葛西家惣領 葛西晴重

葛西氏

『登米龍源寺系譜』、『葛西氏過去牒』、『葛西真記禄』、『奥州伊達支族傳巻之三目録』、『平葛西末永両家系』

トップページ葛西氏とは > 葛西晴重


葛西晴重(????-1531?)

 葛西氏十四代。父は葛西武蔵守宗清か。通称は三郎か。受領は陸奥守。官位は従五位上(『葛西真記録』)

 永正18(1521)年8月23日、「右馬頭伊賢(細川伊賢)」「葛西三郎殿」へ、「御字、就被申給、御音信」について、「禅昌院」を遣わしている(『元盛岡浜田家文書』)。当時「征夷大将軍」はいなかったが、7月28日に京都で元服した足利義晴(前将軍・足利義澄の子で当時十歳)がおり、次期将軍に目されていた。おそらく晴重はこのとき彼の「御字」を賜ったのだろう。

 享禄4(1531)年5月1日に亡くなった。法名は瑞光院殿祝蓮道祐大禅定門(『龍源寺葛西氏過去帳』ほか)。南部藩系の「葛西左京大夫稙清」(『高野山五大院葛西氏系図』他)と没年が同じであり、同一人物だろう。ちなみに『高野山五大院葛西氏系図』などに見える葛西因幡守高清の法名が「道祐」といい、さらに伊達晴宗の法名も「道祐」という。


葛西氏惣領仙台藩葛西氏宇和島藩葛西氏盛岡藩葛西氏葛西氏庶流
ページの最初へトップページへ千葉氏の一族奥州千葉氏リンク集掲示板

Copyright©1997-2018 ChibaIchizoku. All rights reserved.
当サイトの内容(文章・写真・画像等)の一部または全部を、無断で使用・転載することを固くお断りいたします。