北浦妙見社(小城郡小城町北浦) ●MAP● | ||||||||||||||
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北浦妙見社は鎌倉時代の末期に、千葉胤貞が下総千葉の北斗山金剛授寺尊光院(現在の千葉神社)を勧請して建立されたと伝えられています。 胤貞は妙見信仰だけではなく、中山本妙寺の浄行院日祐(胤貞の猶子)を通じた日蓮宗信仰を小城にもたらし、さらに京都の八坂神社を勧請した祇園社を、千葉家の屋敷があったと思われる松尾の東1キロの場所にある山の上に建立しました。 この祇園社のあった山(牛頭山)に、松尾城主・千葉胤紹(肥前千葉氏六代)の子・胤盛が入り、子孫はこの山を居城として、西の晴気城に拠る嫡家「西千葉家」に対して、「祇園千葉氏」とよばれることとなります。
日蓮宗、特に中山門流日蓮宗(下総の中山本妙寺を本山とする)は千葉氏の影響を強く受けて妙見信仰を重要視しているため、九州においても日蓮宗と妙見信仰は大変密接な関わりがあります。北浦妙見社も隣接する延命寺を別当寺としていました。この妙見社に納められていた千葉胤貞の像は、現在、延命寺に納められています。 北浦妙見社の南側、つまり千葉城の北山麓には犬馬場とよばれる一帯があり、中世、この場所で犬追物が催されていたと伝えられています。(千葉隆典氏ご協力) ■北浦妙見社の概要■
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