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●鎌倉における千葉氏の館
1.鎌倉市御成町14
鎌倉市役所北隣。『新編鎌倉誌』によれば「天狗堂(愛宕神社)の東」とされる。現在、スーパーが建っているあたりとされている。鎌倉時代にはこのあたりも「甘縄」と呼ばれており、安達家の「甘縄邸」もこの近辺にあったと予想され、現在の「甘縄神社」あたりを安達邸としている説には、大いに疑問がある。
千葉介成胤の時代から時胤の時代まではここに館があったことが確認できる。しかし、仁治2(1241)年以前に別所に移されていたと考えられる(『吾妻鏡』)。
一、 | 建保3(1213)年 2月15日:信濃の泉親衡からの遣いの僧が「司馬甘繩家」へ赴いたとある。 |
二、 | 元仁2(1224)年 3月19日:甘縄周辺でおこった火事のために千葉介胤綱の甘繩邸が類焼した。 |
三、 | 寛喜3(1231)年10月19日:明王院建立の候補地について。「城太郎(安達城介景盛)ノ南、千葉介(時胤)ノ北、西山ノ傍」に改めた。 |
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千葉介時胤、館を移すか。 | |
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四、 | 仁治2(1241)年 3月17日:鎌倉大火事がおこって甘縄山麓の数百宇が全焼し、「千葉介ノ旧宅、秋田城介、伯耆前司等ノ家」が焼失した。 |
※ここで「旧宅」とあることから、すでに空き家となっていて、他所に移っていたと考えられる。 |
2.鎌倉市材木座四丁目
鎌倉弁ヶ谷東方に位置する。常胤はここに住居を構えていたことから「弁谷殿」と呼ばれていたとされる。常胤の持つ「介」の唐名「別駕」から、彼が住んだ谷部分を「別駕谷」とよび、それが「弁谷」になったとされる。ここには胤正も住居にしていた(『千葉大系図』『千葉伝考記』『松羅館本千葉系図』『千学集抜粋』) 。
4.鎌倉市小町2丁目の妙隆寺のあたり?
叡昌山妙隆寺は九州千葉氏の祖・千葉大隅守胤貞が開基。開山は日英。開創は至徳2(1385)年であり、それまでは千葉氏の邸宅だった可能性もある。
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