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| <名前> | 胤直 |
| <通称> | 小八郎 |
| <正室> | 山本様(遠藤左馬助慶隆女:胤直没落ののち、粥川孫左衛門に嫁ぐ) |
| <父> | 遠藤大隅守胤俊 |
| <母> | 遠藤六郎左衛門尉盛数女 |
| <官位> | 不明 |
| <官職> | 不明 |
| <法号> | 玄西(『経聞坊文書』) |
| <墓所> | 不明 |
父は遠藤大隅守胤基。母は遠藤六郎左衛門尉盛数女。妻は遠藤但馬守慶隆女・山本。通称は小八郎。号は玄西。
父・遠藤胤基が豊臣秀吉の命により、織田中納言秀信に従って朝鮮半島に出兵。その帰国の際に病にかかり、文禄2(1593)年11月23日、長門国国分寺で四十六歳で亡くなった。これによって嫡子・小八郎胤直が家督を継承した。
文禄3(1594)年、伏見城普請の際に、遠藤慶隆・遠藤胤直は東美濃から材木を伐って供出し、普請にも積極的に参加し、伏見城完成ののち、伏見城北側の狼谷(伏見区深草大亀谷)に屋敷を拝領した。
関が原の合戦では、はじめ遠藤慶隆と同心して徳川方につくことを約束しておきながら、寝返って西軍に属したために城を追われ、戦後は浪々の身となった。戦いの後は大坂に住んでいたようである。