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寺社名 | 場 所 | 関連氏族 | 事 歴 |
千葉神社 | 千葉市中央区院内一丁目 | 千葉宗家 | 千葉氏の信仰篤かった、かつての北斗山金剛授寺尊光院。妙見大菩薩を祀っていた。江戸時代にはいって妙見寺と名を改め、さらに明治時代の神仏分離令により、寺院から神社へ変わり、天御中主命(アメノミナカヌシノミコト)を祀った。天御中主命は天地開闢のとき、初めて高天原に降り立った神で、天の中心、すなわち北極星と同一視されており、妙見神=北辰尊星王と同義神である。 |
千葉山 | 千葉市稲毛区園生町 | 千葉宗家 | 千葉氏歴代の墓所と伝わる山。国道16号線穴川交差点を柏方面へ向かった左側にそびえる段丘上にあり、古い墳丘墓が一列に整然と並んでいる。しかし現在、手入れがされていないために藪の中に埋まり、破壊が進んでいる。16号線から登ってくる塚脇の道路には「星宮の碑」があり、供物や花が絶えることがない。 |
千葉寺 | 千葉市中央区千葉寺町 | 千葉宗家 | 千葉市内最古の寺。 |
勝胤寺 | 佐倉市大佐倉 | 千葉宗家 | 千葉介勝胤を開基とする寺院。 |
増上寺 | 東京都港区芝公園四丁目 | 千葉宗家
高城氏 |
浄土宗三縁山増上寺。千葉介氏胤と新田義貞娘との子「酉譽聖聰」が明徳4(1393)年に浄土宗正統根本念仏道場として開山したのが始まり。この西譽上人は千葉介満胤の実弟にあたる。のち浄土宗八世。 文明2(1470)年、勅願所となる。天正18(1590)年、関東に入った徳川家康は十二世・源誉慈昌存応に帰依し、徳川家の菩提所となる。十四世・照譽了学は千葉氏の流れを汲む高城氏出身。慶長3(1598)年、江戸城拡張工事のために貝塚から芝に寺域を移動。家康によって広大な伽藍が建立された。関東十八壇林の筆頭。 |
総泉寺 | 東京都板橋区小豆沢 | 千葉宗家 | 曹洞宗妙亀山総泉寺。本尊は釈迦如来。武蔵千葉氏代々の菩提寺で、千葉介守胤を開基とする。かつては浅草の北の橋場にあり、曹洞宗江戸三刹のひとつとして、広大な伽藍を誇った。出羽久保田藩主・佐竹家の菩提寺でもある。平賀源内の墓所もこの境内にあったが、大正12年の関東大震災で伽藍が倒壊するなど被災したため、昭和3年にいたって板橋区に移転した。 |
大日寺 | 千葉市稲毛区轟町 | 千葉宗家 | 千葉家累代の菩堤寺。 |
経胤寺 | 印旛郡酒々井町下台 | 千葉宗家 | 詳細不明。 |
海隣寺 | 佐倉市海隣寺町 | 千葉宗家 | 千葉山海隣寺。千葉氏代々の菩提寺。千葉氏の居城が亥鼻城から佐倉へ移ると、馬加にあったと伝えられる海隣寺も移されたという。現在も歴代の墓石が残されている。 |
妙見寺 | 群馬県群馬郡群馬町引野 | 千葉宗家 | 平良文が妙見菩薩を祀ったとされる。千葉の千葉神社は、もともとはここの妙見神を勧進したものとされる。 |
鳥越神社 | 東京都台東区鳥越二丁目 | 鏑木氏 | 千葉新介重胤の弟・鏑木俊胤の末裔が宮司を務めた神社。社紋は七曜。 |
法華経寺 | 市川市中山二丁目 |
小城千葉氏 千葉宗家 |
日蓮宗中山門流の総本山。祖師堂・法華堂・四足門・五重塔は国指定文化財。ほか国宝の「立正安国論」(日蓮自筆)を所蔵。 鎌倉時代後期に千葉介の側近で日蓮の弟子・日常(富木常忍)が創建した法華寺と、日高(太田乗明)が創建した本妙寺が室町中期に合併して、法華経寺が創建された。法華寺の3代貫主は九州千葉胤貞の養子・日祐。 |
妙光寺 | 香取郡多古町 | 千田千葉氏 | 鎌倉時代作の妙見菩薩像がある。 |
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