一、相馬野馬追い 二、奥州中村藩主 三、野馬追行列順 四、相馬歴代惣領
●相馬野馬追い●
福島県南相馬市では、毎年7月最終土、日、月曜日の三日間、大祭「相馬野馬追い」が開催されます。
南相馬市周辺の市町から 騎馬武者が集まり、相馬地方にある大きな三つの妙見神を神輿で招いて催される祭りは、伝承によれば、今から千年のむかし、相馬氏の遠祖とされる平将門が下総国相馬郡小金原に野生馬を放し、敵兵に見たてて軍事訓練をしたことに始まるといわれています。相馬氏はその将門の伝統を継承し、捕えた馬を神への捧げ物として、相馬家の守護神である「妙見」に奉納しました。このとき相馬地方に流れる民謡「相馬流山」は、奥州相馬氏の祖・相馬重胤が住んでいた現在の千葉県流山市(旧相馬郡流山郷)にちなんでいます。
奥州相馬氏の祖・相馬重胤が陸奥国行方郡にこの神事を 移して以降、現在に至るまで開催され、戦国時代には伊達氏をはじめとする奥州諸豪に備えるための訓練として、また、妙見宮へと奉納する神馬の神事として続けられました。野馬を追いたてて素手で捕らえる神事、現在は小高妙見神社で行なわれる野馬追いが重要無形民俗文化財に指定されています。
戦国時代が終わり、江戸時代に入ると代々の相馬藩主によって、北の大藩・仙台藩の侵略に対しての防備と神事のために 欠かされることなく催されました。現在では三十万人の人出を数える祭りとなっています。
相馬野馬追いは、藩政時代の行政区によって相馬地方を「宇多郷」・「中ノ郷」・「小高郷」・「北郷」・「標葉郷」の五つに分けられて行われます。「宇多郷」は中村藩 六万石の居城にある中村妙見で出陣式が行われ、総大将である藩主の子孫の方が閲兵式を行います。「中ノ郷」は太田妙見から神輿を担いで出陣。「小高郷」は小高城址にある小高妙見からの出陣となります。
7月最終土曜日
-出陣式~御繰出-
◎宇多郷勢◎(相馬市)ー総大将出陣式ー
7:00~出陣式(相馬中村神社にて)
8:00~閲兵式
9:00~御繰出(市街地をまわって北郷勢と合流。雲雀ヶ原へ向かう)
◎標葉郷勢◎(浪江町、大熊町、双葉町)
8:35~出陣式(浪江町中央公園)
◎小高郷勢◎(南相馬市小高区)
9:00~出陣式(相馬小高妙見にて)
10:15~御繰出(市街地をまわって標葉郷勢と合流。雲雀ヶ原へ向かう)
◎北郷勢◎(南相馬市鹿島区)
10:30~出陣式(公民館)
◎中ノ郷勢◎(南相馬市原町区)
11:00~出陣式(相馬太田妙見にて)
12:00~御繰出
番号 | 名 称 | 解 説 | 旗印 |
1. | 御先乗 | 昔は「露払」とよばれ、藩主に先行する検分役。行列の速さを調整する。 | |
2. | 軍者 | 副軍師の補佐役。旗は「下り百足」。騎馬隊を補佐する。 | |
3. | 御使番 | 伝令を務める。旗は「一文字」。 | |
4. | 組頭 | それぞれの組を束ねる武士。旗は「白抜き下がり駒」。 旗地は五行の色(赤・青・黄・白・黒)を用いる。 | |
5. | 中頭 | 組頭の補佐をする。旗は「白地に下がり駒」。 | |
6. | 軍師 副軍師 |
軍師は騎馬隊の中核で総大将を補佐。野馬追いの一切を取り仕切る。 副軍師は総大将を補佐し、各郷の指揮を執り行う。 |
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7. | 三色旗 | 1.白旗…中村妙見神社をあらわす。 2.赤旗…太田妙見神社をあらわす。 3.黄旗…小高妙見神社をあらわす。 |
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8. | 神名旗 | 白地に各神社名を墨書する。 | |
9. | 供奉纏奉行 | 供奉纏を守る役。 | |
10. | 供奉纏 | 三妙見(中村・太田・小高)神社をあらわす纏。 白:中村妙見社 赤:太田妙見社 黄:小高妙見社 |
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11. | 北郷纏 | 相馬野馬追いに対して功績のあった北郷勢に許された軍扇。金地に日の丸。 軍扇はもともと御一家筆頭・岡田監物の旗印。 |
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12. | 郷大将 | 副大将…北郷大将のこと。紫色の母衣を着用。 郷大将…各郷の大将。各色の母衣を着用する。 |
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13. | 五色旗 | 本陣に立てる天地五行をあらわす旗。赤・青・黄・白・黒の五色。 | |
14. | 九曜旗 | 九曜は相馬氏の定紋のひとつ。武運長久と子孫繁栄を祈る。 | |
15. | 短冊旗 | 歴代の藩主をあらわす。 | |
16. | 金札旗 | 白地に金札を描いた旗で藩の経済力をあらわす。 勘定奉行が出陣しないときもこの旗があれば、出陣したことになる。 |
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17. | 長蛇旗 | 妙見大明神の御使・蛇を描く。 | |
18. | 下蜈蚣旗 | 藩主の旗で、役旗よりも大型。 | |
19. | 繋駒旗 | 藩主の旗で、将門の伝説による繋ぎ駒。 | |
20. | 弓組 | 矢筒と矢を結んだ飾り弓矢をもつ。 | |
21. | 鉄砲組 | 種子島式火縄銃を猩々緋の袋に入れてかつぐ。 | |
22. | 組頭 | 行列をまとめる役。 | |
23. | 中頭 | 組頭の補佐役。 | |
24. | 熊毛槍 | 藩主の手槍。二本ある。 | |
25. | 鳥毛槍 | 青貝螺鈿長槍を黒い鳥毛で覆ったもの。 1.大鳥毛…十万石の家格をあらわす。相馬氏は六万石高だが、特に許された。 2.小鳥毛…一万石の家格をあらわす。 |
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26. | 団扇 | 繋駒を描いた軍扇。藩主と領民の安全を祈る。 | |
27. | 兜 | 御馬先兜と称される。 1.諏訪法性兜…武田信玄をあらわす兜。 2.沢瀉兜 …上杉謙信をあらわす兜。 |
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28. | 螺役 | 法螺貝を吹く役。 | |
29. | 陣太鼓 | 野馬追いの合図の太鼓をたたく役。 | |
30. | 総大将 | 宇多郷勢のみ。中村藩主の子孫が務め、赤色の母衣に三枚金扇の印。藩公子孫が出陣できないときは、相馬市長が代理をつとめる。 総大将付御使番が身の回りの世話をする。 |
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31. | 総大将大纏 | 藩主の旗。「黒字に日の丸」。 | |
32. | 紫地白満月旗 | 藩主の奥方をあらわす。 | |
33. | 爪内馬標 | 藩主の馬前に立てる旗。九尺の長さがある。 | |
34. | 執行委員長 副執行委員長 |
相馬市長など相馬地方の首長がつとめる。 | |
35. | 胴白旗 | 「黒地に白抜き」。長さは九尺。 | |
36. | 錦旗 | 「日天」「月天」の長旗。 | |
37. | 吹流五色旗 | 神社旗。天地五行(赤・青・黄・白・黒)の五色。 | |
38. | 八幡旗 | 相馬師常が奥州藤原氏との戦いのときに源頼朝から賜った旗。 | |
39. | 将軍地蔵旗 | 戦陣に現れるという武装した地蔵尊をあらわす。 | |
40. | 諏訪大明神旗 | 白地に軍神「諏訪大明神」を墨書した旗。 | |
41. | 御神馬 | 神が乗るための馬。 | |
42. | 榊箱 | 神にささげる榊。 | |
43. | 神饌箱 | 供物・賽銭を入れた箱。 | |
44. | 御神輿係 | 御神輿(御鳳輦)を守護する役。 | |
45. | 宮司(祭主) | 祭地を清める神官。祭りの前に馬場を清めて回る。人々の安生を祈願する。 | |
46. | 御鳳輦 | 相馬三妙見社(中村・太田・小高)から出された御神輿。 | |
47. | 御神輿係 | ||
48. | 旗奉行 | 騎馬武者の旗を確認して、誰々の到着と言う役。 | |
49. | 騎馬武者 | 一般の騎馬武者たち。 | |
50. | 侍大将 | 組頭を統括する。旗は「白地に九曜」 |
―宵乗り競馬―
午後2時、「宇多郷」・「中ノ郷」・「小高郷」・「北郷」・「標葉郷」の五郷勢が原町の雲雀ヶ原に集結し、相馬太田妙見の宮司によって馬場が清められ(馬場清めの儀式)、中ノ郷・小高郷・標葉郷・北郷・宇多郷の順に宵乗り競馬が行われます。
宇多郷旗 (相馬市) |
北郷旗 (南相馬市鹿島区) |
小高郷旗 (南相馬市小高区) |
標葉郷旗 (浪江、大熊、双葉町) |
中ノ郷旗 (南相馬市原町区) |
中村城二の丸(旧長友) | 騎馬行列 | 宵乗競馬 |
2日目
-騎馬武者行列-
午前9時の花火を合図に法螺貝・陣太鼓を打ち鳴らして行列は原町市の雲雀ヶ原めざして行進を始めます。先頭は太田妙見神輿を奉じた中ノ郷勢。次に小高妙見神輿を奉じた小高・標葉郷勢、最後に中村妙見神輿を奉じ、総大将が指揮する宇多・北郷勢が続きます。総勢は約六百騎。鎧兜を着込んだ騎馬武者が役職をあらわす旗・先祖伝来の旗指し物をはためかせて市街地を行軍していきます。北郷大将は特に許されていた軍扇を指物に使用しています。
侍大将 | 小高郷大将 | 北郷大将(副大将) |
-甲冑競馬-
甲冑競馬 |
雲雀ヶ原に集結した騎馬武者の一行は、本陣山に中村・太田・小高の三妙見神社からの神輿を安置し、総大将を本陣山の山頂にある本陣へと送って式典が挙行されます。
この祭りの指揮を執るのは「軍師」で、大会はすべて軍師の命令にしたがって進められていきます。正午ごろになってから、法螺貝の合図で甲冑競馬の開始が宣言されます。甲冑競馬に参加する騎馬武者たちは、鉢巻きに鎧、旗指物をさして一周千メートルの馬場を駆け抜けていきます。
地響きとともに騎馬武者は駆け抜け、旗指し物は折れ、馬同士の接触や腹帯のゆるみなどで落馬して救急車で運ばれていく武者もいるほどの激しい競馬です。そして、競馬に勝利した騎馬武者には恩賞が与えられることになっており、勝利した武者は本陣へ向かうジグザグの「羊腸の坂」を駆け上がって総大将から恩賞を受け取ります。
相馬中村藩の馬術は上総国発祥の「大坪流馬術」を伝統とします。藩は北にひかえる仙台伊達藩を仮想敵国とし、それに備える意味でも野馬追いは重要な軍司訓練でした。現在では相馬野馬追いはロンドンやハワイなど外国にも遠征してその妙技を披露し、海外の人たちにも賞賛されています。
-神旗争奪戦-
甲冑競馬が終わると騎馬武者たちは馬場の中央に集まり、法螺貝の合図とともに「御神旗争奪戦」が行われます。法螺貝が鳴りおわると同時に妙見神の御神旗が空高く打ち上げられ、ゆっくりと舞い降りてくる御神旗を数百の騎馬武者が群がって奪い合います。しかし、御神旗を素手で取ることは禁じられており、騎馬武者たちは手にした鞭でからめとります。運よく御神旗を手にしたものは「羊腸の坂」を駆け上って恩賞に預ることができます。
そして、この神旗争奪戦が終わると相馬野馬追いの二日目は幕を閉じ、騎馬武者たちは自らの馬に乗って帰途へつき、おもだった騎馬武者たちは、それぞれが奉ずる妙見社へ宝輦を供奉していきます。道路を車ではなく馬が歩いていくという少し不思議な光景を見ることができます。
御神旗争奪戦 | 総大将・相馬行胤公 | 総大将・相馬行胤公 |
3日目
-野馬懸-
馬競 |
相馬野馬追いの最後の行事・野馬懸は、相馬家の故地・小高城址で行なわれる、野馬追い最後の神事にして、国指定重要文化財に指定されています。
昔は野馬追いの初日に原町東部に位置する萱浜巣掛場にあった木戸から野生の馬を追い出して小沢の野馬道をとおし、小高城内の竹矢来に追い込んだのが起源といわれています。
現在では小高妙見社の境内に馬を追い込むところから始まり、小高妙見の御祓いを受けた若者たち(御小人)十数名が暴れ馬の群れに飛び込み、もっとも屈強そうな馬に「御神水」に浸した「駒とり竿」で印をつけて、これを御小人が素手で捕えるという勇壮なものです。野馬懸は計五回行われ、捕えられた第一番目の馬は「神馬」として妙見社に奉納されます。
その後は西郭において小高郷勢による神旗争奪戦が行われ、終わると騎馬武者は小高城からそれぞれ帰途につき、勇壮な相馬野馬追いは静かに幕を閉じます。
-相馬の妙見社-
泉妙見山城妙見社 |
千葉氏の一族は「妙見神」を信仰する傾向にあります。平安時代後期から現在に至るまでおよそ千年もの間、移住していく先々に「妙見社」の祠や社を建立し、「妙見」を祀ってきました。それは千葉県内にとどまらず、岐阜県(美濃国)、佐賀県(肥前国)、陸奥国(東北地方)などでも祀り続けました。たとえ歴史の流れで一族同士敵味方になったとしても、それぞれが妙見神を奉じ、一族の繁栄を祈りました。
相馬家は居城である中村城内の曲輪に妙見を祀り、その郭を「妙見曲輪」と呼びました。中村藩主相馬家の祖・奥州相馬氏は、その祖先・相馬孫五郎重胤が奥州へ下向する際に、下総国相馬郡内から「妙見」「塩釜」「鷲宮」の三社神を鳳輦に乗せ奉って行方郡太田郷へ下り、別所に妙見を安置して最初の屋形を構えたと伝えられています。塩釜明神は上太田に、別所の向かいに鷲宮明神を遷し、これらは現在も大切に守られています。
現在、相馬地方には大きな妙見神社として「小高神社」・「太田神社」・「中村神社」の三つがあります。はじめ太田に建立した妙見社を、重胤が小高城に移るときに勧進して小高城内に祀り、さらに子孫・相馬義胤が中村城を築くとこちらに勧進して中村妙見社としました。中村城内にある「相馬神社」は、明治12(1879)年に中村城本丸跡に建てられ、相馬氏の祖・相馬次郎師常を祀っています。
相馬太田神社 | 小高神社 | 相馬妙見中村神社 | 相馬神社 |
1998年7月27日(月)⇒2001年11月1日(木)⇒2004年8月1日(日)⇒2008年12月23日(火)更新