2005年5月 郡上八幡旅行記2

郡上八幡

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水のまち郡上八幡の旅

●古今伝授の里

 美並苅安駅を出発して40分ほどで「徳永駅」に到着。ここも降りる客が少ない山間の駅です。

 郡上地方は「古今伝授の里」として町おこしをしています。「古今伝授」とは古今和歌集の講義と難解な和歌の解釈を秘伝として伝授することをいいます。歴史の中でこの「古今伝授」は大きな役割を担ってきていますが、地味なためかそれほど有名ではありません。

 この徳永駅から東へ2、3キロ先にあるのが「古今伝授の里フィールドミュージアム」です。そこが今回の旅の大きな目的でもあります。

 駅前の道を東にしばらく歩くと、道の左側に由緒ありそうな立派な寺院があり「流水山恩善寺」とあります。前知識を仕入れずに来てしまったのでどのような由緒かもわからず、やむなく通過です。

 さらに歩くと田園風景が見えてきます。山間部に流れる栗巣川が開いた平地に広がる田んぼで、農家の方がトラクターを動かして田植えの準備をしていました。川沿いの土手の上には遅咲きの桜も咲いていました。

 見えている山々は白く春霞にかかり、若葉の薄緑と常緑の濃い緑が混ざってすばらしい景色です。歩いていると風に乗って若草やら土の匂いが。歌心があれば和歌の一つでも読むのでしょうが…出てきません。

 しばらく歩くと、左側に大きな案内板を発見。見るとこの辺の史跡が書き込まれた地図です。このあたりに関する予習をしてこなかったので、こういう看板があると大変ありがたいです。さっそく、手持ちのヨレヨレになった地図に史跡の場所を書き写しました。

 また少し歩くと、左手に勾配のある小道があります。この先にはかつて、東氏の菩提寺・木蛇寺があったといわれています。実際の場所については少々疑問もあるようですが、伝承の地として。

 木蛇寺からは京都五山の南禅寺建仁寺の住持となった名僧、江西龍派正宗龍統らが輩出されています。その裏手には、このあたりの領主だった東尚胤の母・慈永大姉のものとされる墓石が鎮座しています。木蛇寺には東益之、東常縁ら郡上東氏の当主が埋葬されたとされますが、彼らの墓碑はありませんでした。

 慈永大姉の墓にお参りして、先ほどの通りへ戻って東へ歩くと、右手の田んぼの中に不自然な土盛りが三個見えてきます。これは郡上に攻め込んできた越前朝倉氏と東氏が戦ったときに、朝倉方の首を埋葬した塚と伝わります。

 山側の道をすこし歩くと、左手に「妙見集落」という住宅地が見えてきます。ここはかつて東氏の家臣たちの屋敷があった場所と伝えられています。

 妙見集落のすぐそばから、桜並木が続く一本道が始まります。これは東氏が信仰した「明建神社」の参道にあたり、入口の左側には大きな杉の木が立っていて、注連縄が巻かれています。「神帰り杉」と呼ばれているこの杉の木は、説明板によれば樹齢は七百年以上、東氏が下総国から郡上に移ってきたころに植えられたものとのこと。見上げてみると結構な迫力です。

 
 ▲妙見集落                  ▲神帰り杉と参道

梓弓春たちしより年月のいるがごとくも思ほゆるかな 凡河内躬恒(『古今和歌集』)

 明建神社の参道は、かつて東氏の馬場だったと伝わっています。この時期は両脇の土手にスミレソウが満開になっています。この土手の左右には桜が植わっていますが、5月ではすでに葉桜。薄木漏れ日が葉っぱの間から透けてきます。さらに秋になると彼岸花が咲き、冬は雪で埋まる。「古今伝授の里」というだけあって、今に至っても季節の風雅が残っています。

 参道を歩いていくと、やがて「明建神社」が見えてきます。字は違っていますが、妙見様を祀っています。

 鎌倉時代に東氏によって下総国から勧請されたと伝えられ、宮司は東氏とともにやってきた千葉一族・粟飯原氏が代々継承していました。神社の灯籠には九曜紋が刻まれ、神紋として八曜に三日月紋が幕に染められていました。訪問したときは結婚式の準備がされていて、本殿に赤い羅紗が敷かれていました。毎年8月7日には「七日祭り」と薪能「くるす桜」が奉納され、8日には社前で舞が奉納されます。

 明建神社には、参道の入口にあった「神帰り杉」に対して「神迎え杉」があり、鳥居の脇には「獅子の寝床杉」があります。いずれも樹齢は五百年から七百年を数える古木とのこと。

 神社の真正面からはきれいな三角の山が見えますが、これが東氏の居城だった「篠脇城」です。いまは緑に覆われて見えませんが、山肌に縦に谷のような堀が掘られた難攻の城でした。朝倉氏はこの城を攻めたものの攻めきれず、東氏の猛攻を受けて壊走しました。

 明建神社の隣には「尊星王院」という別当寺(神社を管轄する寺)がありました。「尊星王」とは北辰妙見尊星王とも称される通り、妙見菩薩をあらわします。この別当寺は室町期の応仁の乱の余波を受け、土岐氏被官の斎藤一族である如是院妙椿(法印大僧都)の攻勢の前に焼失してしまいました。そのころの篠脇城主・東左近将監常縁は将軍家の命を受けて下総国へ下向し、千葉陸奥入道追討を行っており、主のない篠脇城は攻め落とされました。

 常縁は城が落とされたことを知ると、敵将の如是院妙椿に宛てて和歌を詠んで送りました。すると、妙椿からは和歌を詠めば城を返す旨の返事が来ました。実は妙椿は常縁の兄東氏数と和歌を通じた友人であり、常縁とも面識はあったのでしょう。常縁は早速十首の歌を詠んで妙椿に送りました。

 堀川や 清き流れを隔てきて すみがたき世を歎くばかりぞ
 いかばかり歎くとかしる心かな ふみまよふ道の末のやとりを
 かたはかり残さむ事もいさかかる うき身はなにと しきしまの道
 思ひやる心の通ふ道ならで たよりもしらぬ古郷のそら
 たよりなき身をあき風の音ながら さても恋しきふるさとの春
 さらにまた たのむに知りぬうかりしは 行末とをき契りなりけり
 木の葉ちる 秋の思ひにあら玉の はるに忘るるいろを見せなむ
 君をしも 知るべとたのむ道なくば なを古郷や隔てはてまし
 みよし野になく雁がねといざさらば ひたふるに今君によりこむ
 吾世経む しるべと今も頼むかな みののお山の松の千とせを

 これらの歌に感動した妙椿は、文明元(1469)年、上洛してきた常縁に篠脇城を返還しました。郡上へ戻った常縁は焼けた尊星王院も再建しましたが、いつしかまた廃寺になってしまったようです。その後は建て直されることもなく忘れ去られていきました。その後、昭和36年3月、尊星王院の旧境内地内で鎌倉時代後期の古瀬戸製の骨壷が掘り出され、中には火葬骨灰が入っていました。誰のものかは不明とのことですが、案内板には「東家ゆかりのしかるべき人士の遺骨と思われ…」とあり、東家一族の誰かの骨壷とされています。

 尊星王院碑のすぐ隣には「古今伝授の里フィールドミュージアム」があります。でも、ココは後回しで、とりあえず史跡めぐりを優先します。

 フィールドミュージアムの前の道路を渡ると、栗巣川にかかる橋がああります。さきほど田んぼの中を流れていた栗巣川とはすっかり趣きを変えた渓流です。

 橋を渡ると、篠脇山のふもとの広場に出ますが、ここにかつて東氏の屋敷がありました。発見されたきっかけは圃場整備のさ中に陶器片が出てきたというもので、発掘作業がはじまると、陶器片だけではなく建物の基礎から、庭園跡まで出てきました。ということで、いまは国指定の史跡として一般公開されています。庭園にあった小さな池も、かつての姿のまま再現され、流れ込む水もまたキレイです。伊勢の北畠家庭園、越前の朝倉家庭園と並んで、国指定の中世大名三大庭園跡の一つとされています。

 今日は天気がよくないですが、史跡の中での霧懸かった雰囲気はなんとも気分がいいものです。晴れててもまた別の趣があるんでしょう。でも、明日は郡上八幡めぐりの予定なので、こちらには来れないし、明後日は愛知万博へ行くので、ここに来るのはまた数年先です。

 庭園跡をぐるりと見渡すと、けっこう広々としています。入口にあった説明板によると、ここに植えられている植物は『古今和歌集』に登場する草花だそうです。

 散歩コースを回って時計を見ると、もうすで16時。フィールドミュージアムは17時閉館なのでちょっと急ぎです。さすがに全部を見る余裕はなくなってしまいました。

 メインの「東氏記念館」に急いで入り、急ぎめで館内を回ります。さっきの東氏庭園跡から出土した陶器や宋銭、木簡などの他、郡上藩主の遠藤氏奉納の絵馬などが展示されていて、もっとゆっくり見たい内容でしたが、残念。売店では紀要なども売っていたので、いくつか買ってみました。ここでしか買えない資料は貴重なので、ちょっと高くても買ってしまいます。

 本当は隣にある和歌文学館と大和文庫も見たかったのですが、時間がなく断念です。とくに大和文庫には古今伝授についての本がかなりあるらしく、ぜひ行きたかったのですが、残念。

 ミュージアムの外に出るとけっこう強い雨が降っていました。さっきは薄日が射す程だったのに、山間の天気は変わりやすいものです。タクシーを呼ぶことも考えましたが、2、3キロだったら待ち時間も考えると歩いた方が得策かと徒歩で駅に向いました。

 雨が降っているとはいえ、初夏の夕方は蒸します。ただ、靄も深く垂れ込め、幻想的な雰囲気をかもし出しています。振り返ると、さっきまで見えていた篠脇城や妙見集落は白の中に消えていました。

 三十分ほど歩いて徳永駅に到着。定刻に来た長良川鉄道に乗って、一路郡上八幡に向かい、宿に入りました。

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