『登米龍源寺系譜』、『葛西氏過去牒』、『葛西真記禄』、『奥州伊達支族傳巻之三目録』、『平葛西末永両家系』
(????-1420?)
葛西氏十代。父は葛西陸奥守満良。通称は不明。官途は備前守。妻は某氏(智勝院殿清室妙浄大姉)。江刺氏の系譜に「三郎兵衛満良」の子として「備前守満隆」という人物名が見えるが(『葛西江刺守家譜略伝』)、官途名が親子で一致しており同一人物か。
ただし『葛西江刺守家譜略伝』は時代的にかなりの混乱を見る系譜であるため、すべてを信用することはできないが、南部藩士江刺家に伝わった系譜と仙台藩葛西氏に伝わった葛西氏系譜に似通った人物名があることは興味深い。
●江刺氏系譜(『葛西江刺守家譜略伝』:『岩手県史』所収)
→葛西清重――重高―――兊清―――尚重―――忠清―――義清―清親―――清昭―――――清経――――清定――+
(壱岐三郎)(陸奥守)(紀伊守)(伊予守)(左衛門尉) (伯耆守)(三郎左衛門)(新左衛門)(武蔵守)|
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+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+
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+―満良――――満隆―――持重―――満胤――――隆友――――持胤――――――信重――――満重――――――+
|(三郎兵衛)(備前守)(播磨守)(左衛門佐)(四郎五郎)(伊豆守) (三郎二郎)(左京大夫) |
| 永正十七年卒 永月殿 |
+―清宗 的叟瑞公 |
(四郎太夫) |
→津軽葛西氏祖 |
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+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+
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+―満清―――宗満―――重親―――――+―重任――――輝重――――重恒(南部盛岡藩)
(兵庫介)(左京亮)(三河守) |(播磨守) (治部大輔)(兵庫頭)
永正十七年卒 | 天文七年 永禄二年
| 乾応晴公
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+―重氏
|(左京進)
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+―葛西晴重――時胤――――晴胤――――義重――――晴信
(左京大夫)
応永27(1420)年11月18日、亡くなったと伝わる。法名は浄泰院殿瑞雲良蓮大居士(『龍源寺葛西氏過去帳』ほか)。