旅行記 小城旅行記1

小城市

佐賀の旅
~京都・宇治編~



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 旅行四日目。京都の旅、朝は朝食前に北野天満宮と平野神社へ散歩です。京都駅から市営バスに乗って北野天満宮へ。運賃は210円。まだ7時ちょっと過ぎ、朝も早いせいか、バスを待つ人もまばらです。しかし、途中で見た二条城ではすでに駐車場に車が入っています。こんな早くから開いているのだろうか? 今回は時間の関係で二条城へは行けませんが、次回は行こうと思っています。

 7時51分、北野天満宮はまだ人もまばら、のどかな雰囲気です。長い参道を通り、楼門、三光門を抜けて本殿でお参り。本殿は慶長12(1607)年に豊臣秀頼によって建立されたもので、国宝です。朝もやが太陽にあたって、なんとも素朴な感じが漂っています。

北野天満宮楼門 北野天満宮三光門 北野天満宮本殿

 紙屋川の清流に沿って境内を出て、平野神社へ向います。この平野神社、延暦13(794)年に奈良から都が遷されたときに、ともに遷されてきた皇祖神を祀る神社です。いわば、京都で最も古く、天皇家と最も所縁の古い由緒正しい神社なのですが、ほかの寺社仏閣と比べてあまりに地味で、知名度はほとんどありません。隣の北野天満宮がでかいので、掻き消されている感があります。境内もさして広くない上に見所があまりなく、ガイドにも載ってないほどです。が、桓武天皇の母・高野新笠の出自と平野神社の性格について興味があった管理人は、この平野神社参詣を今回の京都訪問のベースに据えていました。高野新笠の出自と平野神社の関係、さてまた桓武天皇がなぜこの御霊を京都へ持ち込んだのか、そこには大きな理由があったと考えながら、参詣していました。

平野神社鳥居 平野神社

 平野神社を出て、少し先のバス停でバスに乗り、京都駅へ。ホテルへいったん戻った後、宇治へ向います。

●宇治橋

 10時22分京都発の奈良線城陽行に乗って南下します。みんな動き始める時間のためか、かなりの混み具合です。約30分後の10時51分、宇治駅に到着。駅前の売店では、宇治茶の試飲と宇治限定宇治茶ボトルが売られていました。さすが宇治、お茶の匂いが漂います。

 宇治は平安時代の貴族の別邸が建てられていた土地で、宇治川の流れと山の景色が今でもすばらしいです。川と山のコントラストは、やはり別荘地だった嵯峨野の桂川と嵐山に似たものがあります。

中村藤吉 駅から少し歩くと、老舗のお茶屋「中村藤吉本店」が見えてきます。昔ながらのお茶屋の佇まいのある店内を通り過ぎて中庭に出ると、その奥には抹茶カフェがあります。ガイドブックなどにも掲載されているためか、かなり混んでいます。時間もないので今回は断念。実は前回も混んでいたため断念し、中庭で売られている抹茶アイスで我慢しました。早めに来ないとすぐ席が埋まりますな、ここは。

宇治橋 商店街をしばらく歩くと、宇治川に出ます。800年ほど昔の源平合戦で、名馬「生唼」にまたがる佐々木四郎高綱と、これまた名馬の「磨墨」を駆る梶原源太景季の先陣争いが繰り広げられたところで、今も昔も変わらず急な流れですね。

 川には大きな橋が架かっていますが、「宇治橋」といいます。今の橋は平成8(1996)年に架け替えられたものですが、もともとは奈良時代には架けられていたようで、日本三大古橋の一つに数えられています。

宇治橋の欄干 治承4(1180)年、以仁王(後白河法皇皇子)と源頼政が打倒平家の兵を挙げた際、以仁王は南都の寺院勢力を頼って奈良へ向かいました。これを追って平家の手勢が宇治まで進撃して来ましたが、以仁王側の手によって橋板が外されていたために平家勢はここで足止めされることになりました。結局、平家勢が宇治川を馬で泳ぎ渡ったため以仁王勢は敗れ、主将の一人・源頼政は次に行く平等院で自害。以仁王はさらに南の光明山の麓で討たれました。

 川辺から少し戻って、川に沿った商店街を通り抜けると、平等院があります。平等院は平安時代中期の藤原頼通が永承7(1052)年、父・藤原道長の宇治別邸を寺に改めたのがはじまり。以来、代々頼通の末裔が所有してきました。

●平等院

平等院山門 12:00、平等院の門前に到着すると、すでに行列。さすが天下の平等院です。境内に入ると左手にあまり目立たない観音堂、目の前にはちょうど盛りの藤棚、右側には鳳凰堂の左釣殿が見えます。平等院といえばやっぱり鳳凰堂ですね。

鳳凰堂 鳳凰堂の真正面は開けていてカメラスポットになっているので、たくさんの人だかり。以前はここに枝垂桜と紅葉の木が植わっていて、鳳凰堂全体を撮るのはけっこうムズかしかったのですが、今回はずいぶん撮りやすくなっていました。

平等院2 鳳凰堂前の「阿字池」を巡ると、この季節は蓮華と躑躅を通して斜めから鳳凰堂を見ることができます。蓮華はもう少しあとの方が見頃になります。そこから鳳凰堂の側面と裏側を観て、「鳳翔館」という平等院の博物館を見学します。ここは個人的に結構面白かったですね。鳳凰堂の堂内を飾っていた楽器を奏でる菩薩たちの像や鳳凰堂の屋根に載っていた鳳凰像(実物で国宝)も見ることができます。

源頼政墓 「鳳翔館」を出ると、なんともくつろげるスペースがありました。鳳凰堂を望む高台の板張りスペースで、若干疲れた足をここで回復させます。

 その高台から下へ階段を降りると、不動堂と最勝院があります。そして不動堂の脇に、源頼政の墓という石塔が鎮座しています。源頼政は治承4(1180)年、後白河法皇の皇子・以仁王を奉じて打倒平家の兵を挙げるも、この平等院の「扇の芝」で自害した源氏の棟梁の一人です(源頼朝とは別流)。

●源氏系図

源経基――源満仲―+―源頼光――源頼国――源頼綱――源仲政――源頼政
         |
         +―源頼信――源頼義――源義家――源義親――源為義――源義朝――源頼朝

 その後、最勝院を見学して平等院を退出。宇治川へと向います。

●平等院の対岸を散策

中村藤吉平等院店 このあたりでやや小腹が空いて来たので、ウロウロと昼飯屋を探すと、宇治川を望むちょいとした抹茶カフェ発見! 宇治駅前の中村藤吉の別店のようです。さっそく暖簾をくぐって中に入りますが、やっぱり満席。午後3時半、オヤツ時でした。待つこと十数分、川を望む席に案内され、抹茶づくしの昼飯兼オヤツを堪能しました~。

石塔 店を出て平等院の参道を川沿いに歩くと、橘橋という中洲へ掛かる橋が見えてきます。宇治川には大きな中洲があって、ここには鎌倉時代の弘安9(1286)年に建立された石塔が遺されています(重要文化財)。漁猟による魚たちへの供養塔で、洪水で崩れるたびに積み直されてきました。実際に見上げるとかなりの高さ、15メートルにもなる巨大なものです。宇治川の先陣争い(梶原景季と佐々木高綱の先陣争い)の碑も建立されています。

宇治川 この中洲から、また橋で対岸へと渡ります。この赤橋から眺める宇治川と山々の構図はとてもいいですね~(^^)。

 橋を渡ってすぐのところに、宇治神社があります。境内はそれほど広くはないものの人は多く、お参りしたあと、境内から宇治上神社へ向います。この宇治神社、宇治上神社の二社は、延喜式に載せられている「宇治神社二座」のこととされてますので、9世紀末にはすでにこの地に鎮座していたことになります。いやぁ古いですね。今建っている建物も実際に千年近い昔のものです。千年前にこれをお参りした人と同じものをお参りするというのは、なかなか不思議な気分になりますな。

 宇治神社 宇治上神社
 ▲宇治神社          ▲宇治上神社

橋寺 宇治上神社を出て、大通りを宇治橋の方へ歩いていくと、「橋寺」というお寺があります。階段を登った上に境内があり、ここには「宇治橋断碑」という、宇治橋の由来を記した天平時代のものと伝えられる石碑がありますが、すでに時間は午後4時をまわっています。午後7時2分の京都駅発の新幹線に乗る前に、京都祇園で買い物をする予定なので、じっくり観ることなく引き上げます。

 宇治橋のたもとにある奈良時代から橋守の家柄だった「通圓茶屋」を眺め、急いで宇治駅まで戻って京都へ向います。

●締めくくりは京都の祇園散策

白川橋祇園小路 京都へ戻り、地下鉄で一気に四条へ。時間はすでに5時を過ぎています。このあたりには建仁寺や八坂神社、高台寺、知恩院、青蓮院門跡なんかの有名どころのお寺がいっぱいなのですが、もはや時間もなく、軽く買い物をして、京都の雰囲気がたっぷりの祇園の小道を歩いて、京都駅へバスで無事帰還。

 今回の旅は、佐賀→福岡→京都という長旅でしたが、当地でしか得られない情報を手に入れることができ、なかなか充実した旅でした。

 今回の旅の金額は、4日間で78,650円(電車賃、宿泊代、参拝料)でした。

おしまい  

 

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