千葉氏の掲示板過去ログ9


[910] 岩手千葉会 投稿者:母体の千葉 [丸に三柏] 投稿日:2005/04/16(Sat) 07:49
みなさんお久しぶりです。
岩手千葉会の本年度の研修予定をお伝えします。

◎「花と泉と千葉胤英氏」

 日時 6月5日 AM10:00
 場所 花泉町花と泉の公園 集合
 内容 「千葉胤英氏を訪ねて」「平成17年度 岩手千葉会定期総会」
 
◎「南部曲家の千葉氏」

 日時 9月中旬 1泊2日を予定
 場所 遠野市 織部 南部曲家、他
 内容 「遠野南部曲家の千葉氏」
 

◎講演「長坂千葉氏について」

 日時 12月4日 PM13:30を予定
 場所 水沢市 南公民館
 内容 「長坂千葉氏について」千葉義一氏
    「千葉氏の家系」3号の発売

いずれの内容も詳細は追って報告致します。

尚、「千葉氏の家系」3号の原稿の募集も行っています。
又、「千葉氏の家系」1.2号 (1冊1000円)若干残っています。
ご希望の方はこちらまでご連絡下さい。

  岩手千葉会事務局 TEL/FAX 0197(24)4250


[909] 泰胤系さんへ 投稿者:工藤祐経系 [追加希望] 投稿日:2005/04/10(Sun) 08:17
すみません、もう一人、伊東・工藤系図で祐兼さんを見つけました。そちらの系図に伊藤八郎佐衛門尉祐兼とあるのなら、祐経系ではなく、伊東祐親系の祐兼さんの可能性のが高いかもしれない。私は専門家ではないのではっきりしたことが言えないのですが、おそらく泰胤系さんは知っていると思いますが、伊東祐親ー祐清ー祐光ー祐兼ー(または 祐光ー家長ー祐兼ー)とくる系図があるそうです。そこには伊東八郎左衛門尉祐兼と載っているそうです。


[908] 工藤祐経系さんへ 投稿者:泰胤系 [月星] 投稿日:2005/04/03(Sun) 23:49
追伸:
工藤祐経系さんから紹介のあった国会図書館の海軍軍人HPの25名中2人は千葉氏系の人物ですね。
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/15.html

・江頭安太郎 佐賀生まれ、日露戦争大本営参謀→(九州千葉氏)
・東郷平八郎 鹿児島生まれ、連合艦隊司令長官→(千葉介平常将系 渋谷氏子孫)

泰胤系さん、こんにちは。

一点、質問なのですが、上記の「江頭」氏は千葉一族なのですか? 初めての情報のため興味があります。ぜひお教えください。

[907] 工藤祐経系さんへ 投稿者:泰胤系 [月星] 投稿日:2005/04/03(Sun) 23:15
工藤祐継の「母 八田七郎藤宗基女」の情報ありがとうございます。八田は常陸の八田氏でしょうか。 関東武士は、広範囲に婚姻関係を築いていたのでしょうね。

竜造寺・鍋島氏関係は文献が多数あるのでしょうが、以前、日本経済新聞の日曜版に「つはものの譜」小島英煕著(編集委員)という竜造寺・鍋島氏関係の連載ものがありました。
1996年10月6日(日)版第1回スタートから、1997年4月6日(日)の第27回まで続きました。日経にしては珍しい企画とその回数の長さにビックリしました。小島さんには相当な思い入れがあると感じました。
(お読みになっているかもしれませんが、ご参考)


[906] ありがとうございます 投稿者:工藤祐経系 [追加希望] 投稿日:2005/04/03(Sun) 19:45
泰胤系さま、情報ありがとうございます。地理的には今は遠いですが、昔、親しかったのだと感無量です。
他のHPで知ったのですが、工藤祐経・祐兼兄弟の父・祐継についての事ですが、東大史料編纂所蔵の一杉系図によれば、工藤祐継の註として「母 八田七郎藤宗基女」という記述があるそうです。
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/keihu/datekei/date2.htm
祐兼さんについては、また、何か情報があったらお知らせします。

 あと、こちらのHPを見て思ったのですが、九州千葉氏についてですが、私のところの家系図の中に、おそらく、15世紀ごろだと推測されますが、竜造寺氏に仕え、肥前国小城郡を領した(一部を領した)と書かれている人物が支流にあるのですが、今までなぜ急に肥前国つまり今の佐賀県まで飛ぶのかなと不思議に思っていました。千葉さん関係(竜造寺・鍋島氏)で行ったのなら、納得がいきます。私の単なる考えです。私は故郷を離れ、今 関東にいるので詳しい情報は調べないとわかりません。失礼しました。


[905] 工藤祐経系さんへ 投稿者:泰胤系 [月星] 投稿日:2005/04/02(Sat) 17:54
「工藤祐兼の娘」と興味深い情報ありがとう御座います。
私の家の系図には、胤堅(1225−1283)と伊藤八郎佐衛門尉祐兼女との間に二男二女がありました。

@千葉次郎宗堅(1246〜1307) 総州千葉生まれ、右馬允従六位上丹波守、将軍惟康親王の御近臣、弘安六年(1283)十月、奥州一方奉行人となって薄衣邑(岩手県川崎村)に住む。父胤堅没後所領相続 奥州葛西領薄衣城主A女子 東右兵衛尉 平胤長室(東六郎大夫胤頼の末孫)→後裔 鹿島神宮の神職
B千葉弥次郎胤祐(1251〜1272) 六波羅の近侍、六波羅二月騒動で北条時輔方で戦い誅殺さる。二十二歳。
C女子 三浦左エ門尉義直室

私も伊東氏について調べていましたが、「伊東家の歴史館」は知りませんでした。これからこのHPを引きつ続きチェックしていきます。
伊東氏関係では、永井秀尚著「修羅の巨鯨 伊東祐親」叢文社(2001)を興味深く読みました。
千葉介常胤の娘「冷泉御局」の情報をもっと知りたいのですので、文献を教えてください。


[904] HPについて 投稿者:工藤祐経系 [追加希望] 投稿日:2005/04/02(Sat) 01:29
あともう一つ、HPで、

「千葉次郎泰胤」は奥州千葉氏の祖か?

のところで、千葉泰胤の子、
胤監(1225−1283)の室、伊藤(伊東?)佐衛門尉 祐兼 女

となっているのは、うちの工藤祐経系の家系での祐経の兄弟 「工藤祐兼の娘」のことだと思います。姓が工藤から伊東に変わるのは、ちょっとした事件が当時あって、工藤姓をやめたのです。伊豆の伊東にちなむらしいです。源頼朝の家来として当時、千葉さんとつきあい深く、子供を嫁ぎ先として出し合ったりしたのではないかと想像できます。以下に工藤・伊東に関連するHPを挙げときます、だいぶ下のほうに簡単な家系図が載っています。
http://www12.ocn.ne.jp/~n2003ito/newpage6.html

余談ですが、工藤・伊東系は千葉さんにとってそんなわるくはないですよ。近世では、初代連合艦隊司令長官も出ていますよ。もちろん、武運にたけた千葉さんの血を引いている事でしょう。下にその写真がある国会図書館のぺージも入れときます。
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/15.html
失礼しました。


[902] 家紋について 投稿者:与五左衛門 [丸に九曜] 投稿日:2005/03/29(Tue) 11:55
今日は〜与五左衛門と言います。家紋について何方かご存じの方教えて下さい。
 我が家の家紋は丸に九曜(囲い満月九曜紋)です。九曜紋は東氏の嫡流に多く使われているようです。この紋章の起源を教えて下さい。

 銚子図書館より借り受けた文献、東大社史、神私事実集をみると東氏28代云々とあり東大社は東家と深い関わりがあるようです。

 又、神私事実集は天正12年頃から安政7年までのものですが、日誌ふうに記されており当時の社会背景が手にとるようにわかります。先代は氏子をしていたようで、神主家らと
伊勢詣でや養子を迎え入れたりしていました。

 名は山本与五左衛門胤成(東家28代胤直の末子)とありました。

 譽五左衛門の名は江戸中期の亨保年代から天保末期まで5〜6代継承されています。

 名前に衛門がついているところを見ると武士の出のようにも見受けられます。そう云えば第二次世界大戦末期、前年の年だったか金物類の供出があって、その時鎧、甲、長槍、
大小刀全部没収されてしまった記憶が残っています。

 青馬は飯田城(森山城)にも近く、下総東氏の支配下にあったこと。東大社のある宮本とも至近距離にあることなどを考え合わせると家紋の丸に九曜(囲い満月九曜紋)は下総東氏の末流に当たるのではないか。そんなふうにも考えられます。これは独断と偏見です。如何なものでしょうか。ご存じの方教えて下さい。

 東氏或いは下総東氏の嫡流の中で山本姓の出自がわかれば教えて下さい。


[901] 相馬介さん・江州さんへ 投稿者:天勝 [九曜] 投稿日:2005/02/21(Mon) 18:50
相馬介さん、返信ありがとうございました。
 「天勝」という苗字には「アマカツ」や「テンショウ」と読む家もいるそうですが、
「チヨシ」という読み方の人であれば全て間違いなく私の親戚です。
神奈川にいる天勝(チヨシ)家は祖父兄弟の流れなので、皆近い親族です。
 宝治合戦で我が一族が大打撃を受けたという話は祖父から聞きました。
新渡戸家と同じ系統というのは全然知らなかったので驚きました。
宝治合戦についてサイトの情報以外で知っていることがあれば詳しく教えて頂けると嬉しいです。

江州さん、可児と犬山について教えて頂きありがとうございます。勉強になりました。
 もし良ければ神奈川で千葉氏に関係した場所を教えて頂けないでしょうか?

最後に、相馬介さんと江州さんお二人になんですが、
 千葉氏に関係した沢山の家系の中に「吉崎」という苗字の家がありますが、
この家はどういう流れの家系か詳しく知りたいので、教えてください。


[900] 初めまして 投稿者:水野白楓 [追加希望] 投稿日:2005/02/18(Fri) 12:37
初めて書き込ませていただきます。
私は千葉氏とは関係はないのですが、東葛地方で育った事もあり、郷土史としての千葉氏に大変興味があります。これからよろしくお願いします。
質問なのですが、千葉氏として最終的な下総守護と呼べるのは馬加康胤に討たれた千葉胤直が最後なのでしょうか?
また、千葉輔胤以後の千葉氏と幕府・朝廷との関係はどうなったのでしょうか?
不勉強なものですから、教えて戴ければ幸いです。

[899] 可児と犬山

投稿者:江州 [丸に州浜] 投稿日:2005/02/13(Sun) 11:11

天勝さんのお尋ねの件ですが、相馬介さんのホームページにも出ています。
まず、可児ですが、実際は可児のまだ東側に位置します御嵩を指しています。御嵩にある蟹薬師こと大寺山願興寺に武蔵千葉の初代千葉実胤が遁世して篭もったとあります。応仁武鑑にも記録が残されています。
次に犬山ですが、ここの殿様は成瀬家ですが、家老として千葉家があったようです。どの系譜の千葉氏かは知らないのですが、中仙道沿いには意外と千葉系の一族が点在しているので調べていくと面白いと思いますが・・・。
どちらも何度となく近くまで来る機会があるのですが、途中下車して立ち寄るまでできていないのが残念です。


[898] no title

投稿者:天勝 [九曜] 投稿日:2005/02/12(Sat) 17:10

宝治合戦で壊滅した話は聞いたことがあったのですが、
東胤行が遺児を助命した話は知らなかったので驚きです!
自分の先祖のことが分かってくると嬉しいですね。

阿波千葉氏が上総千葉氏の出であるかも…という話ですが、
私と江州さんが掲示板を通して話を出来ているという事実を考えると、
先祖も何かご縁があるような気がします。

ところで飛騨高山へ出張なさっていたそうですが、
千葉氏に所縁のある可児や犬山とはどのような所ですか?


[897] 天勝さんは上総千葉氏の出ですか!

投稿者:江州 [丸に州浜] 投稿日:2005/02/09(Wed) 23:26

飛騨高山へ4日間ほど出張していました。帰りに千葉氏に所縁のある可児や犬山を臨みつつ寄れなかったのですが・・・
『タ行の仮名返し』ですか。日本語も難しい活用があるものですねぇ!
それに、天勝さんのお家が上総千葉氏の流れとは驚きですね。上総千葉氏も宝治合戦で壊滅してしまいましたが、東胤行が軍功に変えて上総千葉氏の遺児達を助命したと伝え聞きますので、その系譜が残るのは不思議ではないですから。
ちなみに、阿波千葉氏は千葉上総介常隆の末裔と謂われていますから、ある意味天勝さんとお近い関係かも知れません。もっとも私の家では亡父が系図中に堺氏(上総千葉の別名でもあるようです)が阿波に渡った千葉家があると言ってましたので、阿波千葉氏も上総千葉氏の出であったかも知れません。(系図がないので、信憑性がどこまであるのか・・・)


[896] 江州さんへ

投稿者:天勝 [九曜] 投稿日:2005/02/06(Sun) 23:07

このところ忙しく、返事が出来ませんでした。

江州さんは千葉氏又は千葉氏に関わる家の方なんですね。
臼井氏と親戚のような関係であったり、徳川家とも関わりがあったり何とも複雑なようですが興味深いです!

チヨシという読み方は、前に祖父から聞いた話によると、
『タ行の仮名返し』と呼ばれるものらしく、(なんとなくしか覚えていないので文法の名称が違うかもです…)
文法上も間違いではないそうです。

それと、自分で過去帳等を調べて分かったことなんですが、
私の家は、千葉一族の中でも上総氏の流れのようです。
実際、過去帳には『従五位下 千葉介胤政』『上総権介 常秀』
『上総権介 秀胤』『式部大夫 時秀』『式部大夫 豊秀………
と書かれていました。


[895] ちよしさんへ

投稿者:江州 [丸に州浜] 投稿日:2005/01/24(Mon) 13:18

天勝さん、こちらこそメッセージ頂戴しありがとうございます。
「ちよし」さんの読み方になったのは何か謂れは残されてませんか?例えば千葉県に残る家で山梨さんがありますが、「月見里」というやまなしさんに代わった例もありますから、興味が湧きますね。

それから江州が「関東の千葉氏の方ですか」の件ですが、相当古い家なのに系図を紛失してしまい確たることは申せません。ただ、状況証拠から見て関東の武蔵へ移った千葉氏に関わる家かも知れません。美濃の出で後に近江仁証寺に移った市橋家に仕えていた(美濃?の)臼井氏が親戚のような位置にあり、近江八幡から天正18年に転封となった遠藤家との関係で美濃加茂から近江日野に出てきたのかも知れない状態で、日野で武家茶懐石を始めて生業としていた関係で徳川家の庇護とそれ相応の処遇を受けており、そのくせ「胤」の字を当主が持たず、家紋もちょっと違うといった不思議な家です。


[894] 江州さんへ

投稿者:天勝 [九曜] 投稿日:2005/01/23(Sun) 14:09

江州さん、メッセージありがとうございます。
「猪ノ鼻峠」とは面白い名前ですね。
興味深い話を聞かせて頂きました。

天勝(ちよし)という苗字は色々な方に珍しいと言われます。
読み方が難しいので何回も読み間違えられたり面倒なこともありますが、顔を早く覚えてもらえるのが良いです。

系図(といっても謄本のような物)のことですが、
なぜ箸蔵寺に預けている理由は祖父も知らないそうです。
預けてあるのは原本で、それを写した物が祖父の兄の所にあり、またそのコピーが祖父や私の家にあります。
原本を写したのは当時の箸蔵寺住職「箸蔵善龍」という方だそうで、その関係でこちらに預けられたのかなと思います。

江州さんは関東の千葉氏の方ですか?


[893] ちよしさんとはお珍しい

投稿者:江州 [丸に州浜] 投稿日:2005/01/23(Sun) 12:05

天勝さん初めまして。
阿波箸蔵寺ということですが、三好郡池田町にありロープーウエーで上っていく有名なお寺ですね。ちょうどこの寺の麓から琴平へ抜ける峠があるのですが、それが「猪ノ鼻峠」です。ちょっと意味深ですよね。でも箸蔵寺に系図を収めているのは何のご関係があったのでしょうね。
ここから東に15kmほど離れた美馬郡に阿波千葉氏の安楽寺があります。鎌倉中期にはこの地に移住された非常に古くて独自の発展をされてきた御家です。
江州の家も代々表千家の許しを得て「宗○」の号を当主達が名乗ってきましたが、その伝統は明治で途絶えてしまいましたよ。

国史さん初めまして。
十津川村の千葉家は過去ログで相馬介さんが触れられていますよ。本物に間違いないのでは・・・。関西の千葉氏は情報が乏しいので江州も調査には四苦八苦しています。でも十津川村郷士の千葉家は幕末に足跡を残していますから、関西の千葉氏の中でも非常にメジャーなんですよ。


[892] no title

投稿者:N.Chiyoshi [九曜] 投稿日:2005/01/21(Fri) 23:09

はじめまして。「天勝」と書いて「ちよし」と言います。
住んでいる所は神奈川で、家紋は九曜です。
祖父から千葉氏の子孫であることを聞き、興味を持ったのでカキコしてみました!
話によると代々神主をしていた家系で、昔あった千葉刑務所の土地は我が家の土地だったみたいです。
家系図もあり、徳島県の箸蔵寺に預けてあるそうです。
それと産まれた男子の名前を「豊○」とする決まりがあります。(最近は守られていないようですが…)
その他、分家(だと思います)に「千勝(ちかつ)」さんがいます。
この少ない情報で何か分かることがあったら嬉しいです。


[891] 初めまして

投稿者:千葉 国史 [月星] 投稿日:2005/01/09(Sun) 12:06

千葉です。奈良の十津川村というところに先祖の墓と寺があるのですが本物でしょうか?


[890] 新年ご挨拶

投稿者:江州 [丸に州浜] 投稿日:2005/01/01(Sat) 00:38

相馬介様、お久しぶりの下総介様こと佐様、それに掲示板にご参加の皆様、新年明けましておめでとうございます。
ご無沙汰しておりましたが、お蔭様で何とか一年を過ごしてこれました。昨年は美濃加茂や郡上八幡に近いところまで2度ほど行ったのですが、途中下車できず残念ながら岐阜の千葉一族の跡地には寄れていません。また、初詣も今朝からの積雪のため、8日にでも千葉山安楽寺に立ち寄るよう予定変更となってしまいました。何とか宿題を果たして充実した一年としたいものです。
平成17年が皆様にとって良い年になりますよう、祈念しております。


[889] 俺は誰の子?

投稿者:千葉 貴 [月星] 投稿日:2004/12/29(Wed) 23:29

勿論ちゃんとした親がいます。(非嫡出子ではない)
両親と共に福島県郡山市在中です。
曽祖父は画家及び紋章上絵師。祖父は写真館経営(婿養子)
祖母が直系。父は会社員だった。曽祖父以前の先祖がわからない。知る者がすでに誰もいない。家紋は月星。
今は亡き祖母から、昔聞いた話によると三春という所で医師を
していた家系だったらしいです。明治以前も農民ではなく
名字を名乗っていたそうです。勿論家紋も。
三春とは田村郡三春町。田村藩が在ったところ。
坂上田村麿に由来する土地。今でも三春近辺には親戚がいます。
曽祖父は異端児で医師にはならず画家を志し、食うために着物の家紋入れをしていたようです。
売れない画家で相当貧乏をしたそうです。家宝?も随分売り払ったらしいです。

相馬以外で福島県での千葉氏情報が有りましたらお知らせ願いたいと存じます。


[888] こんなことが

投稿者:篠原 [家紋不明] 投稿日:2004/12/21(Tue) 23:33

ご無沙汰しております。
うちの家族構成からふと思ったのですが、

・うちの苗字は篠原ですが、屋号が「ソメヤ」。
・母の実家の本家の苗字は「日暮」で、一度家が絶えたので家名を残すために、
茨城県の西南部の同族から曾祖父母かその前の代の方々が入ったそうです。
・また、祖父は養子で実家が「円城寺」。
やはり曽祖父母に子がなかったので一族から入ったそうです。
(記憶では曽祖父母も養子と聞きました。)
・実家周辺の集落は千葉氏家臣団が帰農したものであり、
我が家もその当時からある、と伝えられているそうです。

これってもしかして千葉氏遺臣団のネットワークの名残なのでしょうか?
ただの偶然ですかね?(私の両親は偶然ぽいですが(笑))

惜しむらくは家族が「過去」とか「先祖」というものに
これっぽちも興味がなく、
(なにせ「房総の古城址めぐり」が家にあったのが、
「爺さんの実家が古本に写真で出てたから思わず買った。
その場の勢いで余計なものを買ったと後悔している。」
という暴言?からも推察できます。)
「聞いたことあるかもしれないけど覚えていない」とのことなので、
私の小学生当時健在だった曾祖母がたまにしてた話しの、
あやふやな記憶が頼りなのが残念です…。

母方の祖父母は先年相次いで他界してしまって聞けませんし、
父方の祖父母もとうに80歳を過ぎているし…。

伝承もこんな風に消えていくんでしょうか…。


[887] 勧学義塾について

投稿者:伊皿木 [月星] 投稿日:2004/12/20(Mon) 15:42

明治5年(1872年)に芝愛宕下町に開業した「勧学義塾」という名前の私立学校について調べています。校主として、近江三上藩6代藩主遠藤胤城氏が、常陸下館藩9代藩主石川総管氏と共に挙げられています。「勧学義塾」について、何かご存知の方が居られましたら、是非、ご教示お願い致します。


[886] no title

投稿者:母体の千葉 [丸に三柏] 投稿日:2004/12/19(Sun) 21:13

皆さんこんにちは
「千葉氏の家系」第2号が出版されました。
店頭販売は行っておりません。
ご希望の方はこちらまでご連絡ください

千葉氏の家系 第2号
岩手千葉研究会編
価格 1000円 (送料別)
連絡先 岩手千葉会 事務局 
TEL・FAX 0197(24)5220


[885] RE:平姓について

投稿者:のわぜっと [丸に花菱] 投稿日:2004/12/14(Tue) 01:57

HAZU様
早速アドバイスいただき有難う存じます。m(__)m 質問致しました平姓の者は、武蔵国出身の武士ですが、江戸時代に幕臣として江戸に居を移しており、もともとの武蔵国のエリアとは、江戸時代に縁が切れているようなのです。そこで、東京都、江戸時代居住していた区、中世以前のもともとの出身地のいづれに問い合わせるべきか、それとも武士を研究しているような大学に尋ねるべきなのか、わからずにおります。また、大学とは申しても、何処の大学なら興味を持っていただけるのか、など自分の勉強不足で存じておらぬ有様です。 素人考えなのですが、東京は、武士が大勢いて、中央政府があったところなので、ほんの一武士の資料がお役に立てるのだろうか、と躊躇の念を感じてしまったりしております。 しかし、おっしゃるとおり、まずは公共機関の文化担当部局や歴史資料館などをたずねるのがよさそうですね。参考になりました。有難うございました。


[884] RE:平姓について

投稿者:HAZU [梅鉢] 投稿日:2004/12/13(Mon) 03:08

 のわぜっとさんへ
 市町村あるいは県の教育庁の文化担当部局に歴史資料の寄託について問い合わせたらどうでしょうか。
 たとえば、私が住んでおります福島県では、県史及び市町村史編集で見つかった資料を中心に多くの資料が福島市にあります県歴史資料館に寄託又は寄贈され、後からなされる多くの研究に利用できます。他の県にも似たような機関があるのではないでしょうか。


筈衛


[883] 平姓について

投稿者:のわぜっと [丸に花菱] 投稿日:2004/12/10(Fri) 02:06

はじめて書き込みさせていただきます。 こちらのHP様へは平姓を尋ねてたどりつきました。膨大な情報に敬服致します。 早速恐れ入りますが、アドバイスいただきたいことがございます。 我が家には、千葉氏ではございませんが、平姓の流れを示す古文書が、状態がよろしくありませんが、ほんの少しございます。 それが、どちらか歴史を研究なさっているところでお役に立つものなのかどうか、わからなく、どうすればよいか、考えあぐねております。 もちろん、大切な形見の品ですので、このまま大切に我が家で保存しているのがなによりと思ってはおります。 しかし、もしなんらかの学術等のお役に立てるものであれば、それに使用していただくのも、ご先祖様が喜ぶのではないかと考えたりも致しております。 なにぶん、歴史への造詣が浅いもので、どうしてよいかわかりません。 もし、よろしければ、アドバイスいただきたく存じます。


[882] オレンジ様へ

投稿者:下総介 [月星] 投稿日:2004/11/30(Tue) 12:48

妙見信仰の研究、ぜひがんばってください。一番の千葉氏の妙見資料ですと千葉県市立博物館の研究報告とくに「千学集抜粋」「妙見千集実録記」などがおすすめです。また小生の「千葉氏探訪」もおすすめです。県立図書館で閲覧できますよ。またいろいろな文献がありますが、また整理してお伝えします。


[881] 幕張会会長様へ

投稿者:下総介 [月星] 投稿日:2004/11/30(Tue) 12:25

はじめまして。私も千葉県内はもとより全国の千葉の遺跡をめぐりましたが幕張はたいへん面白いところです。子守神社の神官家の中須賀さんは千葉氏発生(常重)以前から存在する姓ですね。
特に神代本千葉系図にもよく掲載されています。亡き中須賀武文先生にも確認したことがありました。なぜか大須賀胤信伝承がおおく宝憧寺には胤信寄進の仏像があって、文化財指定されています。確かあの近辺の方々の家紋は「月に九曜星」ではないでしょうか?


[880] 復活! 柴田さん佐です。

投稿者:下総介 [月星] 投稿日:2004/11/30(Tue) 12:21

ご無沙汰しています。佐といえばわかりますよね。おげんきですか。今年の7月以来、顕彰会を休んでおりますが千葉氏についての情報のみ提供していきたいと思います。皆さんよろしくお願いします。

佐さん、ご無沙汰しております。またいくつか質問させていただきたいことがありますので、その時はよろしくお願いします(^^)
[From 相馬介]


[879] 高城氏は存在しますか?

投稿者:高城コウジ [月星] 投稿日:2004/11/25(Thu) 00:41

[877] 投稿日:2004/11/08(Mon) 02:57
※旧掲示板より移動…管理人

東京の世田谷に住む高城です。
めずらいしい名前なので投稿しました。
実家は品川ですが、小さい頃に高城家のルーツにような家に行った記憶がかすかにあります。
今でも父は品川の旧東海道で酒屋をやってます。
ただ祖母も亡くなりつながりがなくなりましたが、高城家は今も千葉にあるのでしょうか

高城さん、こんにちは!
「高城」という名字は千葉県北西部に多く見受けられます。かつての高城家の本城であった小金大谷口城
周辺には、現在でも旧臣の家柄である安蒜家、日暮家といった旧家が見られます。また、大谷口城の北の支城であった箕輪城(千葉県東葛飾郡沼南町)のあたりには、高城家をはじめ旧臣の染谷家、座間家、血矢家、田嶋家、石戸家、成嶋家が見えます。旗本の高城氏は江戸時代になっても旧臣家と交流を持っていたようで、実際には公的な効力はない「官途状(○左衛門に任じる、など)」を発給しています。

[From 相馬介]


[878] 告知

投稿者:母体の千葉 [丸に三柏] 投稿日:2004/11/23(Tue) 10:58

下記の内容で岩手千葉会学習会を開催します。

期日 2004年12月11日(土) 13:30〜15:30
場所 水沢市 大鐘南公民館 (水沢消防署となり)
内容 2005年度の研修地
   「千葉氏の家系」第2号販売 1000円(第1号残り何冊かあります。)
   
尚、我が家のルーツの原稿を随時募集しています。(第3号分)


[877] はじめまして

投稿者:オレンジ [月星] 投稿日:2004/10/19(Tue) 12:24

皆さんはじめまして。私は大学で今回「日本の中世神話と千葉氏」について調べることになったのですが参考文献さがしにとても難儀しています。何か良い文献等ありましたらお教えいただけないでしょうか。また、このテーマは先生の薦めによって決定されたのですが千葉氏と中世神話を直接的に結びつける中世神話が思い浮かびません。自分としましては「妙見信仰」関連で進めていくのが適当と思いあれこれと調べてはいるのですがなかなかしっくりくるものがありません。よろしければそういったあたりも含めてアドバイスをいただければなと思っています。お願い事ばかりで恐縮ですが力をお貸しください。
時間の都合上あまりパソコンに触れる時間を取れないのでお手数でなければEメールのほうに返事をいただければ幸いです。


[876] おつかれさま

投稿者:HAZU [月星] 投稿日:2004/10/03(Sun) 00:46

 おひさしぶりです。
 ここんところ、奥州相馬氏を加筆訂正しているところのようですが、ついでに相馬利胤のところで、「相馬・徳川家関係図」も直してください。
 訂正場所
  岡部丹波守と神尾氏は夫婦ではない。
  神尾氏は元勝の祖母ではない。
  神尾氏は阿茶局で飯田筑後直政の娘で神尾孫左衛門忠重の妻となり、夫の戦死後徳川家康に仕えた人物であり、霊光院と名乗る。東福門院の入内時の母代でもある。
  実子は神尾守世、養子は神尾元勝である。
  家康の側室茶阿局は花井某の娘で、土屋忠直、相馬利胤後室を養子とする。松平忠輝の母親である。『寛政重修諸家譜』の土屋忠直の項では阿茶局となっているが、松平周防守家家臣石川正西の聞見集でも松平忠輝母となっているから茶阿局のほうです。

筈衛

HAZUさん、こんにちは。
いつもすいません(^^;

 ご指摘の箇所訂正しておきました。靈光院は忠胤の母堂ですので、阿茶方は雲光院としておきました。
 神尾元勝は相馬義胤の後嗣問題に介入して問題を起こし、相馬家と絶交されていますね。土屋家の仲裁が入ってようやく昌胤の代に交流が戻ったようです。元勝の孫娘たちが嫁いだ柴田家、大岡家、能勢家などとも親戚付き合いをしていたようです。

 ところで、相馬家の家臣に花井家(もと泉家)がありますが、こちらと茶阿局との関わりはあったりするのでしょうか? 時代的に花井家が相馬家に従ったほうが先なので、あまり関係があるとは思えませんが、もし何かご存知であればお教えください。

[From 相馬介]


[875] 今度はまじめに投稿!

投稿者:幕張会 会長 [九曜] 投稿日:2004/09/27(Mon) 22:29

 

私の家は千葉氏の子孫です。
出は大須賀四郎の末えいにあたります。
家紋は先に言いましたが、五三の桐です。
よろしくお願いしますね。
地元氏神様は中須賀氏です。
九曜の紋です。
幕張町=馬加康胤
謀反起こした方ですね。
それは昔の話。
我が家はどの位前からいたのか?
大須賀四郎からですかね?
上をたどれば千葉常将初代かな?
もっとたどればうちは源氏ですね。


[872] no title

投稿者:八雲の千葉氏 [月星] 投稿日:2004/09/22(Wed) 10:46

月星の千葉さん、ありがとうございます。親の本籍は札幌になってしまっていますがなんとかさかのぼって調べてみようかと思います。後日結果報告いたしまーす。

八雲の千葉さん、こんにちは。

 あまり参考にはならないと思う情報なのですが、八雲町は旧尾張藩が開拓使から払下げを受けて、藩士を移住させています。ただ、約八十名とのことなので、そこに千葉氏がいたかどうかはわかりません。

[From 相馬介]


[871] no title

投稿者:母体の千葉 [丸に三柏] 投稿日:2004/09/06(Mon) 21:51

皆さんこんにちは
今年も平成16年9月26日(日)に
唐梅舘絵巻が行われます。
どうぞ皆さんでおこしください。
http://www.shokokai.com/higashiyama/html/news/news01.html
また、「千葉氏の家系」第二部(岩手千葉研究会)が
12月頃の発売予定です。
詳しくは追ってご連絡します。

母体の千葉さん、こんにちは。

いよいよ唐梅舘絵巻ですね。今年も盛大なお祭りになることと思いますが、がんばってください(^^)

[From 相馬介]


[870] 千葉の木内です。

投稿者:木葉 [月星] 投稿日:2004/09/05(Sun) 05:08

このHPには感動しました。以前、小見川の木内字にある、木内神社を訪問したことがあります。ここがルーツか、と深い感慨がありました。木内は地味ではありますが、誇りを保ち、また先祖の名に恥じぬ行動を心がけたいと思います。
有難うございました。

木葉さん、こんにちは。
お褒めのお言葉ありがとうございます。

私はまだ木内神社、小見川城址など、小見川周辺の調査が不十分のため、近いうちに行きたいのですが、なかなか時間がなく… 二年近く東総に行けないでいます(T_T)

[From 相馬介]


[869] 八雲町千葉さんへ

投稿者:本籍は? [月星] 投稿日:2004/09/04(Sat) 01:34

岩手の月星の千葉です。戸籍謄本で内地の本籍地が分かりませんか? ただし、役所の古い戸籍簿(明治20年代?)以前のものは廃棄されており、本籍地移動がそのあたりなら、なかなか難しいかもしれません。古い順に廃棄されていっています。 また八雲町の郷土史・町史などに、どこから来たか記録がありませんか。 やはり役所や郷土史家から内地の本籍地に関わる手がかり聞くのが一番です。 それが、判ればその本籍地に行き、現地の古老に聞く。それも出来るだけ早く。「もう少し早く来れば聞けたのに・・・」とよく私も経験しました。 岩手・宮城の千葉姓は比較的系図が残っています。 特に月星は岩手県南側で使われいるかと思います。


[868] はじめまして。

投稿者:北海道山越郡八雲町千葉氏 [月星] 投稿日:2004/09/03(Fri) 11:06

こんにちわ、自分の家のルーツを調べたくて覗きにきました。いっぱいありすぎてわかりません!(汗)自分の先祖を調べるにはどうしたらよいのですか?親戚の方もあまり興味がないようで調べようがありません。お墓の家紋は月星でした。東北のあたりからきた北海道開拓民だったのでしょうか?


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