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寺社名 | 場 所 | 関連氏族 | 事 歴 |
石浜神社 | 東京都荒川区南千住 | 武蔵千葉氏 | 武蔵千葉氏の千葉介守胤が建立した真先稲荷をともに祀る神社。浅草七福神の一で寿老人を祀る。 |
胤重寺 | 千葉市中央区市場町 | 武石氏 | 武石胤盛の嫡男・武石胤重の菩提を弔うために建立されたとされる寺院。本尊は阿弥陀如来。 |
今戸神社 | 東京都台東区今戸 | 武蔵千葉氏 | 武蔵千葉氏の居城となっていた石浜城の跡地であるとも伝わる。武蔵千葉氏の遺臣が周辺に土着し、今戸焼きなどの伝統文化を築いた。浅草七福神の一で、福禄寿を祀る。 |
円応寺 | 香取郡大栄町松子 | 大須賀氏 | |
鷲神社 | 東京都台東区千束 | 千葉氏 |
隣接する長国寺を別当寺とする鏑木氏ゆかりの神社。祭神は天日鷲命と日本武尊。江戸時代は鷲大明神社。毎年11月に行われる酉の市で有名。伝承では日本武尊が東国遠征の戦勝を祝って酉の日に熊手を奉納したことが、酉の市に熊手を奉納する起源とされる。明治時代に神仏分離令によって長国寺と分離された。社紋は九曜・月星。浅草七福神の一で、寿老人を祀る。 ★鷲神社公式ホームページ★ |
風早神社 | 松戸市上本郷 | 風早氏 | 東氏の一族・風早氏の館跡に建立されたと伝わる神社。主祭神は経津主命。下総国四ノ宮。風早庄の中心地にあり、本郷の地名はここからとられたものである。中世には、大谷口城主・高城氏から社領寄進を受け、江戸幕府からも朱印状を受けた。 |
鹿島大社 | 茨城県鹿嶋市宮中鹿島山 |
東氏
国分氏 |
常陸一ノ宮。祭神は武甕槌命。はじめは水郷の守護神であったようだが、大和朝廷の東国を治める軍事拠点となったと考えられる。 中世には武神として武士たちに尊敬され、室町時代には様々な兵法が編み出され、塚原卜伝もこの鹿島神官の出身。 ★鹿島神宮公式ホームページ★ |
香取神宮 | 香取市香取 |
東氏
国分氏 |
下総一ノ宮。祭神は経津主命。大和朝廷の東国における軍事拠点であったと思われる。
平安時代には香取海(現在の利根川や霞ヶ浦は一つの内海を形成していた)の海人を統率し、大きな権力を持っていた。しかし、室町時代、守護の千葉介と一時対立関係となり、千葉介の家臣が社域に乱入して狼藉を働き、これに国分・東氏などが一族一揆を結んで千葉介に反抗したこともあった。 ★香取神宮公式ホームページ★ |
弘法寺 | 市川市真間 |
千葉氏 国分氏 |
日蓮宗本山。真間山弘法寺。かつては真言宗、天台宗と改まり、日蓮の弟子・日常(富木常忍)が法論に勝利して弘法寺は日蓮宗寺院となる。国府に近く、古代から発展した古刹。 ★真間山弘法寺公式ホームページ★ |
神崎神社 | 香取郡神崎町神崎本宿 | 神崎氏 | 神崎氏の居城近くにある神社。神崎氏や眼下の神崎津の交易等に関する文書を所蔵している。 |
広徳寺 | 千葉県松戸市 | 高城氏 |
曹洞宗。金龍山広徳寺。高城胤忠によって創建されたと伝えられる寺院で、高城氏の居城・小金大谷口城の北にあり、高城氏代々の菩提寺となった。江戸時代も旗本高城氏によって整備され、高木胤忠や胤吉、胤辰らの墓碑が残る。 ★広徳寺公式ホームページ★ |
高徳寺 | 千葉県千葉市中央区市場町 | 原氏 | 龍興山高徳寺。正平20(1365)年、原氏の祖とされる原四郎胤高が建立したと伝えられる。本尊は延年地蔵菩薩。 |
持法院 | 柏市藤ヶ谷 | 下総相馬氏 | 天台宗。登慶山如意輪寺。下総相馬氏の居城の一つ・藤ヶ谷城の眼前にあり、藤ヶ谷相馬氏の菩提寺となっている。隣接する観音堂には千葉介常胤が奉納した観音像が伝わっている。 |
神明社 | 柏市塚崎44 | 相馬氏 | 伊勢神宮が勧進されて創られたと思われる神社。その創建は諸説あるため正確には不明だが、おそらく平安時代末期、千葉介常胤による相馬御厨の伊勢内宮外宮寄進が関係しているか。神明社付近には伊勢神官の度会氏と関わりがあると思われる「渡来」氏が多いことからも、伊勢神宮との深い関わりがうかがえる。 |
浅間神社 | 千葉市稲毛区稲毛 | 武石氏 |
奈良時代、静岡県の富士浅間神社の御分霊を奉斎して建立されたと伝えられる富士山信仰の神社。源頼朝も、東胤頼を使者として同社に参詣させ、武運長久を祈らせた。境内には数々の社が祀られている。また、現在は国道14号線が走っている鳥居前は、かつて遠浅の砂浜が広がり、14号線をはさんで対岸にある鳥居はかつて海中にあった。昭和30年ごろまでは海水浴場として栄えたが、現在では埋めたてられてしまった。御神楽(県指定無形文化財)が演じられる。社紋は九曜。 ★稲毛浅間神社公式ホームページ★ |
八坂神社 | 鎌倉市扇ガ谷1丁目 | 相馬氏 | 相馬天王社。相馬師常が屋敷地内に牛頭天王を勧進して創られた神社で、はじめ巽荒神の辺にあった。江戸時代に現在地に移築された。祭神は素戔嗚尊・桓武天皇・葛原親王・高望王・相馬師常。社紋は九曜。 |
巽荒神 | 鎌倉市扇ガ谷1丁目 | 相馬氏 | 相馬氏の館跡に建つ神社。 |
大慈恩寺 | 大須賀氏 | 雲富山大慈恩寺。天平宝字5(761)年、鑑真和上によって建立されたと伝えられる。歴応4(1341)年、安国寺利生塔の建立と仏舎利の奉納がなされた。安国寺とは将軍家の祈願所として各国に建立された寺院で、同寺の利生塔は明治35(1902)年に崩壊するまで550年もの間、そびえたっていたと伝わっている。現在は、その礎石が14個残されている。梵鐘は鎌倉時代のもので、現在でも使用され、鐘楼で間近で見ることができる。 | |
大勝院 | 松戸市大谷口 | 高城氏 | 遠矢山大勝院。高城氏によって建立された祈願所。 |
智光院 | 千葉市中央区亥鼻 | 開基は馬加康胤(陸奥守)と伝えられる古刹。本尊は不動明王。 | |
東漸寺 | 松戸市小金 | 高城氏 |
仏法山一乗院東漸寺。浄土宗江戸時代、関東十八壇林の一つ。文明13(1481)年、増上寺音譽上人の弟子・経譽愚庭上人によって、松戸根木内に開かれた。根木内は高城氏の居城があったところで、もともとは高城氏の出城的な役割を持っていたとも伝えられる。 七世・照誉上人は高城胤吉の子で、寛永9(1632)年1月、増上寺十七世となり、徳川秀忠や千姫などの篤い帰依を受ける。明治時代、勅願所とされた。 ★東漸寺公式ホームページ★ |
東禅寺 | 千葉市中央区亥鼻 | 金剛山東禅寺。嘉暦2(1327)年、千葉介貞胤が亥鼻城下に建立したと伝えられる寺院。本尊は薬師如来。関東薬師札所のひとつ。 | |
東大社 | 香取郡東庄町宮本 | 東氏 | 東氏が信仰した大社。古今伝授の宗家・東常縁の詩歌が残る。 |
船橋大神宮 | 船橋市宮本 |
高城氏
原氏 |
平安時代半ばの『日本三代実録』にも記載が確認できる由緒正しい神社。正式には意富比神社。千葉街道と成田街道の追分にあり、神社の左の坂道を登ると成田へ向かう。神主家の富氏も千葉氏の一族と伝わる。 |
芳泰寺 | 香取郡小見川町岡飯田 | 東氏 | 曹洞宗真性院芳泰寺。本尊は妙見神の本地とされる十一面観世音。東氏の菩提寺であり、東氏の居城だった森山城の下にある。境内には東胤頼夫妻の墓とされる五輪塔が立つ。 |
星神社 | 各地の星神社のご紹介 | 星神社は、もちろんすべてではないが、北辰信仰、ひいては妙見信仰(=天御中主命)に繋がっているものが多い。 | |
本土寺 | |||
待乳山聖天 | 東京都台東区浅草 | 武蔵千葉氏 |
武蔵千葉氏の居城となっていた石浜城の跡地ともされるが不明。今戸神社のすぐ近くにあり、関連はあったのかもしれない。聖天を祀り、家内安全・商売繁盛に強いご利益があるとされる。浅草七福神の一で毘沙門天を祀る。 ★待乳山聖天公式ホームページ★ |
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