宗胤寺(千葉県千葉市稲毛区弁天4-11) ●MAP● | ||||||||||||||||||
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本光山宗胤寺。曹洞宗。千葉新介宗胤を祀っている。
弘安10(1287)年、宗胤は、父・頼胤をはじめ、元寇による戦没者の慰霊のために千葉庄内に宗胤寺を建立したと伝えられている。ただし、宗胤は肥前の警備についた後下総に帰った形跡はなく、宗胤の死後、彼の菩提を祀る寺として建立されたのだろう。 宗胤寺は、かつては千葉の都川のほとり、現在の千葉県庁立体駐車場の地の場所にあり、かなり広い寺域を誇った寺院だったが、昭和20(1945)年8月の千葉大空襲によって焼失。現在の地(稲毛区弁天四丁目)へ移された。同じく被災した大日寺や来迎寺なども轟の地へ移転した。 寺には肥前千葉氏の紋と伝えられる「真向かい月星」が輝き、墓所の奥には宗胤の墓(追善供養塔か?)と伝えられている五輪塔が建っている。宗胤はおそらく肥前の地で亡くなったと思われ、佐賀県小城郡小城町の円通寺に葬られたのだろう。円通寺の門前に宗胤夫妻の墓といわれる墓石が並んでいる。
■宗胤寺の概要■
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