トップページ > 奥州千葉氏
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東北地方には「千葉」家がとても多い。なぜ下総国発祥の千葉氏が東北地方に繁栄しているのか。実は謎が多く、詳細はわかっていない。東北千葉家の家々には様々な伝承(ときには「史実」としては疑問があるものもある)があり、そういった伝承は「文化」として後世に伝えていくことが大切である。同時に伝承やその地の誇る存在を、敬愛を込めて「●●公」や「●●様」と敬称をつける事も何ら否定されるものではなく、その地方のアイデンティティとして尊重されるべきものである。
千葉氏が東北地方に関ったのは、文治5(1189)年7月からの源頼朝による奥州合戦である。この戦いは二度にわたって行われ、第一次合戦(対奥州藤原氏)では千葉介常胤が東海道大将軍、第二次奥州戦(対大河兼任)では千葉新介胤正が高齢の常胤に代って海道軍大将を務めるなどの軍功があった。
文治5(1189)年9月20日、平泉における論功行賞では「千葉介、最拝領之、凡毎施恩以常胤可為功之由、蒙兼日之約者」(『吾妻鏡』文治五年九月廿日条)とあるように、頼朝は予てからの約定どおり、千葉介常胤にまず恩賞を施している。この時に拝領した所領は載せられていないが、子孫の相馬氏は行方郡内、武石氏は亘理郡内、大須賀氏は岩城郡内にそれぞれ所領を受けており、とくに大須賀氏が継承した岩城郡内好島庄預所職は常胤拝領が明確である。
また、千葉新介胤正の手に属して活躍した葛西三郎清重は、平泉の統治と奥州御家人の沙汰の委任権(奥州の警察権・裁判権とされる)を給わり、奥州惣奉行職に就いたことが『吾妻鏡』からうかがえる。
葛西氏はもともとは下総国葛西御厨(東京都江戸川区葛西)の管理を行う荘官で、鎌倉時代には鎌倉に常駐して将軍の近侍を務めていた。その後、葛西家四代目・葛西左衛門四郎清時が奥州の知行地へ下向した。
一説には、建治2(1276)年、清時は千葉介頼胤の子・胤信を養子として迎えたとされ、頼胤は胤信に一族の臼井三郎左衛門常俊、千葉飛騨守胤常、千葉左馬助胤氏の三人を附けさせて奥州へ下向させたとある。葛西氏に入った胤信は「清信」と名を改めて太守となったことが伝承として伝えられている。そして諸千葉家に伝わる系譜等では、ちょうどこの時代─寛喜2(1230)年~正安2(1300)年に奥州へ下向したという一族が顕著となる。
1.千葉泰胤を祖とする一族。(薄衣氏、松川氏、門崎氏、峠千葉氏、奥玉千葉氏、鳥畑氏)

2.千葉介頼胤が祖と伝わる一族。(長坂氏、百岡氏、伊刺氏、本吉氏、浜田氏、一関氏、星氏)

奥州千葉氏系図三
3.千葉胤親が祖と伝わる一族。(馬籠氏・矢作氏・浜田氏・高田氏・百岡氏・大原氏・星氏)

奥州千葉一族の家紋の一例(※他にも多様な紋があります)
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| 月星 | 三日月 | 三日月に星 | 九曜 | 陰九曜 | 丸に九曜 | 丸に向い鳩 | 五三の桐 |
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| 八曜に三日月 | 丸に三星 | 七曜 | 五つ星 | 丸に六星 | 鉄砲角に七曜 | 並び九曜 | 三柏 |
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| 丸に三柏 | 隅切り三柏 | 丸に向い鳩 | 五三の桐 | 丸に剣柏 | 熨斗輪に三柏 | 抱き稲に三柏 | 丸に折れ柏 |
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| 亀甲に三柏 | 丸に蔓柏 | 丸に一つ柏 | 繋ぎ駒 | 寓生に向い鳩 | 亀甲花菱 | 下り藤 | 丸に木瓜 |
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| 丸に抱き茗荷 | 隅立四目結 | 丸に並び矢 | 丸に蔦 | 丸に中陰蔦 | 丸に剣片喰 | 三盛亀甲花菱 | 八曜に三日月 |