2005年5月 郡上八幡旅行記4

郡上八幡

郡上八幡の旅



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 旅行も三日目、今日は愛知万博に出かけました。名古屋からリニアモーターカーに乗って万博へ向います。この会場まで来る途中に「小牧長久手古戦場址」があります。個人的にはちょこっと行きたかったのですが、そこへ行く時間はなく、泣く泣くあきらめて「万博会場駅」に到着。

 会場は混雑は混雑でしたが、まだ5月の連休は入場に何時間も並ぶという破滅的な状態には至っていない頃だったので、それなりにすんなり入れました。ペットボトルや弁当などは容赦なく破棄されていました。

 さて、万博会場に入ると…広い。もともとこの万博は産業と文化をテーマに、自然豊かな「海上の森」を切り開いて、万博後はニュータウン造成が計画されていた利権の万博でした。それが地元と博覧会国際事務局からの反発を食らい、海上の森造成案は断念、長久手と瀬戸の二会場に分裂して開催されるというへんてこな運営となりました。

 今回行ったのは長久手会場のほう。瀬戸会場よりも広い会場です。万博会場に入場したのはいいですが、どこに行くのかろくに決めていませんでした。とりあえずは、すいているパビリオンから攻めていこうと、パンフレット片手に東南アジアゾーンへ向かいました。途中の道も空いていて、後日、テレビで見た異常な混み様がうそのようです。この日は雨曇りで、肌寒かったというのもあるのかもしれません。

 シンガポール館、タイ館などをめぐったのち、三菱未来館「もしも月がなかったら」に入りました。もしも月がなかったらどんな地球になっているのか。アメリカの学者さんの説を基にしたパビリオンです。もし、月がなかったら地球は8時間で自転してしまうとのコト。単純に3倍のスピードです。そのため強風が吹き荒れ、岩石が飛び交うという荒廃した大地が広がるらしい。そんな中を得体の知れない鳥(?)が飛び、食い合っています。で、次に画面は一転、月があるとこんなすばらしい世界になる説明があり、大団円を迎えるわけです。これはこれで面白かったのですが、足元の画面は特に意味を成しておらず、こんなに大きなセットをつくる必要はないような。

 なかでも最も理解できなかったものが「めざめの方舟」というパビリオン。「鬼才・押井守」氏が総監督として手がけたストーリー、演出らしく、ずらーっと列を成す人気ぶりでした。列をなすほどなら、よっぽど面白いものかと思いきや、すみませんが意味不明。。。なんともビックリしました。フム~(^^;

 らせん状の通路を登っていき、影像が始まります。迫力は、確かにあります。下のアリーナや壁、天井に映しだされている影像でなにかを訴えようとしているようですが……(汗)。アリーナにずらりと並ぶ「狗」の仮面の人形や、天井からぶら下がる奇妙な人形、これらが何か動きを見せてくれるのかといえばそうでもない。そしてなんとなく見ていたら、影像が突然終わり、終了のアナウンスが流れました。周囲からも「なにこれ?」「意味不明…」「並んだのムダだわー」の呟きが聞こえてきました。確かに。。。

 この映像を見て何かを感じろ、というんでしょうけど、少なくともワタシの心には何も響いてきませんでした。伝えたいメッセージが奥深くに潜んでいるんでしょうが、万博という場所で万人が見るものである以上、万人にわかりやすく訴えるべきでしょう。ただただ疲れました。

 このあとは、帰りの電車の時間も迫ってしまったので、比較的空いているパビリオンめぐりとなってしまいました。ただ、こういったパビリオンほど面白かったりします。

 ヨルダン館では死海の水が運び込まれて、浮かんでいる人がいました。ブラックライトに浮かび上がった青い水面がなんとも幻想的です。

 ブルガリア館ではバラジャム入りのヨーグルトが売られていました。ギリシア館ではギリシア神話の石像などちょっと期待しましたが、そんなものは一切なく、名産品の紹介ブースになっていました。残念。

 エジプト館ではヒエログリフで自分の名前を彫ってもらえるサービスがありました。ここには古代エジプトの石像のレプリカがたくさん無造作に置いてありましたが、一部石膏がはがれて下地の木が出てしまっていたのが、う~ん的なとこですね。学祭の展示を髣髴とさせる感じです。それから、どこだか忘れましたが、チョコで作られた自動車が置いてありました。細かいところまでよく再現されていて、とてもチョコでつくったとは思えない出来!

 

 そんなこんなで、さくさくと廻れて、けっこう楽しめました。この時期は空いていたからこれだけ廻れたんでしょう。その後、万博は連日大混雑の賑わいになっていました。ニュースで見ると、我々が歩いたときは十人いるかいないかという外周通路が人で埋まっていました。うぁ~、こんなときに行かないでヨカッタ。

 帰りの電車の時間も近づいたので、出口近くのショップでお土産を購入し、会場を出ました。いまごろ、この会場は開発されてしまっているのかもしれませんね。まぁ、1985年のつくば科学万博の跡地は、つくば研究学園都市としてキレイなまちになっているし、ここもキレイな環境のよいまちに変わってもらいたいものです。

おしまい

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