旅行記 小城旅行記1

小城市

吉野ヶ里遺跡の旅



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佐賀県の千葉氏調査

●吉野ヶ里遺跡に行ってみる

 佐賀県小城(おぎ)市。小城羊羹で有名な小ぢんまりとした町です。博多から鈍行列車で1時間半、佐賀市のすぐ西にあります。鎌倉時代に千葉介常胤が地頭職を得て以来、千葉家ゆかりの地として栄え、現在も「小京都」のひとつに選ばれています(全国の小京都)。

 肥前千葉家の本拠地ということで、以前から行こう行こうと思っていながら、ものすごく遠いために二の足を踏んでいた所でしたが、ついに一大決心し、GWというもっとも混んでいる時期に出かけることにしました。ついでに、吉野ヶ里遺跡、佐賀市、唐津市、福岡市をまわります。

 7時13分東京発博多行きの新幹線のぞみに乗り、5時間17分という超長旅の末、博多駅に到着しました。飛行機が大キライな管理人はどこ行くのも電車です。北海道すら電車でした。

 さて、博多駅で電車を乗り換え、最初の目的地、「吉野ヶ里遺跡」へ向かいます。

 5月のアタマで、周りはすっかり初夏の陽気。太陽は程よい熱さで心地よく、田んぼからは緑の濃い匂いが湧き上がってきます。吉野ヶ里駅から吉野ヶ里遺跡までは道がキレイに舗装されていて、しかも途中にも案内ボランティアのおじさんたちが立っているので、迷うことなくたどり着けます。ふと目を右にやると、田んぼのなかに高床式倉庫が見えてきます。いまは手前に民家や電柱があってあまりぱっとしませんが、古代には高台にそびえる建物群は非常に目立ったんだろうなぁ。

 

 遺跡の公園に入ると、なんとも古代遺跡に似つかわしくないキレイな道とゲートが見えます。ちょうど昼時ということもあり、とりあえず入場ゲートの脇にあるレストランで昼食をとりました。メニューも吉野ヶ里にちなんだネーミングのものでした。たしか。

 さて、入場ゲートをくぐって橋を渡ると、一気に弥生時代な建物群が見えてきます。道はきちんと整備されていますが、弥生時代の状態を再現している部分などは手を抜かず古めかしい感じを残していて、いい感じ。遺跡の中心部に繋がる広場には、無料で拝観できる資料館がある。甕棺や鎧、臼、装飾具なんかの発掘品が展示されていて、けっこう飽きません。

 そのほか広場には物見台が数基建っていて、そのうちのいくつかは登れるようになっています。高台にある遺跡に立つ物見台だけあって、平野が一望できます。吹いている春風も心地イイ。。。けど、ちょいと高すぎてコワイ。。。ほかにも住居や高床式倉庫などが再現されていて、その中に入ったりもできるので、弥生時代の雰囲気の中で十分に楽しめます。

 

 遺跡の北側には、ムラのもっとも重要な場所があります。そこは他と異なって堀と土塀と柵で厳重に囲まれた一角になっています。柵の外れにあるクランクを通って鳥居をくぐると、そこは神殿と倉庫、物見台のある広場になっています。神殿は三階建ての巨大な建築物で、中ももちろん見ることもできます。ただ、遺跡は平面の発掘なのに、なぜに高さや階層がわかるんだろうかと、ちょっと疑問に思ったりもしましたが、きっと専門家はわかるんでしょう。

 そして、すこしコースを外れて、「現場公開→」という看板に誘われてまさに今発掘中の現場へ行ってみました。吉野ヶ里遺跡から数百メートル北にある高台の森の中にある約二千年前の墓地です。

 吉野ヶ里遺跡が繁栄していたころ、庶民が埋葬された場所とのこと。発掘現場では学芸員のおじさんがいろいろと説明をしてくれます。甕棺は大きなものから子供用のものまでかなりの数が発掘され、まだ骨が残っているものもありました。

 かつて、この吉野ヶ里遺跡一帯は工業団地がつくられる予定でしたが、吉野ヶ里遺跡が発見され、その重要性が知られるに及び、工業団地計画は中止になりました。開発は中止になったけれど、文化が残され、田園が広がる環境は残されました。なお、時代はまったく違いますが、吉野ヶ里遺跡の後方に見える山は、中世北九州に栄えた少弐氏の城・勢福寺城です。

 吉野ヶ里を満喫した後は、電車に乗っていよいよ佐賀へ向かいます。ホントは大宰府にも行きたかったのですが、時間の都合でどーしても行けないことがわかり、泣く泣く断念。。。

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