奥州千葉氏の一族6

奥州千葉氏
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■奥州千葉氏が関わる戦い■

●元亀2(1571)年3月の大崎氏・葛西氏の戦い●

 大崎氏は足利一族の名族である。斯波氏が尊氏に従って軍功を挙げ、奥州探題として貞和年中(1345-50)に奥州に下向、加美郡名生城を拠点として勢力を張った。2代目大崎直持の弟・兼頼は出羽国最上郡山形城に住んで最上氏となる。直持の子孫・持兼の次男・教兼は明応元(1492)年に志和郡高清水城へ移住し、周辺6郡の太守となる。

 しかし、元亀2(1571)年以降、葛西晴信と大崎義隆の戦いが頻発する。当時、大崎義隆は24歳の血気盛んな若武者。葛西晴信と領地をめぐって諍いを起こし、義隆は北に進軍し葛西氏の所領で、寺崎氏が勢力を張る流郷の占領を画策した。この戦いは3月7日から9日までの3日間行われたの激戦であったが、結局、流郷の諸勢力によって義隆は敗北。葛西氏はその領地を保った。

―葛西方諸勢力―

寺崎石見守
(吉次)
岩淵駿河守
(経房)
流熊谷駿河守
(晴直)
流熊谷因幡守
(直隆)
熊谷但馬守
金沢伊豆守
(信胤)
清水刑部少輔
(信晴)
奈良坂能登守
(邦信)
千葉相模守
(信常)
大原千葉飛騨守
(信茂)
千葉常陸介 畠山下野守
(信泰)
男沢越後守
(信吉)
永井讃岐守
(信敏)
稲辺出雲守
(行繁)
小岩筑前守
(信定)
小岩越中守
(信則)
小岩伊賀守
(茂氏)
小岩讃岐守
(信忠)
小岩伊織
(茂安)
千田和泉守
(信光)
板倉長門守
(道尚)
小野寺伊賀守
(道照)
黒沢豊前守
(信久)
佐々木某
鈴木丹波守 気仙沼熊谷図書助
(直正)
千田豊後守
(重高)

●天正18(1590)年

―秀吉の奥州仕置軍に対抗した葛西氏(大崎・葛西一揆)―

(1)深谷荘和淵村出陣(800余騎)

大将 千葉左馬助胤元(登米郡西郡城)
大将 千葉十郎五郎胤永(桃生郡女川城)
及川紀伊守頼貞(登米郡鱒淵城)、千葉修理亮胤則(登米郡狼河原城)、
岩淵遠江守経平(東山郷藤沢城)、千葉新左衛門尉武虎(東山郷黄海城)、
及川美濃次郎頼兼(東山郷津谷川城)、菅原左近将監重国(本吉郡山田城)、
米倉右近行友(本吉郡津谷)、峯岸数馬有盛(本吉郡津谷)、三条小太夫近春(本吉郡小泉城)、
寺崎伊予守祐光(桃生郡寺崎城)、飯野但馬守正秋(桃生郡飯野城)、嵯峨舘左近、水戸部九郎、
箕輪田弥惣右衛門、歌津右馬、亀卦川三郎左衛門、及川隠岐入道、 

→和淵で木村伊勢守吉清の軍と激突し、大将・胤元はじめ諸将が討ち死して潰走。

(2)桃生郡中津山香取(1700余騎)

大将 千葉飛騨守胤重(東山郡大原城)
大将 及川掃部頭重綱(気仙郡蛇ヶ崎城)
脇頭 千葉九郎三郎胤時(東山郷奥玉城)
鳥海美濃守頼勝(東山郷鳥海城)、千葉右馬助吉胤(東山郷上折壁城)、
千葉遠江守胤宗(東山郷下折壁城)、千葉修理亮家胤(東山郷清水馬場城)、
熊谷主馬亮為安(本吉郡気仙沼城)、安部四郎左衛門重時(本吉郡唐桑城)、
横田佐渡守常冬(気仙郡横田城)、人首権太夫(江刺郡人首)、伊手隼人(江刺郡伊手)、
摺沢将監、寺沢丹後、岩淵対馬、矢作内膳、上有住左近 

→千葉左馬助胤元を和淵で破った木村伊勢守吉清の軍を背後から攻撃。蒲生氏郷の軍に攻撃されて潰走。及川掃部頭は佐沼城の晴信に合流し、落城時に乱軍に一人奮戦したが衆寡敵せず、自害した。

(3)栗原郡高清水森原山出陣(1500余騎)

大将 千葉甲斐守胤勝(東山郷薄衣城)
脇頭 千葉大膳亮胤村(東山郷長坂城)
昆野小次郎定住(東山郷千厩城)、柴股大学義武(東山郷釘子城)、笹町新九郎経尚(東山郷西釘子城)、
岩淵壱岐守経道(西磐井郡赤萩城)、千葉左門胤連(流郷日形城)、千葉彦九郎久胤(流郷富沢城)、
及川主計正頼通(流郷男沢城)、蝦島蔵人盛永(流郷蝦島城)、砂小田帯刀、升沢滝口太郎、
金成右近大夫、畑村対馬

→蒲生氏郷に攻められ潰走。大将・胤勝は逃亡した。

(4)寺崎城から佐沼城に居城を移して篭城。

大将 葛西左京大夫晴信
一門 葛西式部少輔信政、葛西民部少輔信国
宿老 及川越後守、青梅尾張守
家老 赤井播磨守、福地下総守、門田丹波守、末永筑後守
侍大将 千葉三河守胤虎(岩谷堂城)、千葉兵庫助胤元(岩谷堂嫡子)、
柏山摂津守胤道(百岡城)、柏山千葉若狭守胤衡(百岡嫡子)、
本吉千葉大蔵少輔胤政(清水川城)、本吉千葉常陸介胤遠(清水川嫡子)、
高田壱岐守胤冬(高田城)、長部藤右衛門正行(長部城)、及川掃部頭重綱(蛇ヶ崎城)
近習 富沢日向守、寺崎石見守
武将 浜田彈正、摺澤出雲、築館筑前、上沼備中、武鑓典膳、金田豊後、柳津三河、馬込四郎兵衛、小山九郎、
今泉左門、赤崎右近、安倍四郎兵衛、手塚庄蔵、二関平蔵、及川淡路、菅原左近、大貫丹藏、千田要人、
佐藤重見、小野寺藤三、須藤弥兵衛、可野助市、矢崎又太郎、下河原丹治、白石求馬

天正18(1590)年

―大崎葛西陣割(大崎・葛西一揆)―

(1)大崎氏陣立

先陣 志田義時(数馬)、玉造義晴(石見)
二陣 伊具時近(大学)、遠田時春(三郎)
三陣 名取時光(次郎)、宮城義国(八郎)
右陣 宇田道国(少輔)、上野兼光(蔵人)
左陣 宮崎時光(九郎)、平 義盛
一門 大崎義政(右兵衛尉)、大崎義繩(左兵衛佐)、大崎義為(右衛門尉)
一門 大崎家成(太郎)、大崎義時(次郎)、大崎義宗(三郎)
大将 大崎義隆(左衛門尉)→【家臣】新田義時(刑部少輔)、新田義清(太郎)
義隆子 大崎義満(右京進)→【家臣】松田義秀(左平治)
義隆子 大崎義道(次郎)→【家臣】亘理国満(左衛門)
義隆子 大崎満隆(三郎)→【家臣】熊谷実時(三郎)、熊谷実光(左平)
 大崎義光(右京大夫)、大崎光時(左京大夫)、大崎義仲(左馬助)

葛西氏惣領盛岡藩葛西氏葛西氏庶流
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