千葉高胤 (????-????)
小城千葉氏三代。千葉大隅守胤貞の長男。別名に「一胤」とされるが、一胤は建武3(1336)年1月13日に足利軍によって三井寺で戦死した千葉介貞胤の嫡子のため、別人。あまり資料が残されていない人物。
『雲海山岩蔵寺浄土院無縁如法経過去帳(岩蔵寺過去帳)』という肥前国に関する古文書によれば、「当郡代々地頭」として、「常胤 胤政 成胤 胤綱 時胤 泰胤 頼胤 宗胤 明恵後室尼 胤貞 高胤 胤平 直胤 胤直 ■継 胤泰 胤基」と歴代の記載がある。ここに見える「高胤」が胤貞の子・高胤と考えられ、この人物は某年8月13日に「肥前国小城郡東方内高胤手取内田地伍町」を「中山殿(中山本妙寺の日祐上人?)」に進上している(『某年平高胤寄進状』)。
小城郡地頭職として胤貞と胤平の間に名が見えていることから、胤貞の嫡子であったと推測され、「高」字も執権・北条高時よりの偏諱と思われる。高時が執権職にあったのは正和5(1316)年から嘉暦元(1326)年の10年間であり、高時からの偏諱があったとすればその間ということになるか。
胤貞から高胤に対して所領の譲状は残されていないが、小城郡地頭職の地位にあったことは『岩蔵寺過去帳』よりわかるため、高胤は胤貞から小城郡地頭職を継いだものの、若くして亡くなったため、胤貞が再度地頭職となり、建武元(1334)年12月1日、高胤の弟「孫太郎胤平」が「嫡子」として譲られたと思われる(『千葉胤貞譲状』)。