2004年7月 相馬旅行記1-2

相馬野馬追い

相馬野馬追1


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千年の歴史、野馬追い神事

●甲冑騎馬行列

 毎年7月23日から25日まで、福島県相馬市、南相馬市では国指定重要無形文化財「相馬野馬追い」が開催されます。その起源は、平安の昔、平将門が下総国相馬郡小金原で行なっていた馬術訓練であると伝わっています(ただし、将門が相馬郡を領していた事実はなく、起源についてはあくまで伝承)。しかし、確かに数百年にわたって相馬家に伝わっていた妙見神事であることに間違いはなく、それは将門と切り離しても立派な伝統です。

 さて、管理人は「野馬追い」の2日目、本祭を見るために5時起きで「原ノ町」に向けて出発です。相馬野馬追いは、まず騎馬の行列から始まります。その行列のスタートは9時半ですが、行列はゆっくりと進むので、原ノ町駅先の大通りを通る頃(10時ごろ)に間に合わせるスケジュールです。

 そして9時50分ごろ無事に「原ノ町駅」に到着。そこから歩いて15分くらい、行列の通る大通りに着きました。しかし、すでに沿道にはものすごい人数が集まり、観戦も大変です。

 なんとか人ごみを突っ切って、ガソリンスタンドの柱にしがみついて通りを見るもまだ到着していないようですが、そこに具足をまとった武者二騎が駆けてくるではありませんか!

パカッパカッ!(本当にこういう音がします。アスファルトと蹄鉄の音です)

 この二騎が走ってくると観衆のみなさんも一斉にどよめきます。二騎の武者は行列がこれから到着するので、危険なことはしないように、といったような観戦上の注意事項を説明していきました。

 ただ、ここの混雑ぶりではゆっくり見れそうもない、というワケで場所を移動することにし、大通りから一本裏通りに入り、お祭りが行われる「雲雀が原」会場のすぐそばまで来ました。以前来たときに目をつけていたのですが、実はこのあたりはあまり混んでいないのです。みんな駅から最寄の交差点に集中するためのようです。

 やはりこの穴場、行列がよく見えます! 日差しもたまたま雲がかかってあまり強くありません(気温は高いが)!

 整然と並んで進む騎馬武者行列。みんな旗を掲げているので「旗祭り」とも言われているお祭りです。江戸時代には各家ごとに異なったデザインのものが使われていた(今は使い回しかどうかは不明)。また、役職に応じても旗が異なり、「軍者(副軍師の補佐役)」は「下り百足」、「組頭」は「白抜き下がり駒」などなど。肩章には騎馬武者の氏名と役職が書いてあって、沿道から知り合いや家族の人たちが声援をかけています。まさに晴れ舞台ですね。

 地元の小学生も狩り出されて、旗や纏、鉄砲や鑓を持って行列に加わっている。小さな子供もしっかり馬に乗って参加したりしていて、偉そうに背中を伸ばしている姿がなんともほほえましいです。中には外国の人や女性も騎馬武者に混じっています。

 このお祭りは昔の相馬中村藩の行政区分で進行します。なので行列もそれに則り、「中ノ郷(南相馬市原町区)」「小高郷(同市小高区)」「標葉郷(双葉郡浪江町、双葉町、大熊町)」「北郷(南相馬市鹿島区)」「宇多郷(相馬市)」の五郷の順番で進んできます。それぞれの郷が奉仕している妙見神社があり、行列はその妙見神社の神輿を奉じています。そして、それぞれの郷を統括する「郷大将」が各郷に一人ずついて、とくに北郷の大将は「副大将」と呼ばれています。宇多郷は相馬中村藩のお城があるので、藩侯末裔の総大将殿が取り仕切ります。

郷名 現在行政区 統率 奉仕
中ノ郷 南相馬市原町区 郷大将(色纏) 太田神社(太田妙見神社)
小高郷 南相馬市小高区 郷大将(色纏) 小高神社(小高妙見神社)
標葉郷 双葉郡浪江町、双葉町、大熊町 郷大将(色纏)
北郷 南相馬市鹿島区 副大将(紫纏・北郷軍扇) 中村神社(中村妙見神社)
宇多郷 相馬市 総大将(赤纏・金地軍扇)

 そういえば、今回の総大将殿は誰なんでしょう。数年前にお祭りに来たときには、殿様長男・相馬行胤さんが総大将でした。パンフレットも何も持っていないので、その辺の情報がありません。

 すると、行列の最後、宇多郷の終わりごろに、総大将の旗が見え始めました。黒字に日の丸の大旗です。そのあとに…肩章は「相馬市長」殿。なるほど、今年は殿様は祭に参加できなかったため、臨時の総大将ということですね。

●甲冑競馬~御神旗争奪戦

 行列はおよそ1時間で祭場の「雲雀が原」に入りました。もう暑さで汗だくです。。。祭場への入場料は1,000円。

 会場を見れば、観覧席(地面ですが)のある本陣山にはすでにすごい人です! もうかなり高いところに行かないと座る場所がなさそうです。松の木が所々に植えられていて日陰もいくつかありますが、そういった場所はもう開いているわけもありません。

 太陽はすでに中天、気温は人の熱気と地面の熱気でまさに灼熱です。しかも風がないので、暑い空気が溜まっています。

 本陣山を登っていくと、けっこう眺めの良いポジションを発見しました。ここなら会場全体が見渡せます。会場には観客、騎馬武者、馬の世話係などなど、人馬があふれかえっています。まだ始まる前ですが、旗が華やかに踊っています。

 会場についておよそ三十分、いよいよ妙見神への奉納競馬がはじまりました! この高台からではちょっと迫力に欠けるので、下に降りてもっと近場で観察することにしました。

 この雲雀が原は一周1,000メートルの馬場が囲み、羽織を着た騎馬武者数騎が12組、各郷の誇りをかけて、白熱した競馬を演じます。かなり本格的な競馬です。というのも、ここで走っている馬は、もともと競馬で活躍していた馬が多いのです。ただ、競馬場での走りとは、騎手の重量も違うし、ぶつかり合いの激しい競争にもなるので、レースの環境も違って、馬も大変でしょう。

 何はともあれ、直線を疾走して来る騎馬はとても見ごたえがあります。第一コーナーではまだそれほどの差が出ていないので、騎馬が団子状態で突っ込んできます。これはスゴイ! カメラマンたちがこの第一コーナー前に陣取っているのも無理ありません。でも、三脚にさわったなどで口論になるおじさんや、脚立に乗って撮影する人がいたり。「脚立」「三脚」は甚だしく見物の邪魔です。

 話をレースに戻して、馬の腹帯がゆるんで落馬する武者、旗が折れたまま走る武者、いろいろなドラマがあります。会場の中ほどの芝生では騎手を振り落とした暴れ馬がいたり、馬もかなり興奮しているようです。数年前に来たときも、救急車で運ばれていく人がいましたが、今回も数回のサイレンを聞きました。

 レースは12組ありけっこう長丁場です。なので、数組鑑賞したあとは、山の裏側にある「野馬追の里原町市立博物館」の見学に行きました。ここでは野馬追いや相馬の歴史などをわかりやすく解説しています。休憩室でちょっとジュースを買ってひとやすみです。 

 1時間ほどして、競馬の次の祭事、「御神旗争奪戦」がはじまりました。太田神社、小高神社、中村神社の各妙見神社からの「御神旗」を空高く打ち上げ、そこからひらひらと落ちてくる二流の御神旗を騎馬で奪い合う神事です。このとき、落ちてくる御神旗は手で取ることは禁止で鞭で搦め取るというルールがあります。数十騎の騎馬武者がいっせいに落ちてくる御神旗の下にひしめき合い、それはそれはかなり激しいぶつかり合いになっています。

 御神旗を手に入れた武者は、祭場から本陣山めがけて馳せ、ジグザグの「羊腸の坂」を駆け上り、本陣山頂上でお祭を観戦している総大将のもとに参じて、褒美をもらいます。そして、この御神旗争奪戦をもって、相馬野馬追のメインのお祭は終わります。

 明日は小高郷にお祭の場所は移って、小高神社(南相馬市小高区)の境内で、裸馬を素手で捕らえる「野馬掛」の神事と馬のセリが行なわれます。

 今日の取材は、宇多郷の騎馬武者たちが相馬中村藩の本城、中村城に凱旋するのを見に行くのみです。

 ここから中村城までは道なりで25キロほどあるので、凱旋する神輿、馬、人は車に乗って移動です。観客は原ノ町駅まで歩いて、常磐線で相馬駅まで向かいます。相馬中村城へ神輿を還す凱旋「お上がり」は午後5時半ごろですが、まだ午後3時。2時間半もあるので、そんなに急がなくてもよさそうです。

●総大将お上がり

 相馬駅からは、中村城まで徒歩で向かいます。

 中村城は相馬駅から東におよそ2キロ。駅を出て少し歩くと、中村城の旧堀に出ます。中村藩は公称六万石の小藩ですが、城下町は掘割などで緻密に整備されています。城内にはかつては天守閣や二階楼の城門も置かれ、石垣が葺かれた立派な城でした。堀は街なかに突然現れますが、すでに生活空間の一部となって、違和感なく日常に取り込まれています。

 掘割を廻って、「大手先御門」から城内へ入ります。大手先御門をくぐると、サッカー場が広がっていますが、ここはかつて「長友」と呼ばれた「南二ノ丸」址で、中村藩「御一家」の泉田家の屋敷がありました。

 大手先御門から右手に行くと、「中ノ門」址の石垣が残っています。騎馬武者は大手先御門をくぐって、この中ノ門址を通り、城内「妙見曲輪」の中村神社へと向かいます。

 行列はここ中村城内にいったん集まり、総大将や軍師、軍者、奉行、侍大将ら幹部は、城内妙見曲輪の妙見神社(中村神社)境内で「軍議」を開き、総大将から表彰を受けます。中村神社の石橋を渡って、境内(旧中村城妙見曲輪)に入ると、そこにはかがり火が焚かれ、床几が数十脚置かれています。上座には駒が跳ねる絵が描かれた陣幕が張られ、九曜紋付きの台が置かれています。陣幕の後ろには鑓が十本、黒地に朱の藩主の旗印が二流はためいています。

 しばらくして、総大将(相馬市長)ほか、勘定奉行、軍師など幹部が床几に着席します。ここでタバコを吹かして大笑いする奉行がいましたが見苦しいですね。緊張感がまるで感じられません。

 さて、しばらくして法螺貝が吹かれ、妙見神社へ向かってながい礼。観客も礼。

 

 軍議では総大将から祭りの総括が下され、内容報告や競馬などでの功績者への「論功行賞」が行なわれます。

 最後に軍師から「みなさんは明日からはそれぞれの仕事に戻るが、来年もまたこの中村神社の境内で無事に再開できることを誓いましょう」というような訓示があり、解散となります。「武者」として三日間過ごした参加者も、この時点でそれぞれ一般市民に帰り、普通の生活に戻ります。なんともフシギな感じですが、これがお祭りというものでしょう。

 そういえば、祭りの前にお酒を飲みながら馬に乗っていた年輩武者(道交法違反?)が、青信号で歩道を渡っていた観光客に「無礼者!」と喚いていましたが、どうなのでしょう。「祭り」の範疇を超えて「その気」になってしまっては、ただのコスプレとおなじ。祭りがよりよくなることを祈るばかりです。

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