武蔵国留守所惣検校職
●秩父惣領家略系図●
比企掃部允
∥――――――――女子
郡司比企某――比企尼 ∥
∥―――――河越重房
∥ (太郎)
●平将恒――平武基――秩父武綱――秩父重綱―――秩父重隆―――秩父能隆―――+―河越重頼
(太郎) (太郎) (十郎) (留守所) (留守所) (葛貫別当) |(留守所)
|
+―娘
∥―――――小代弘家
小代行平
(????-????)
秩父次郎大夫重隆の嫡男。通称は葛貫別当。「義隆」とも(『小代文書』)。娘は兒玉党の一流である小代小太郎弘家の正室。
能隆は「葛貫(入間郡毛呂山町葛貫)」にあった官牧・葛貫牧の別当職にあったと思われる。能隆は惣領重綱の子ではあるが、惣検校職を帯していた形跡は見られない。
久寿2(1155)年8月の大蔵合戦の際にどこにいたのかは定かではないが、子の河越太郎重頼が武蔵国惣検校職を継承していることや、畠山庄司重能が惣検校職に就いていないことを考えると、久寿2(1155)年の大蔵合戦時には能隆はすでに亡くなっていた可能性があろう。惣検校職は重隆亡き後、まだ十代半ばの孫・河越重頼が補されたと考えるのが自然である。
小代行平―+=小代俊平
(八郎行蓮)|(小次郎生蓮)
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+―小代弘家 母葛貫別当平義隆女河越太郎重頼妹也…
(小太郎)
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