旅行記 小城旅行記5

小城市

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小城千葉氏をめぐる佐賀の旅

●唐津へ

 午後5時32分、唐津駅着。市内に食事に出かけたものの、めぼしいものがなく、唐津に着てまで「ほか弁」を購入し、ホテルの室内で食事。今日は明日の計画を立て直して就寝です。唐津は唐津藩六万石の城下町で、藩主は小笠原家。玄界灘に突き出た山上に城はそびえたっています。

 旅行三日目の今日、唐津市内散策に出かけてみました。まず、市内の「浄泰寺」へ。ここは安田作兵衛(天野源右衛門)の墓所があります。彼は天正10(1582)年6月2日未明、明智光秀の部将として京都の本能寺に攻め入り、織田信長に槍をつけた武勇の士として知られています。その後、あちこちの家に仕えては去りを繰り返し、ついに旧友の唐津城主・寺沢志摩守堅高に招かれてその客分になったようです。そして唐津で亡くなり、この寺に葬られました。

 近松門左衛門墓

 

 続いて「瑞風山近松寺」へ。ここは唐津藩主・小笠原家の菩提寺で、寺紋も三階菱。本堂裏手には寺沢堅高の墓碑をはじめ、小笠原家の墓石がずらっと並び、一番奥には「小笠原胖之助之墓」がありました。小笠原胖之助は幕末の唐津藩主・小笠原長泰の末っ子ですが、実は新選組隊士「三好胖(みよしゆたか)」その人です。義理の叔父で老中・小笠原長行に可愛がられていたため佐幕の心を強くし、戊辰戦争では唐津藩士九人とともに上野戦争に参加しました。その敗北後は会津若松へ落ち、さらに北海道へ渡って新政府軍と抗戦。胖は土方歳三の麾下に属して新選組指図役となり、函館の戦いで戦死しました。享年十七。そんな公子は函館で亡くなったのち、故郷の唐津に埋葬されました。ちなみに、長行も函館合戦で新政府軍と激戦を繰り広げたが、敗れて降伏しています。

 この寺には、浄瑠璃の近松門左衛門のお墓もあります。それも藩公・小笠原家よりも立派です。

             【唐津藩主】                            【老中】
              小笠原長昌―+―――――――――――――――――――――――――――小笠原長行
             (主殿頭)  |                          (壱岐守)
                    |                            ∥
       【庄内藩主】       |                            ∥
        酒井忠温        |                            ∥
       (左衛門佐)       |                            ∥
        ∥           +=小笠原長泰―+=小笠原長会=小笠原長和=小笠原長国――娘
【福岡藩主】  ∥―――――酒井忠徳―+―(壱岐守)  |(能登守) (佐渡守) (中務大輔)
 黒田継高―――為姫   (左衛門尉)|        |
(図書頭)              |        +―小笠原胖之助
                   |         (新選組隊士:三好胖)
                   |
                   +―酒井忠器―――――酒井忠発
                    (左兵衛督)   (左衛門尉)

 境内の奥には藩公小笠原家の資料館「小笠原記念館」があり、藩公ゆかりの掛け軸や書が飾られています。小笠原流礼法家ということもあり、芸術にも長じていた家だったことがうかがえます。 

  

 

 唐津市中心街は石垣や濠などいまだに城下町の雰囲気をあちこちに感じることができる街で、「唐津くんち」が行われます。その中心地となる「唐津神社」へお参りしたあと「唐津城」へ。唐津城は海を背にしている城で、すぐ隣は海岸、城の脇にある唐津東高校は、かつての城の石垣の上に建てられていました。

 天守へ向かう階段を登ると、ツツジやフジが咲き乱れ、初夏の雰囲気が漂っています。眺めがいい城の広場には天守閣がそびえ、中にも入ることができます。ちなみに内部は資料館になっています。安田作兵衛が本能寺の変で使用した槍も展示されていました。

 今日もこの唐津に泊まるので、早朝にまた来てみようと思いつつ城をあとにし、伊万里へ伊万里焼の体験をしに行くことにしました。

 

●伊万里で伊万里焼実践!

 唐津から伊万里までは電車で約50分、午後12時51分、伊万里駅に到着。ただ、お腹が減っていたので、まずは腹ごしらえ…ということで、情報誌に載っていた「ステーキの店 伊万里亭」へ行くことに。ここは佐賀牛のステーキを出してくれます。すこし高いですが(以前の場所の店舗は2008年3月21日移転のため閉店)。

 腹ごしらえも終わったところで、伊万里焼の窯元工房での体験工房のお店を探すため、いったん伊万里駅前に戻りました。

 とりあえず駅前の観光案内所で情報を集めることに。なんとか窯元までのバスは見つかったものの、すでに午後3時をまわっており、今から窯元に行って体験したとしても、帰りの最終バスには間に合いそうもないことが判明(バスが意外に早く終わってしまう!)。やむなく、市内の窯元で体験ができそうなところを探すことにしました。すると、「伊万里陶器資料館」という建物を発見。その並びにあった「肥前屋」さんで、絵付けの体験ができるという! 早速体験を申し込むと、若い兄さんが二階へ案内してくれました。二階の奥の畳の部屋で絵付け作業を行うようです。しばらくするとさっきの兄さんが素焼の皿を持ってきました。

 これに岩絵具を乳棒で砕いた液体でささっと描く。液濃度の違う三つの絵の具皿を用意して、練習用の皿で実際に描いてみますが、線ひとつを描くのも想像以上に難しい! でもちょっと慣れてきたので、描き始めました。で、佐賀まで来た本来の目的は千葉氏の調査、ということで、「月星」デザインのものに。デザイン的には難しくないハズだったのに、目が回りそうな皿が仕上がりました。しかも、うっかり指紋までついています。

  

 

 このときに描いた皿は、後日焼いて送ってきてくれるとのこと。兄さんは我々の作業の間中、ひたすらケータイのカメラに納め続けていました。どうやら、お皿を送るときに一緒に製作中の写真も送ってくれるようです(なお、後日送られてきた写真は、別の人のと取り違えたモノでした…)。

 描き終わって、1階の店舗に降り、お皿を数枚購入して店をあとにしました。このときすでに午後5時をまわっていて、午後5時29分、伊万里駅発の一両編成の電車に乗り込み、唐津駅へ。余談ながら、唐津駅のとなり、鬼塚駅はちょっと面白い駅で、駅舎の裏がすぐ川になっていて、電車から見ると、駅舎が川の中に浮いているような錯覚を覚えます。

 午後6時22分、唐津駅に到着し、今日の旅はここで終了。明日は早朝からお城へ向います。

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