相馬野馬追1
翌25日、早朝の中村城下の散策に出かけました。ホテルの朝食時間までには戻ってないといけないので、1時間ちょっとしかありません。若干急ぎ目です。たぶん中村城しか行けないでしょう。
相馬の市街地は城下町だったため、高い建物はあまりなく、道も十字で東西南北よくわかります。メインストリートはすいぶんとキレイな街並みで、道幅も広いです。
しばらく歩いて、昨日も訪れた中村城の大手先御門へ到着しました。この門は武蔵国川越城の城門を模したもので、慶安2(1649)年に作られました。そして、このあたりはかつて藩侯一門の「御一家」と呼ばれる家が屋敷を構えていました。
「御一家」
・岡田家…相馬家から鎌倉時代後期に分かれた一族。御一家筆頭で別格。
・泉家…相馬家から鎌倉時代後期に分かれた一族。岡田氏と同族。
・堀内家…相馬家から室町時代に分かれた一族とされるが、詳細は不明。
・泉田家…相馬家に臣従した海道平氏標葉一族。功績によって御一家に列せられる。
・相馬将監家…初代藩主相馬利胤の実弟・相馬及胤を祖とする。
・相馬主税家…五代藩主相馬昌胤の末子・相馬福胤を祖とする。
城内の堀の周りを歩くと、野球場に出ました。旧中村藩の東二の丸跡で、かつて藩侯の屋敷がありましたが、かなり広大です。屋敷の遺構はもはや何も遺されていませんが、そこに何かあったと考えると楽しくなりますな。
この時点で、時間は朝食の9時に近づいていました。あわててホテルに戻ります。この某ホテルは相馬に来るときには、満室でなければ必ず利用しているホテルですが、朝食もビジネスホテルなのにまったく手を抜いておらず、とてもウマイのです。
朝食も終わってチェックアウトし、小高神社で行なわれる野馬追いの最後の神事を見るために小高へ向いました。小高は相馬から電車で20分くらいの場所で、下総相馬家の庶子だった相馬孫五郎重胤が一族や御内人(北条得宗家の家臣)との領地問題から移り住んだ場所で、いわば相馬家父祖の地とも言うべき地です。
お祭りの時間は不明ながら、お祭りが始まる前に観光地を見ておこうと、小高駅を降りてすぐタクシーに乗り、相馬家の菩提寺・同慶寺へ向かいました。タクシーでおよそ5分、田んぼ道を抜けた先の坂道の途中にあります。畠の中に駐車場と裏参道があり、ここから本堂の裏を回って境内に入ります。
本堂でお参りを済ますと、住職さんが登場。とても気さくな方で、「普段は殿様の墓は開けてないけど、今はお祭りの期間なので開けているから、自由に入ってください」とのこと。どうやら野馬追いの時期だけ廟の門を開けるようです。和尚さん曰く、この殿様のお墓がもう少し有名になればいいのに、とのことでした。
殿様のお墓を拝めるとは、なんと幸運な! 遠慮なく廟所に入ってみました。そこにはずらりと並ぶ江戸期の藩主家の五輪塔が! まさに壮観です。
境内は蝉の声だけが喧しく、人は誰もいません。じっくりとお墓ひとつひとつにお参りをして、廟所をあとにしました。
境内から中門をくぐって表参道を山門へ向かって歩いていくと、向かって右側に道があり、その先には、伊達政宗と戦いを繰り広げた名将「相馬長門守義胤」の墓があります。彼は藩主ではないためか、藩公の墓域には祀られていませんが、山門脇にどーんと構えた苔生した五輪塔はとても迫力があります。その奥には四代藩主・相馬貞胤妻と義胤の後室の五輪塔が建っています。
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▲歴代藩侯墓 | ▲初代藩主相馬利胤墓 | ▲相馬長門守義胤墓 |
藩公の墓所も参拝したところで、本日の目的である小高城址(小高神社)で行なわれる「野馬懸」を見に行きます。本堂に改めてお参りしたあと、裏から通りに出ました。
そういえば、数年前にはじめて野馬追いに来たとき、真夏の日差しのなかで原ノ町からここまで歩いてきたことを思い出します。その当時は、この同慶寺が殿様の菩提寺だとはつゆ知らず、門前の自販機でジュースを買ってスルー。日焼け止めも塗らず、全身真っ赤に焼けあがって大変な思いをした記憶があります。
同慶寺の裏から通りに出て坂を下り、はじめの信号を左へ。このあたりは室町時代に相馬一門の堀内家が館を構えていたところです。そしてその目と鼻の先、一キロほど歩くと、左手に見えてくる小高い山、これが相馬家の居城だった小高城です。
足利尊氏と後醍醐天皇の対立が激化していた建武2(1335)年、尊氏に従って小高城を離れていた父重胤や兄親胤の留守を預かる相馬弥次郎光胤(松犬丸)は、後醍醐天皇方の鎮守府将軍北畠顕家に小高城を激しく攻められ、5月24日に相馬一族とともに戦死した激戦の地です。北畠顕家はこのとき18歳。守る相馬光胤もまだ13~14歳の若者でした。この直後、惣領相馬親胤(光胤の兄)の子・相馬鶴若丸が一族とともに挙兵して小高城を奪還し、室町時代後期まで相馬家の居城として続きました。
そんな、因縁を背負っているお城も、今は小高神社が建てられて、とても平和な空間になっています。お祭りということで、かなりの人だかり、境内に行くと馬、馬、馬です。馬に乗せてもらっているおじさんや、騎馬武者と一緒に写真を撮っている人、とても気さくな雰囲気がまわりを包んでいます。そして、馬のセリが行なわれています。……? 「野馬懸」はいつやるんでしょうね?? ……結構待ちましたが、なんとも始まる気配はありません。総大将と記された観覧席にも人の気配はありません。電車の時間も迫ってきてしまったので、とりあえず野馬懸を泣く泣くあきらめること。
あとで知ったことですが、「野馬懸」は朝の9時から始まっていたとのこと。暢気にホテルで納豆ご飯を食べていたころに野馬懸は始まっていたのでした。そして、同慶寺に参拝したころには、一連の行事はすっかり終っていてあとの祭り状態だったようです。道理で、厩車で馬がのんびりしていたわけです。
これまたあとで知ったことですが、今回見たセリのあとに、御神旗争奪戦があったようです。こちらは特急の時間に間に合わないので、いずれにしろムリでしたが、野馬懸は見たかったです。時間のチェックミスでした。
野馬追いは毎年やるし、また来ればいいだけです。
おしまい