鎌倉時代の千葉介常胤より、安土桃山時代の千葉新介重胤までの四百年、二十八代にわたり、

房総半島に巨大な勢力を保ちつづけた大名としての「千葉氏」は、北条家の滅亡とともに滅びました。

しかし、千葉介の子孫、千葉一族たちは江戸時代にも生き残り、全国各地で活躍を見せています。

ここでは、そういった江戸時代の千葉一族とゆかりの家々についてご紹介します。。。

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■大名・旗本編

●千葉一族直系の大名家(一万石以上の領主を含む)

国名 藩名 藩主名 藩祖

血縁関係

陸奥国 中村藩 相馬家 相馬利胤 千葉介常胤の次男・相馬師常より代々行方郡を知行し、鎌倉末期に奥州へ移り住んだ。鎌倉以来の最も古い大名の一人。
仙台藩涌谷領 伊達家 伊達定宗 千葉介常胤の三男・武石胤盛より代々亘理郡内に地頭職をって子孫は亘理氏を名乗り、江戸時代に伊達家の一門となる。
近江国 三上藩 遠藤家 遠藤慶隆 承久の乱ののち、東胤行入道素暹が美濃国郡上郡に所領を賜り、その子孫が遠藤氏を継ぐ。

●先祖が千葉一族と姻戚関係にあった大名家(一万石以上の領主を含む)

国名 藩名 藩主名 藩祖

血縁関係

出羽国 久保田藩 佐竹家 佐竹義宣 二代藩主・佐竹義隆は相馬義胤の娘・慶雲院の子。その子・義長(岩崎藩主)は相馬忠胤の娘を妻とする。義長の甥・叙胤は中村藩七代藩主。幕末の藩主・佐竹義尭は相馬益胤の子で、岩崎藩主・佐竹義理は相馬充胤の子。
越後国 高田藩 榊原家 榊原康政 大須賀康高の娘と榊原康政の間に生まれた忠政の子孫が播磨姫路藩→越後村上藩→播磨姫路藩→越後高田藩主となる。
阿波国 徳島藩 蜂須賀家 蜂須賀家政 十一代藩主・蜂須賀重喜の祖父・佐竹壱岐義長の祖母は相馬長門守義胤の娘で、重喜の祖母は相馬大膳亮義胤の孫娘。
肥前国 佐賀藩 鍋島家 鍋島勝茂 鍋島勝茂の父・直茂は幼少の頃、九州千葉氏当主・千葉胤連の養子となり、佐賀藩には胤連の実子の子孫が藩重臣となる。
薩摩国 鹿児島藩 島津家 島津家久 鎌倉時代、島津貞久が相馬家から妻を娶り、子孫は代々相馬郡内に所領を有した。相馬を名乗った島津一族もある。

●千葉一族の旗本

家名 旗本初代 主な知行地 石高 関係 家紋 その他
金田家 金田惣八郎正勝 上総国天羽郡 3,000石 上総権介広常弟の末裔
千葉介常胤の孫・白井胤定の末裔
三星、三輪違、鬼蔦 祖が上総国勝見城を離れて松平家に仕えた。
河内家 河内与兵衛知親 常陸国鹿島郡 500石 千葉介常胤が後裔 丸に陽剣梅
根篠
武蔵千葉氏に仕えていた一族と思われ、知親は千葉盛胤が葬られていた総泉寺に葬られた。
飯高家 飯高弥五兵衛貞次 武蔵国都築郡 170石 千葉介輔胤の後裔 並九曜、三亀甲 千葉介輔胤の子・飯高胤忠を祖とする。
遠藤家 遠藤金兵衛常紀 美濃国郡上郡 1,000石 東胤頼の後裔 亀甲内花菱、十曜 美濃郡上藩主・遠藤但馬守慶利の三男。
犬塚家 犬塚覚右衛門胤則 ―――――― 100俵 千葉氏の末裔 月星、九曜
丸に五七桐
丸に鳳文字
祖が三河国幡豆郡犬塚村に住し、千葉を改める。
甲府宰相・徳川綱重に仕え、桜田屋敷に詰めた。
海上家 海上弥三兵衛胤保 ―――――― 150俵 東胤頼の末裔 月に九曜
九曜菊
館林宰相・徳川綱吉に仕え、神田屋敷に詰めた。
椎名家 椎名助右衛門朝成 ―――――― 不明 千葉氏の支族 源氏車の殻に三巴
三巴
伊賀にあり、祖・右衛門朝勝は家康の伊賀越えの郷導をした人物。
遠藤家 遠藤新左衛門信吉 ―――――― 200俵 東胤頼の末裔 丸に剣鳩酸草
九曜
東下総守尚胤の末孫と伝わる。
東 家 東 良胤 ―――――― 300俵 東胤頼の末裔 五七桐、九曜 東氏の末裔。五代・徳川綱吉の医師。
原 家 原 大隈胤歳 武蔵国都築郡
上総国望陀・周准郡
340石 甲斐原家の末裔 九曜
隅切重折敷
四菱
武田家遺臣。子孫は旗本と八王子千人同心頭。
山梨家 山梨佐右衛門胤之 ―――――― 100俵 千葉介常胤後胤。臼井一族か? 九曜、半月 北条家遺臣。その没落後、召し出される。
綿貫家 綿貫夏右衛門 ―――――― ――― 臼井一族山梨家の末裔 九曜 下総小金牧の野馬奉行を代々勤める。
高樋家 高樋久兵衛政胤 ―――――― 150俵 千葉氏の末裔 輪内三巴
九曜
大和国添上郡高樋村発祥。大和守護をつとめていた時に下総から遣わされた代官の一族かも。
馬場家 馬場藤左衛門胤継 ―――――― 100俵 千葉氏、もしくは東氏の末裔 丸に十五枚笹
十曜
家紋から見ると、古い千葉氏の流れを汲んでいる可能性も。
堀 家 堀 弥十郎氏格 ―――――― 100俵 原氏の末裔 九曜、左三巴
瓜に菊
津軽家に仕えていた堀太左右衛門胤氏の子。
戸張家 戸張山三郎胤久 ―――――― 400俵 相馬氏の末裔 もともとは繋駒紋を使用していた。
横田家 横田甚右衛門尹松 下総国結城郡
武蔵国高麗郡
   比企郡
   入間郡
近江国蒲生五郡
上総国大多喜領内
9,500石 原氏の末裔 四目結
釘抜
矢羽車
武田家遺臣。父・綱松は原美濃守虎胤の子。
妻は武田家臣・山縣三郎兵衛尉昌景の娘。
高城家 高城清右衛門重胤 武蔵国賀美郡
下野国足利郡
700石 原氏の一族か? 九曜、橘、井桁橘 小金大谷口城・高城家の末裔。
相馬家 相馬小次郎秀胤 ―――――― 800俵 相馬師常の末裔 繋駒、九曜 相馬師常以来の相馬本嫡家。
千葉家   ――――――       千葉儀八郎が高城胤親の菩提寺参詣に同行。

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