千葉氏の掲示板過去ログ11


[970] ありがとうございます。

投稿者:石橋尾張守 [丸に笹竜胆] 投稿日:2006/05/30(Tue) 00:48

相馬介さん、早速のご返事ありがとうございます。
ほんとですね。実有と実泰の生年を比べれば祖父・孫ではないこと一目瞭然でした。。すみません。。
今後ともよろしくお願いします。


[969] 訂正

投稿者:石橋尾張守 [丸に笹竜胆] 投稿日:2006/05/28(Sun) 02:40

すみません。

下から2行目

x 実泰女所生であれば

O 実泰が実有女所生であれば

外祖父から一字貰う例がほかにもあったように思うのですが思い出せません。。


[968] 千葉氏は西園寺公経の子孫?

投稿者:石橋尾張守 [丸に笹竜胆] 投稿日:2006/05/28(Sun) 02:38

こんにちは。
いつもお世話になります。

質問ばかりで恐縮ですが、
http://members.jcom.home.ne.jp/bamen/souke16.htm
に北條実泰(千葉貞胤の玄曾祖父)の母が一條実有女とありますが、差支えなければ出典を教えていただけますか?

実泰は政村と同母兄弟かと思っていましたが、実泰女所生であれば、閑院流藤原氏の血が金澤流北條氏を介して千葉氏に流入したことになり興味深いです。

この千葉一族のHPは姻戚関係の記載が丁寧で、いつも系図を辿る面白さを再認識させていただいています。

石橋尾張守さん、こんにちは。

 その系譜は誤記ですね。すみません。恐らく改行の最中に取り違えて記載したのでしょう。義時の娘、つまり実泰の姉妹が実有の妻ですので、訂正しておきます。

 実有と実泰はわずかに三歳違いなので外祖父ということはありえませんね(^^; すみません。想像ですが、実泰の「実」は実朝から給わったのかもしれないですね。

[From 相馬介]


[967] 岩手千葉会(第一回研修会

投稿者:母体の千葉 [丸に三柏] 投稿日:2006/05/07(Sun) 23:01


平成十八年度第一回研修会の日程を
お知らせいたします。

千葉周作を訪ねて
場所  陸前高田市・大船渡市、他
日時  8:40水沢焼肉センター発(途中前沢、平泉、東山経由)
    気仙沼町道の駅10:30頃着
参加費 3,000円(昼食含み)
申し込み締め切り
    5/15

参加ご希望の方はこちらまでご連絡ください。
岩手千葉会事務局
代表:千葉勝士 TEL・FAX 0197-24-5220

平晴胤さんもどうぞいらしてください。


[966] 母体の千葉様へ

投稿者:平晴胤 [九曜] 投稿日:2006/05/01(Mon) 09:55

家は埼玉で20歳の武道家ですが、是非予定を立てて千葉会に参加したいです。僕の千葉系は母方の祖母の実家で、遠い親戚に胤の通字が付く人がいて家紋が九曜でした。千葉周作についてもどんどん知りたいです。東京に周作の北辰一刀流の道場が一つありました。家系についても、もっと知りたいです。


[965] 岩手千葉会(+小野寺氏

投稿者:母体の千葉 [丸に三柏] 投稿日:2006/04/30(Sun) 22:26

こんにちは
ご無沙汰しています。

岩手千葉会の今年度の予定をお知らせします。
6月9日:第一回研修会(千葉周作探訪)
8月末 :「千葉氏の家系」原稿締め切り
9月9日:第二回研修会(新渡戸稲造記念館:花巻市)
12月3日:学習会

以上を計画していますが詳細については、再度この場をお借りし追ってお知らせしたいと思います。

尚、「千葉氏の家系」第一号〜第三号随時発売中です。
書店では取り扱っていませんので下記事務局までご連絡ください。
又、原稿も随時募集中です。

岩手千葉会事務局
代表:千葉勝士 TEL・FAX 0197-24-5220


平春胤さんへ

小野寺氏は藤原氏に使え、その後秋田移った小野氏(小野の小町で有名)の末裔に当たります。
千葉氏と小野寺氏は当時敵対関係にありましたが
江戸時代以後岩手県南、宮城県北地方に戻ってきました。
現在もその地方にはその末裔の方がいらっしゃり
千葉会同様、小野寺会(確かそうだった記憶が・・・。)が活動をしています。
どちらの氏も戦乱を生き抜いて今に至る一族です。


[964] 奥州戦国大名

投稿者:平晴胤 [九曜] 投稿日:2006/04/26(Wed) 12:59

戦国期の奥州の大名 伊達稙宗 留守景宗 国分盛氏 黒川晴氏 大崎義持(直) 葛西晴胤 相馬顕胤 岩城重隆 石川晴光 田村稙顕 蘆名盛氏 畠山晴国 二階堂晴行 結城晴綱らの南陸奥の戦国大名と足利家の関係が知りたいです。例えば当時国人領主の田村稙顕がどのように将軍足利義稙と関わったかを知りたいです。黒川氏は伊達氏と大崎氏との間をどう上手く付き合ったかなど、知っている方は教えてください。

平晴胤さん、こんにちは

小野寺氏、岩手の千葉氏や他氏族については、『岩手県史』に詳しく出ておりますので、ご覧ください。
国人領主たちの動向につきましても、基本的には県史、市史などを見るとだいたいヒントが載せられています。
『群書類従』『続群書類従』、『大日本史料』などにも意外にレアな情報が載せられていることがあります。
千葉氏顕彰会には、事務局までご連絡をしていただければよいかと思います。

[From 相馬介]


[963] 千葉氏顕彰会

投稿者:平晴胤 [九曜] 投稿日:2006/04/26(Wed) 12:35

自分はもっと千葉氏について知りたいです。何か研究会みたいな事に参加してみたいです。知っている方が入れば教えてください。
他氏になるのですが、祖父の名字が小野寺で岩手一関、宮城県当りなのですが代々農家らしくて 小野寺家の家紋が戦国小野寺氏と少し違うか それともまだ見たことのなかった家紋なのかもしれないです。俵藤太(藤原秀郷)が先祖なのかが知りたいです。千葉氏研究会に関してはどなたかきっかけを貰いたいです。お願いします。


[962] no title

投稿者:木内 ●● [月星] 投稿日:2006/04/19(Wed) 10:15

ご先祖様ってどんな人だったのだろか???と思い
いろいろ検索してここの掲示板に辿りつきました

曾祖父の代に今の地(成田市)に住み始、昔は「山倉」という所に住んでいたと聞いています。

家系図など、たいそうのものもなく苗字と家紋だけでご先祖様がどんな人だったのだろうかと想像しています(笑
では、もう少し「苗字」と「家紋」で検索してみます・・・

木内さん、こんにちは

山倉はおそらく香取市山倉のことでしょう。
千葉氏流木内氏の本拠地、米ノ井から南西五キロほどのところにあります。

[From 相馬介]


[961] 伊能信月の件

投稿者:石橋義承 [丸に笹竜胆] 投稿日:2006/03/26(Sun) 00:18

自己レスですが、『香取郡誌』の必要箇所を読破した結果、伊能信月の戦死は永禄8年9月の木内胤章の戦死の前と見るのが妥当のようです。


[960] 柴田さん御夫婦、御元気ですか!

投稿者:田路 美奈 [月星] 投稿日:2006/03/24(Fri) 10:07

 

いつも御世話になり有難うございます御結婚おめでとうございます御久しぶりですね。私もついにHPを作りました。素人のHPなので老人が作っているようなコンピューターにうといHPですが宣伝などもかねて暇な時に更新しています。去年の年末には皇居の一般参賀を一人で直接、見に行きました。最近は国会中継など37歳になって初めて?政治に関心を持ってTVを見たりなどしています。又、HPのリンク?や田路の所などで私のHPのリンク?などをして頂けたら嬉しいなあなんて思うのですがアツカマシク掲示板で御願いしてすみません。少し宣伝もかねて!笑!よろしく御願いします。又、千葉城や桓武平氏の情報などがあれば教えて下さいね。

田路美奈さん、こんにちは

ご無沙汰しております。お元気でしたか?
いやいや、結婚して数年たちますな(^^;
リンクは了解いたしました。次回の更新時に反映させます。

[From 相馬介]


[959] 下総・奥州相馬一族

投稿者:青田と申します。 [亀甲] 投稿日:2006/03/06(Mon) 11:21

こんにちは、主題の本「下総・奥州相馬一族」
を見つけまして、早速購入の上一読いたしましたが、
残念ながら、相馬氏家臣として「岡田・木幡・・」
しか登場しませんでした。
ちょっと高い本でしたが、当家の登場を期待して
購入しましたが・・・・・残念!

青田さん、こんにちは
『下総・奥州相馬一族』は私も八重洲ブックセンターで見ましたが、相馬氏の概説を理解するにはわかりやすい本というイメージでした。多くの人に向けたコンセプトなのでしょう(^^)

[From 相馬介]


[958] 相馬介さんへ。

投稿者:石橋義承 [丸に笹竜胆] 投稿日:2006/03/05(Sun) 01:30

『香取郡誌』借りてきて読んでます。
私がほしかった情報の宝庫です。
相馬介さん、ご教示ありがとうございました。

『香取郡誌』「墳墓編」にある石橋信義の項に、石橋保義の名前がありますが、この人が私の曾祖父の祖父です(因みに保義の父が957に書いたように木内家からの入り婿です)。
そして信義の子種義の室が木内壱岐守(胤寛か)の娘です。

さて、『香取郡誌』は伊能心月の戦死を天正14年としており、その典拠は大竜寺の記録のようですが、
http://members.jcom.home.ne.jp/bamen/ichizoku23.htm
では永禄8年説と天正14年説を併記されています。
差し支えなければ永禄8年説の出典を教えていただけないでしょうか。

石橋さん、こんにちは

永禄8年説は、『関八州古戦録』か『東国戦記』などに記載があったかに記憶をしているのですが、少々前になるので確証はありません(^^;

[From 相馬介]


[957] 千葉 貴さん へ。

投稿者:石橋義承 [丸に笹竜胆] 投稿日:2006/03/05(Sun) 01:14

はじめまして、石橋と申します。
男系男子”でなければ なんてことはないと思いますよ(^^)
私の曾祖父の曾祖父も木内氏(恐らく千葉一門)からの入り婿ですし。
近衛家の当主も細川元首相のご令弟ですしね。


[956] 相馬介さん、お元気ですか?

投稿者:千葉 貴 [月星] 投稿日:2006/02/22(Wed) 14:21

インフルエンザにご注意!!

最近よく世間で取り沙汰されている“女系”。
そういえば私、“女系男子”です。(カマではありません)
祖母が婿取りでした。
やはり日本では“男系男子”でなければ安っぽいのでしょうか?
大名の上杉家なんかは養子また養子でつないできた家系ですよね。(元禄の時には吉良の息子が養子に入っていますし、鷹山も養子ですよね)

千葉貴さん、こんにちは

男系男子でなければ安っぽいということはないでしょう(^^;
ただ、天皇という文化的な地位に限っていえば、古来からの文化を尊重していくことも大切かと思っています。

[From 相馬介]


[955] no title

投稿者:千葉介の娘 [丸に三柏] 投稿日:2006/02/16(Thu) 00:32

はじめまして。私も千葉です。
家紋は丸に三柏、祖父の田舎は岩手です。
幼い頃聞いた話だと、祖先は「ちばのすけたいらのあつたね」もしくは「よりたね」とのことでした。(うろおぼえ)
「元は備後にいたけれど、源氏に追われて奥州に逃げた」
「途中で姓を『林』に改めた一族もいるので『林』さんは親類である」
「奥州で(中尊寺で有名な)藤原三代に滅ぼされ、わずかに生き残った『七人の刀鍛冶』が岩手に落ち延びた」などという話も聞きました。
そのときは「『ちばのすけ』なんて名前があるはずがない」と思っていたので、このHPを知って驚きました。するとこれらの話にも真実が混じっているのですかね?
面白いですね!

千葉介の娘さん、こんにちは

岩手千葉氏の祖は、「千葉頼胤」とされています。この人物については詳しいことは分かっていません。千葉介常胤や胤正が改称したものだ、とかいろいろと説がありますが、実際のところは不明です。

[From 相馬介]


[954] ありがとうございます。

投稿者:石橋義承 [丸に笹竜胆] 投稿日:2006/02/11(Sat) 16:55

相馬介さん、ありがとうございます。
今度『香取郡誌』読んでみますね。

>木内与一郎胤喜の後妻が「石橋主膳女」
胤喜は南北朝期の人ですね。
当家には「主膳」という人は見当たらないので、別の石橋氏だと思います。

ただ、真偽の程は不明ですが、応永20年に石橋広義という人物が、鎌倉公方持氏に仕え上総守護に任ぜられたという諸伝があり、明応以前における石橋氏と房総とのつながりにも興味が持たれるところです。


[953] no title

投稿者:原 桂一 [九曜] 投稿日:2006/01/31(Tue) 21:37

相馬介さま ありがとうございました♪
ゆっくりと2月に神社めぐりをしてみたいと思います。
ところで若干手元に当家の研究者がまとめた資料があるのですが
何かのご参考になれば幸いですがコピーを提供させていただいても
よろしいのでしょうか?


[952] 先祖探求1000年の旅!

投稿者:青田と申します。 [亀甲] 投稿日:2006/01/31(Tue) 09:43

相馬介様
ご返事ありがとう御座います。
こちらのホームページに出会えて、自分の名前の由来に
ついて深く興味を抱きました。
そういえば子供の頃、祖父から聞いた「平 将門の
子孫にあたる」とか、倉庫で見た「短刀」や「古文書」
など、今思えば歴史的価値のある資料が身近にあった事
を思い出しました。
相馬介様のコメント通り、先祖の辿った歴史に触れる事が出来る貴重な家系である事に感謝し、今より1000年の過去を
遡って自分の御先祖様に会ってみようと思います。
こちらのホームページに出会えた事に、大変感謝しております。御先祖様の思し召しかと・・・・
追伸:相馬介様は、相馬氏ゆかりの方でしょうか?
それであれば、当家の主君筋にあたるわけで・・・
「頭が高い控えおろー、はぁはぁー」・・・・


[951] 原一族の者です

投稿者:原 桂一 [九曜] 投稿日:2006/01/28(Sat) 13:25

こんにちは。
初めての書き込みです。以前からこちら千葉氏のホームページは
頻繁に訪問させていただいておりました。
来月から縁あって古河に営業支店を開設することになりました。
下総への回帰を嬉しく感じております。

私の父は長野県下伊那郡清内路村の出身で家紋は九曜です。
村史や一族内の歴史研究家によりますと、この村の氏祖は
原伝左衛門胤重で、桓武平氏良文流千葉氏系原胤高の後孫と
伝えられております。

古河の店舗の開店にあたり、宗家の氏神様にご挨拶に行きたい
のですが、個人的にいろいろ調べましたが神社がわかりません。
一の宮である香取神宮と千葉神社、そして多古町の妙見由縁
の神社以外に、ここに行くべきというアドバイスをいただければ
幸いです。もしどなたかご存知であればご教示をお願いいたします。

また、千葉顕彰会への参加は可能でしょうか?併せて教えてください。

 原さん、こんにちは!
 
 信州原氏は承久の乱の後、原与九郎胤勝が下総国から信濃国に移住して下条家に仕え、彼の子孫は伊那浪合地方に繁栄したとされています。原伝左衛門胤重は、胤勝の子息・胤重ということになりましょうか。

 千葉県内の原家ゆかりの代表的な神社やお寺をご紹介すると、小弓の八剣神社、龍澤山大巌寺、臼井の臼井妙見社、長谷山宗徳寺、龍澤山長源寺、千葉市中央区の城址公園傍にある龍興山高徳寺などがあげられます。

 また、千葉氏顕彰会へのご参加につきましては、常時受付をいたしておりますので、下記のアドレスから事務局のほうへご連絡いただければと存じます。

http://members.jcom.home.ne.jp/bamen1/kenshou.htm#jimukyoku

[From 相馬介]


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