2時10分ごろ、相馬駅に到着。まちはとても静か。駅に降り立つ人もまばらです。
目的地は、相馬昌胤ゆかりの涼ケ岡八幡宮、都玉神社、相馬家菩提寺の洞雲寺です。もう少し早く着いてれば、歩いて行こうと思っていましたが、今日の宿は仙台のため、電車の時間を考えてタクシー。
相馬駅前には結構タクシーが並んでいます。タクシーの運転手に「涼ケ岡八幡宮まで」というと車を走らせてくれます。相馬は観光地ということもあってか、ポイントの寺社は把握してくれています。
そして、およそ10分ほどで八幡宮に到着。距離にしても五キロほど。ここの駐車場でタクシーに待ってもらい、八幡宮に参拝しました。真っ赤な楼門は、浪江大聖寺の相馬昌胤が寄進したもの。史書にはここには御一家の人々が奉納したという燈籠があると書いてありましたが、すでにそれはありません。
境内には、冤罪で処刑され祟り神になった家老・門馬八郎兵衛隆経を祀った「體興霊神」が城下から遷座されていました。その「祟り」は凄まじいものだったようで、当時の藩主・相馬恕胤は京都の吉田神道宗家に鎮魂の依頼をしたほどでした。小さな社ですが念入りにお参りしておきました。
駐車場に戻り、次の目的地の「都玉神社」へ行ってくれるよう伝えると、場所を知らないとのこと。小さな神社なのでさすがに観光地ではなかった…。とりあえず地図を見せると、「あ~~!」と車を走らせてくれました。そして八幡宮正面の細い小道を走り、常磐線の踏切を渡った直後の左手にその鳥居が見えました。駐車場はなく田んぼのあぜ道に駐車するほど小さな神社です。タクシーの運転手は
、
「ここからだと鳥居も撮れるよ! ちょっとまってて車動かすから」
と、タクシーをわざわざ動かしてくれました。その好意に甘え、鳥居の写真を撮ってみました。
この「都玉神社(くにたまじんじゃ)」は、相馬昌胤の三男・相馬都胤(くにたね)が埋葬されている奥津城でもあります。都胤の魂を祀るから「クニタマ」と思われます。
またタクシーに待ってもらい、鳥居をくぐって山に入ってみました。小さい神社と思いきや、なかなか立派な参道で、しかも、キレイに砂利が敷かれ手入れがされています。静寂に包まれたいかにも神社というイメージです。ただ、杜の中には昨日の雨の湿気が籠もって、かなり蒸しています。周囲は田んぼに囲まれているように、常に湿度の高い神社と思われます。
参道を少し歩いた先にある石段を登ると、ここを守る人以外は誰も来ないだろうという感じの社殿がありました。境内は草木が生い茂り、最近手入れはされていない印象。松の間には二つの石灯籠があり、銘を見ると、都胤の父・昌胤と兄・尊胤が都胤の冥福を祈って奉納したものでした。
都胤は昌胤隠居後の子供であり、昌胤は寵愛してその姿絵まで書かせています(都玉神社に奉納されています)。しかし五歳で夭折してしまったため、昌胤は嘆き悲しみ、朱をつめた石棺に都胤を寝かせてこの山に埋葬しました。その哀悼の意の強さがうかがえます。
社殿の左手には小さな低い朱の鳥居があり、市が建てた史跡票には「相馬都胤廟」とあります。なかなか怖い鳥居ですが、ここまできたら都胤廟を参拝するほかありません。
低い鳥居をくぐって、熊笹が生い茂し、蜘蛛の巣の張るじめじめしたケモノ道をひたすら登ります。最近は誰も参拝していないことは明らかな感じ。落ちていた木の棒で切り開き、蚊を追い払いつつ登っていくと、急に開けた広場に出ます。そこには土盛の塚がひとつ、両脇に石灯籠、そのとなりに相馬市の説明看板が建てられていました。この塚が相馬富松都胤の墓所です。
この灯篭の奉納者を確認したかったのですが、すさまじい数のヤブ蚊が飛び回っていたため、塚に柏手を打って参詣の報告をし、急いでもと来た道を下ります。
また小さな鳥居をくぐって神社の境内に戻りましたが、服を見ると、シャツは露に濡れてびしょびしょ、ジーンズに至っては泥撥ねまで。これはこのままタクシーに乗ったらシートが汚れてしまうな。というワケで、たまたま持っていたポケティで拭く! さらに拭く!! 泥さえ取れれば大丈夫。なんとかドロドロは取れたのでタクシーに戻り、タクシーの冷房で一気に服を乾かします。
続いて行ってもらったのが洞雲寺。ここは相馬家の女性や子供の菩提寺です。もともと長松寺というお寺で、初代藩主・相馬利胤の奥さん・長松院殿(徳川秀忠養女)の菩提を弔うために建立されているので、代々の殿様の奥さんなどが葬られるようになったのでしょう。
長松寺は現在では南相馬市に移って、すっかり寂れているようです。タクシーとはこのお寺で別れました。
お寺の山門をくぐると、立派な本堂。今日はなにやら講話が開かれているようなので、遠くからお参りしてそのまま藩侯家の墓参に。一般の墓地から土の坂を登った先に、森に囲まれた静かな空間に藩侯家の墓所はありました。石垣の入口から続く石畳、そこに巨大な五輪塔が整然と並んでいます。誰々の墓とは紹介されていませんが、その墓石には風化してうっすらですが、わずかに元号が確認できます。大きな六基の五輪塔のほか、小さいお墓にもお参りをして、廟所を出ます。そして、そこからさらに高台にある、相馬家の名臣・草野正辰一族の墓参をしてきました。草野正辰は天保の大飢饉に見舞われた相馬中村藩に、二宮尊徳の報徳仕法を持ち込んで、復興の足がかりを築いた名士です。
▲相馬家菩提寺・洞雲寺の相馬家墓所の配置図と刻まれている没年から導いた被葬者。
洞雲寺を出たらあとは相馬駅まで歩き、常磐線で仙台へ向かうだけですが、夏の暑さに加えて湿度も高く、濡れた服はまったく乾く気配がありません。なんともこの不快感はぬぐえません。さらに小雨も降り出しました。
相馬駅に向かう途中、相馬家の居城・中村城に立ち寄りましたが、野馬追いのときの喧騒はどこへやら、雨模様もあって城はひっそりと静まり返っています。
城内妙見曲輪にある中村神社にお参りして、お城の裏門から反対側に出ます。中村城の北西部、ここは御一家筆頭の岡田家の屋敷があったところで、専用の曲輪と家臣の屋敷を置くことが許されていました。岡田家は鎌倉時代に相馬家から分かれたもっとも古い一族で、別格でした。そんな別格の岡田家は江戸時代を通じて忠実に殿様の指示に従い、血縁関係も藩公や他の御一家、藩士と複雑に血縁関係がありました。
さて、今日の旅はこの辺でおしまい。ちょっと大手先門のほうに廻って、相馬市役所前の「まる久」というそば屋へ。ここのそばは絶品! 店の雰囲気も落ち着いていて、相馬に来るたびに寄っているお店です。まだ濡れている服を冷房で乾かし、腹ごしらえもすんだところで、旅館をとっている仙台に向かうことにしました。