海禅寺(茨城県北相馬郡守谷町高野1337) ●MAP● | ||||||||||||||
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下総相馬氏ゆかりの寺院。大雄山海禅寺。寺の紋も相馬氏とおなじ九曜紋を用いています。承平元(931)年、平将門が父・平良持(「良将」は誤りと考えられる)の菩提を弔うために創建したとの伝承があります。 相馬氏は将門を祖神として崇めており、海禅寺にも将門とその影武者七人の墓とされる八基の石塔が残っています。向かって右端のもっとも大きな石塔には「平新王墓」と刻まれており、これが将門の墓とされます(ただしそのほとんどが江戸期の作成とされる)。 同寺は利根川を南に望む舌状台地上にあり、相馬氏が水運を取り締まった拠点のひとつであったのかも。境内には、将門ゆかりの八つの石塔のほか、江戸時代に旗本となった守谷相馬家の末裔・相馬要胤、相馬信胤の墓が残されています。 寺に伝わる『海禅寺縁起』は、守谷藩主となった堀田正俊(備中守)が寄進した海禅寺の由来をまとめた書物で、昭和54(1979)年10月、町の指定文化財に登録されました。
■海禅寺の概要■
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