葛西家惣領 葛西義重

葛西氏

『登米龍源寺系譜』、『葛西氏過去牒』、『葛西真記禄』、『奥州伊達支族傳巻之三目録』、『平葛西末永両家系』

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葛西義重(1553-1573?)

 葛西左京大夫晴信の嫡男。通称は三郎

 元亀2(1572)年8月17日、「葛西三郎」は将軍・足利義昭より「義御字」を拝領した。奉者をつとめた「兵部大輔藤孝」はのちの細川幽斎玄旨の事で、「特被染御筆候」と、将軍自ら「義」字を記したことを「尤面目至候」とし、「爰ニ御礼可被申入事、肝要存候」と将軍家への御礼を欠かさぬようにとの配慮を示している。

 天正6(1578)年、興田妙見社を改修したことを示す棟札に「大檀那平義重■部少輔」の名が見える。おそらく葛西義重だろう。興田妙見社は明応7(1498)年、惣領・葛西宗清と思われる「大檀那平宗清」が建立した妙見神社である。ただし、この当時、葛西晴信が家督として活躍していることから、義重は嫡男として扱われていたのだろう。

 義重は永禄15(1573)年11月13日、二十一歳の若さで亡くなった(『葛西真記録』『平葛西末永両家系』)とされているが、永禄13(1571)年が元亀元年となっており、永禄15(1573)年は存在しない。天正6(1578)年に「義重」の名が見えることから、卒去はその後か。法名は■山殿金蓮天真


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