戸田采女正氏信女
<父> 遠藤但馬守慶利
<母> 板倉周防守重宗女
<官位> 従五位下
<官職> 備前守
<就任> 正保3(1646)年11月12日~延宝3(1675)年5月4日
<号> 白雲水
<法名> 廻向院了道→欲生院乗源→常教院素信
<墓所> 郡上市美並町白山の深心院乗性寺

―遠藤常友事歴―

 郡上藩三代藩主。父は遠藤但馬守慶利。母は京都所司代・板倉周防守重宗女。寛永5(1628)年、江戸で生まれた。妻は美濃大垣藩主・戸田采女正氏信女。初名は慶澄。号は素信

 寛永12(1635)年3月28日、将軍・徳川家光に拝謁した。このとき七歳(『寛政重修諸家譜』)。その後元服して「慶澄」を称したのち、時期不明ながら「常季」と改めた。おなじく弟の大助慶寛、金兵衛慶紀もそれぞれ「大助常昭」「金兵衛常紀」と改めており、彼らが「常」字に改めたのは曾祖父下野守常慶の血統を継承し、明確に「東」氏の末裔と主張したことによるものであろう。常友は藤姓遠藤氏を改め「平常友朝臣」(寛文八年九月明建神社奉納絵馬銘)と称していること、そして彼の代から号に東氏代々の「素」文字を用いていることからも東氏復興を志していたと考えられる。その時期は弟の常昭が寛永18(1641)年11月14日に将軍家光に初御目見の際に「遠藤但馬守慶利二子大助常昭」(『大猷院殿御実紀』寛永十八年十一月十四日条)と見えることから、「常友」と改めた時期も不明だが、明暦3(1657)年初秋時点では「遠藤備前守平朝臣常季」であるため、寛文8(1668)年9月の「平常友朝臣」(寛文八年九月「明建神社奉納絵馬銘」)までの間に改められている。

 正保3(1646)年6月20日に父・慶利が亡くなると、同年11月12日、郡上藩二万七千石を相続。相続の際、実弟の大助常昭に二千石を、金兵衛常紀に千石をそれぞれ分与しており、郡上藩の石高は二万四千石となっている。

 12月5日、父・慶利の遺品である左文字一振を将軍家に献上。12月30日、従五位下・備前守に叙任された。

            遠藤慶利   +―遠藤常友【郡上藩主】
           (但馬守)   |(備前守)
             ∥     |
             ∥―――――+―遠藤常昭【乙原遠藤家
 板倉勝重―――重宗―――娘     |(大助)
(伊賀守)  (周防守)       |
                   +―山田常紀【和良遠藤家
                    (金兵衛)

 正保4(1647)年4月26日、藩主として初の国入りを果たした。そして寛文4(1664)年4月5日、四代将軍・徳川家綱より郡上藩の封地の御朱印状を賜った。明暦3(1657)年初秋には、「遠藤備前守平朝臣常季」の名で八幡城下の明建神社に子孫繁栄家中安全を祈願している。

 慶安4(1651)年7月5日、常友(当時はまだ常季か)は「大坂加番」の暇乞いをしている(『徳川実紀』)。寛文5(1665)年正月2日、大坂城が雷火に見舞われたときにはまだ大坂城番であり、大坂城本丸の埋門(うずみもん)の守備をした功績で将軍家より奉書が下された。

 寛文7(1667)年、居城の八幡城の改修を認められて修理し、城下町の整備と拡張が行われ、それまでの「城主格」から「城主」の待遇となる。さらに領内検地を行って、新田開発を推進するなどの内政面も拡充した。この年、家光の十七回忌に後水尾上皇の使い「本院使」として烏丸資慶が日光東照宮参詣のために下向したが、常友が接待役を仰せつかっている。資慶は三年前に後水尾上皇から古今集の講義を受けていた歌人で、同じく歌人であった常友とは互いに交流をもつようになり、古今伝授の家柄である資慶に常縁の歌を編集した『常縁歌集』の編纂を依頼した。その後、資慶の病死によって編纂作業は烏丸光雄へ継承され、寛文11(1771)年に光雄から常友へと贈呈されている。

 寛文8(1668)年9月には明建神社に絵馬を奉納している。

奉掛妙見大菩薩御宝前
 寛文八年九月吉辰 平常友朝臣

 寛文9(1669)年11月、常友の重臣、遠藤十兵衛朝慶・遠藤杢之助正英・遠藤市右衛門正明・池田勝兵衛吉久・松井縫殿助宗従・野田覚左衛門慶明の連名で、城下の明建神社に青銅製の鰐口を奉納した。

 寛文10(1770)年、『蒙吟詠藻』の跋を記し、延宝4(1676)年、日野資弘から『東家代々首』(東下野守常和編)が常友へ贈られた。さらに自身の歌を集めた『常友自詠自筆』を編纂、郡上城下に現在も残されている「宗祇水」を整えたが、同年5月4日に亡くなった。享年四十九。法名は廻向院了道、のち欲生院乗源、さらに常敬院に改められた。

 春たつと思ふに今朝はもろ人のこゝろの花や先ひらく覧 (『常友自詠自筆』)

●遠藤常友の家臣抜粋(『郡上藩分限帳』:『郡上八幡町史』所収)

石高 役職 氏名
2,500 常友実弟 遠藤大助常昭
1,300 常友実弟 山田金兵衛常紀
100 常友母親? 敬勝院
10人 常友伯母 伯母
10人 常友伯母 伯母
10人 常友娘?妹? 女中
  ~家中城代家老~  
500   遠藤十兵衛(朝慶)
500 仕置家老 遠藤新左衛門・遠藤杢之助(正英)
500 無役 遠藤主馬助
450 月番家老組頭 池田六左衛門(吉久か)
350 月番家老組頭 遠藤市右衛門(正明)
300 月番家老組頭 松井縫殿助(宗従)
300 無役 野田覚右衛門(慶明)
200 無役 粥川小十郎・石神太兵衛
300 物頭 餌取六右衛門
250 物頭 村山三右衛門・石井藤右衛門
200 物頭 高屋権太夫
150 物頭役領扶持 遠藤善左衛門・松井覚兵衛
150 寺社奉行 松井弥五左衛門
100 鑓奉行役領扶持 遠藤治部右衛門
150 町奉行役領扶持 吉田作左衛門
200 郡奉行 遠藤金左衛門・武光伝左衛門
200 目付 粥川半兵衛
100 目付 野田九右衛門
150 聞番役二十人扶持 澤部治部左衛門
100 奥家老 宮田兵右衛門・豊田源五兵衛
150 馬乗り 三浦四方助
150 馬医者 鷲見八右衛門
  ~御馬廻~  
300   粥川孫左衛門
250    小池孫右衛門
200   武光吉左衛門・豊島弥左衛門・遠藤久右衛門・松井勘右衛門・豊田武兵衛・佐藤治兵衛
150   遠藤七郎左衛門・遠藤助太夫・畑佐覚左衛門・豊田儀左衛門・山田又兵衛・桑原五兵衛・池田幸右衛門・垣見伊右衛門・角庄右衛門・池戸善右衛門
100   遠藤武太夫・野田弥兵衛・遠藤弥市右衛門・桜井宇右衛門・餌取八郎右衛門・伊東一拾・伊藤関三郎・三木竹之助・池戸求馬助

 


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