原孫四郎朝胤

原氏

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~原氏歴代当主~

当主 原胤高 原胤親 原胤房 原胤隆 原胤清 原胤貞 原胤栄 原胤信
通称 四郎 孫次郎     孫次郎   十郎 主水助
官途   甲斐守
式部少輔
越後守
越後入道
宮内少輔 式部少輔 上総介 式部大輔  
法名 光岳院? 貞岳院? 勝岳院
勝覚
昇覚
不二庵
全岳院
善覚
超岳院 震岳院?
道岳?
弘岳大宗  

 

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原朝胤(????-????)

 原宮内少輔胤隆の養嗣子。通称は孫四郎(『手賀原系図』)。官途は淡路守(『千学集抜粋』)。法名は太岳(『千学集抜粋』)、前淡州大岳大禅定門(『手賀原系図』)。胤隆の弟とされる(『手賀原系図』)

 古河公方・足利高基と小弓公方・足利義明との対立の中、古河公方方に属しており、その頃の書状と思われる某年7月12日、古河公方・足利高基は「原宮内太輔入道殿」に、「長子孫次郎」を古河公方勢の応援として「中途令参上」させたことを褒めて感状を発給している。その際あわせて病気中だったと思われる胤隆の容態につき、朝胤が高基に面会して言上しており、胤隆からはとくに「不及被仰出候」としている。朝胤は孫次郎を連れて高基の傍にあったのかもしれない。

●某年7月12日『足利高基感状』(『喜連川家文書案』)

 今度、長子孫次郎立進無壽至、于中途令参上候之條、忠信之至、
 感思召候、因而爰元御様躰、定朝胤可致対話候間、不及被仰出候、
 然而被成御自筆候、巨細高助可申遣候、謹言、


   夷則十二日      
       原宮内太輔入道殿

●参考資料●

『房総叢書』 第五緝
『本土寺過去帳便覧』 下巻
『千葉県東葛飾郡誌』
『中世房総』中世房総の芸能と原一族 ―本土寺過去帳の猿楽者―  浜名敏夫著


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