佐賀県三日目。今日は佐賀から福岡、京都へ向かいます。
朝8時、早々にホテルをチェックアウトし、佐賀城の南一帯に集まっている乾亨院、圓蔵院(馬場頼周に討たれた龍造寺一族の菩提寺)などの龍造寺家の菩提寺群、水ケ江龍造寺家屋敷跡を急ぎ足で回ります。今日は、17時過ぎの博多発の新幹線に乗らなければならない上に、博多では福岡藩主の菩提寺・崇福寺にも寄る予定なので、14時過ぎには図書館を出ていないと厳しい。ということで、龍造寺家菩提寺群を見たあとは、すぐに図書館へ。時間はすでに10時を回っていました。
▲円蔵院 ▲乾亨院と佐賀の乱戦死者碑 ▲龍造寺隆信生誕地
14時半、図書館を出て佐賀駅へ向かいます。途中、龍造寺家の名のもとになったという高寺(龍造寺)にお参りし、目の前にある龍造寺八幡宮を参拝。駅に到着後、たまたま滑り込んできた博多行の特急に飛び乗って約三十分、博多へ到着しました。
▲高寺 ▲龍造寺八幡宮 ▲佐賀駅
博多から崇福寺の最寄り駅である地下鉄の千代県庁口まではそれほど時間はかからず、街なかに埋もれていた崇福寺も思ったよりも早くたどり着きました。
崇福寺の山門はあきらかにお寺の山門とは異なる形で、屋根には鯱が乗り、まるで城門。説明板を見れば、やはり福岡城の本丸表御門ということでした。境内は藩主の菩提寺というだけあって広々としていました。奥には禅宗独特の白地に黒柱の本坊がみえます。そういえば、以前、東京広尾にある黒田家菩提寺・祥雲寺に行った際に見た風景とこの崇福寺の景色はどことなく似ています。
▲山門(旧本丸御門) ▲崇福寺境内 ▲方丈門(名島城唐門)
崇福寺の方丈への門は閉じられていたため入れませんでしたが、この方丈の表門は、小早川隆景(毛利元就三男)が築城した幻の名城・名島城の唐門が移築されたものだとのこと! 慶長7(1602)年に黒田長政が福岡城に移るまで、筑前国を治める居城として栄えました。藩主の廟所は残念ながら入口が閉ざされているので、入ることはできませんでした。
崇福寺を出たころにはすでに16時を回っていました。ここから東公園を通り、巨大な亀山上皇の銅像を拝し、その先にあったさらに巨大な日蓮上人の銅像を見て、JR吉塚駅から博多へ。新幹線の発車時刻まではまだ40分ほどあったので、かるく土産物を買って、これまたのぞみN700系に乗って九州を後にしました。
京都へは三時間ほどの道のり。N700系の広い座席だったのでとくに苦にならず、佐賀で集めた資料を読み直していたら、あっという間に到着。明日はGWの初日ということで、20時を過ぎているのに、旅行カバンを持った人が結構いました。