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はじめまして |
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投稿者:大甕
[追加希望] 投稿日:2004/09/01(Wed) 20:15 |
はじめまして 管理人さんへ 相馬の原町市に住んでるものです 我が家には昔からの家系図があり先祖のことは少しはわかってたのですが ここでかなり詳しく書いてありびっくりしました 今年の野馬追いに来られたそうですがかなり暑かったと思います 私は13年野馬追いに出てますが今年は一番だったかも 懲りずにまた見に来てください |
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初めまして♪ |
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投稿者:千葉 忠
[三日月] 投稿日:2004/08/30(Mon) 21:36 |
初めまして、千葉の性を調べてみたらこんなHPがあるなんて、家紋は三日月に星と父が言ってました、父は青森県三戸郡田子町の清水頭の出ですが、余り親戚付き合いがないので僕の先祖についてよく知りません、お爺さんは元軍人で獣医の資格を持った騎馬隊の隊長で中尉だったとか、本家に住んでた頃は刀や甲冑などがあったそうですが、自分の祖先を知りたいので、何か手がかりはありますでしょうか?本家にきけば早いのですが、親戚という付き合いはいまはなく父も73歳で何も覚えていないらしいです。 |
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千葉 忠さん、こんにちは。 調べる手順としては、まずは『田子町史』を調べてみるとよいかもしれません。三戸は三戸南部氏(盛岡藩主南部氏の祖)の出身地ですので、遡れば南部氏との関わりがあるかもしれません。また、三戸南部氏の一族で重臣の南部信愛(北松斎)は千葉氏を庇護していたという注目すべき研究もあります。
他には、お寺に残る過去帳を見せていただく(事前にお寺に要連絡。プライバシー等の関係で見せてもらえない場合もあります)ことや、役場にある戸籍、除籍の謄本をとるなどの方法もあります。ただし、岩手の月星の千葉さんがおっしゃるように、明治初期に作成された戸籍、いわゆる「壬申戸籍」は現在で考えれば差別的な族称等が記載されるなど問題が多いと判断され、現在では閲覧できません。また、除籍は五十年経過すると、廃棄が市区町村の裁量に任されますので早めにお取りしたほうがよいでしょう。
[From 相馬介]
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教えてください。 |
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投稿者:空
[月星] 投稿日:2004/08/30(Mon) 13:29 |
こんにちは。初めまして。 あたしは天女の羽衣伝説について調べている者です。 この前、千葉六党が天女の子孫という話を聞きました。 これは本当なんでしょうか。 もし誰かご存知の方がいらっしゃいましたらメール等で教えていただけると光栄です。 また、羽衣伝説のことについても、お願い致します。 それでは。 突然失礼致しました。 |
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空さん、こんにちは。
千葉氏にも羽衣伝説がありますが、千葉六党の羽衣伝説ではありません。六党の羽衣伝説は、平将門と天女の間に生まれた千葉介、相馬、東少輔、武石、野尻、松崎の六氏の伝承です。
千葉氏の羽衣伝説は、現在はなくなってしまいましたが、今の千葉県庁前の公園に千葉(せんよう)もの蓮が咲いている池(池田の池)があり、そのかたわらに大きな松の木がありました。
平安時代のこと、人々が寝静まった夜、この蓮池のほとりに天女が舞い降り、傍らに立つ松の枝に羽衣を掛けて咲きほこる蓮を眺めていたといいます。この天女のうわさを聞いた千葉氏の遠祖・平常将は、ぜひ天女を妻にしたいと思い、羽衣をひそかに隠してしまいました。天女は羽衣を返してほしいと願いましたが、常将は返さずに天女を妻にして、やがて男の子(のちの常長)が生まれました。この天女の話はいつしか京都の帝の御耳にも入り、召還された常将はこの話をありのまま奏し、いたく感動された帝は常将に「これは前代未聞のことであるので、其の方の地を千葉の蓮の花にあやかってこれから千葉と名乗れ」と仰せがあり、この時から常将は千葉を称した、という話です。
http://www.chiba-kodomohp.jp/jiman/chuo04.html このサイト様が参考になるかと思います。
[From 相馬介]
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千葉藤四郎 |
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投稿者:久留里藩士
[九曜] 投稿日:2004/08/30(Mon) 00:10 |
上総国久留里藩士千葉圭三、コウ(にんべんに孝)吉兄弟に連なる者です。 家系図は正胤で一旦途切れ、仙台城主松平重村家中の千葉藤四郎命賢が浅草薮の内に退去するところから再び始まり、次に登場する半助命辰から久留里藩となっています。 なぜ正胤で途切れるのか、藤四郎とは何者なのか、お心当たりの方がおられたら教えてください。 |
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久留里藩士さん、こんにちは。 『仙台藩家臣録』や『伊達治家記録』などをあたってみましたが、「千葉藤四郎」についての具体的な事柄は見つけられませんでした。 『仙台藩家臣録』にあった「千葉」氏を列記します。 ・千葉久右衛門――弥右衛門――市郎兵衛(7貫30文) ・千葉次郎右衛門(安部又兵衛婿)==久兵衛(5貫137文。次郎右衛門弟) ・千葉正三郎==善左衛門(正三郎弟)―□―権作 ・千葉善七――善七――権平(14貫581文)
この中の人物に千葉藤四郎氏の祖先がいるかもしれません。藤四郎が浅草に退去した年や正胤の伝承などがわかればお教えください。
[From 相馬介]
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[863]
千葉妙見大祭 |
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投稿者:管理人PC
[丸に並矢] 投稿日:2004/08/16(Mon) 08:23 |
8月16日〜22日は千葉市の千葉神社で妙見大祭が行われます。 |
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no title |
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投稿者:母体の千葉
[丸に三柏] 投稿日:2004/08/07(Sat) 23:56 |
皆さんこんにちわ 千葉氏顕彰会の皆さん三日間のご旅行苦労様でした 今回の交流でみなさまの研究に対する熱意と質の高さを 改めて実感させていただく事ができました。 今後も目標とさせて頂きたいと思います。 どうぞよろしくお願いいたします。 |
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みなさんこんにちは |
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投稿者:宮城の千葉
[十曜三日月] 投稿日:2004/08/03(Tue) 03:31 |
管理人さん、皆さんこんにちは!久しぶりにここにくることができました。 葛西氏の話題などが出ていますが大変興味深いものですね。 私の方は宮城の本家筋が消滅しかかるなどいろいろありましたが、 またこちらにおじゃまさせていただきますので宜しくお願い致します。 |
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お久しぶりです、宮城の千葉さん。 18日から相馬、仙台、涌谷と相馬氏、伊達氏、武石氏(涌谷伊達家)めぐりをしてきます。2日でまわるの少しタイトですが、涌谷ははじめてなので、楽しみにしています(^^)
[From 相馬介]
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[860]
相馬野馬追い |
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投稿者:管理人PC
[丸に並矢] 投稿日:2004/07/26(Mon) 12:31 |
福島県原町市、相馬市などで毎年7月23日から行われる「相馬野馬追い」に行ってきました! 今回は24日の本祭(原町市雲雀が原祭場)、25日の野馬懸(小高町の小高神社)を取材しました。 暑かった!!!
相馬氏の菩提寺である小高の同慶寺にも行ってきました。その日は歴代の殿様たちの墓所の門が開いていたため、中を拝見できました。住職さんによれば墓所の門はめったに開けないとのこと。う〜ん、貴重でした。 |
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義尚 |
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投稿者:千葉晴胤
[月星] 投稿日:2004/07/17(Sat) 00:58 |
義尚の偏移を受けた武将はあまりいないです。 伊達尚宗(大名) 石川尚光(大名) 畠山尚順大名) 細川尚春(分家守護)細川尚経(細川一門) 大崎義兼(大名) 有馬尚鑑(?)松本尚勝(武芸者)岩松尚純(大名) 葛西尚信(大名) |
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平泉をめぐる旅 |
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投稿者:管理人PC
[丸に並矢] 投稿日:2004/07/15(Thu) 22:01 |
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間違い |
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投稿者:千葉晴胤
[月星] 投稿日:2004/07/15(Thu) 04:19 |
下総相馬の簗田系図が間違ってます。梁田高助の娘が足利晴氏室です。 |
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千葉さん、こんにちは
ありがとうございます。修正しておきました。
[From 相馬介]
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足利さん |
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投稿者:真美
[丸に笹竜胆] 投稿日:2004/07/09(Fri) 10:28 |
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真美さん、こんにちは
足利義尚は室町幕府八代将軍・足利義政の子です。寛正6(1465)年11月23日に生まれました。母は右少弁・日野政光の娘、富子。
文明5(1473)年12月19日に将軍職を継ぎ、23日、源氏長者となりました。
近江の佐々木高頼を討つべく、みずから出陣したのは有名。歌人としても知られていて、『常徳院殿御集』があります。
長享3(1489)年3月26日、佐々木高頼と対陣中に亡くなりました。享年二十五歳。法名は常徳院殿悦山道治。
[From 相馬介]
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葛西系図と伊達氏 |
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投稿者:千葉晴胤
[月星] 投稿日:2004/06/20(Sun) 13:40 |
すいません歳は私19歳なので葛西家の非常に奥深い所は分からないです。 葛西胤重についてはですけど晴胤のひ孫は事実だと思います。晴胤の4男(?)俊信の孫らしいですから。 葛西家といえば仇敵大崎家ですが、大崎義隆の妻は葛西氏です。 確かに葛西晴胤父は晴重なのか?それとも娘婿かですね。 ただ最近疑問に感じましたが。晴胤の死亡年齢なども結局不明ですよね。もしかしたら伊達稙宗の子の説は少々ありえるかもしれません。 葛西家では最も真意なのは葛西晴信からでしょう。1534年生まれ信長と同い年ですから、ただ長兄親信と年齢差が20近くあります。これでますます晴胤については疑問になります。
それと葛西宗清の父は伊達成宗だと思います。どこの系図を見ても書いてあります。前も言ったとおり稗貫家は一様伊達一族の家柄です。当主晴家の父が宗清だとしてもおかしくないと思います。葛西義重については私は良く分からないです。親信は生来病弱でした。桶狭間の1560年に死亡してますね。 晴胤はともかく5人近くの子がいたらしいです。 それと稙宗の祖父上杉定実説ですが確かに養女の可能性がありますね。蘆名盛きよの母も上杉定実の娘です。確かに盛きよと稙宗の年齢差は2つくらいです。ここで面白いことがわかったのですが。子の晴宗と 蘆名家の盛氏は従兄弟 輝宗と盛興も従兄弟 伊達 蘆名は三代続けていとこ同士です。極めて珍しいと思います。
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またひとつ |
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投稿者:千葉晴胤
[月星] 投稿日:2004/06/10(Thu) 18:05 |
伊達家の家計図ですが見ているほうはあれでは混乱します。 岩城重隆の娘と伊達晴宗との間に生まれたのは岩城親隆 娘(二階堂盛隆母)輝宗 娘(小梁川盛宗妻)政景(留守) 娘(蘆名盛妻、甥盛隆の妻) 昭光(石川)娘(伊達実元妻)娘(佐竹義重妻)盛重(国分)直宗(杉目)これが正しい系図ですよ。 |
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葛西家 |
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投稿者:千葉晴胤
[月星] 投稿日:2004/06/08(Tue) 05:55 |
相馬介様こんにちは、 葛西家の系統はいろいろ調べてますが。まず晴胤の父は晴重 におそらく間違いないでしょう。1533年に没しました。 晴胤は1551年か1555年に没しました。それに次兄稙清の養子晴清(伊達稙宗七男)もすぐ没しました。 その後は葛西石見守親信。1560年に病弱でなくなる。 家督は三弟晴信。次兄大原信茂は名の通り大原家継承。 葛西義重は葛西家中でももっとも謎の人物です。自分も良く分からないす。晴信には二人の息子がいたのはまちがいないです。確か信秀と清秀と言いました。どちらかはすぐ殺されました。それと葛西宗清の父は成宗でしょう。伊達家の宗の偏いを受けてますし。系図の中でも良く見られます。 |
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千葉さん、こんにちは!
晴胤の養父が晴重であると記載があるのは、仙台藩系統の葛西氏、父であるとするのが南部藩系統の葛西氏ですね。一方で、植清、晴清、大原信茂などは南部藩系統の葛西氏系図にのみ見えます。
この両系図はどちらが正しいかはわかりませんが、両者の人物名を混在させてあつかうと危険ですので、このサイトでも分けて扱うことにしていますが、最近では仙台藩系統の葛西氏系図が、南部藩系統の葛西氏系図よりも信用が置けるかと思っております(全面的な信ではありませんが)。
[From 相馬介]
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妙見さまと観音さま |
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投稿者:大刻庵笑寿
[梅鉢] 投稿日:2004/06/07(Mon) 16:23 |
初めまして、こん**は
坂東八平氏の共通の守り本尊である妙見信仰について調べています。 千葉氏の妙見には「妙見観音」と言うものがあると聞きました。 どのようなものだったのか解る方いらっしゃいますか。
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大刻庵笑寿さま、こんにちは!
「妙見観音」はあまり聞かないのですが、妙見神の本地仏は十一面観音菩薩または七仏薬師如来とされております。十一面観音と何か関係があるのかもしれないですね。
[From 相馬介]
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[849]
付け加え |
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投稿者:千葉晴胤
[九曜] 投稿日:2004/06/07(Mon) 06:26 |
上杉定実と伊達稙宗については祖父孫の関係となってますが どうも私は疑問になることがあります。そもそも 岩城重隆の娘を奪って妻にした歳の1534年 は稙宗は47歳 このとき定実は80以上になるでしょう。 しかし1550年、越後長尾家での騒動で為景の四男景虎 (謙信)が家督を継いだとき 異母兄晴景を定実が説得したと言いますが。このとき定実は90近く、ちょっと自分は何かおかしいと前から薄々気になってます。90になる定実だとしても晴景をこの歳で説得できますかね? それに定実は 名ばかりの守護と言われた、長尾家の仇つづ。この辺の系図も少しおかしいと思います。 |
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上杉定実が伊達植宗の祖父であることは諸書にあることながら、世代的な問題は確かに感じますね。単純に養女であったとも考えられますが、伊達家と血縁関係にあったことだけは確かなようです。 ただし、植宗祖父説を覆すような文書もないので、とりあえず定実は植宗の祖父と位置付けてよいと思われます。
[From 相馬介]
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[848]
相馬介様 |
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投稿者:千葉晴胤
[月星] 投稿日:2004/06/07(Mon) 06:14 |
具体的にですけど、伊達稙宗は正室の蘆名盛高の娘とそもそもは従兄弟同士で結婚しました。その間に 長女相馬顕胤妻 蘆名盛氏妻(ここも従兄弟同士)三女(早死)長男 晴宗 次男 小僧丸こと大崎義宣 四男(ここでは)早死。 そもそも小僧丸が大崎家入ったのはもう一つ私は分けがあると思います。稙宗は母が上杉定実の娘ですが。父の伊達尚宗 の母は大崎教兼の娘です。そもそもこの大崎 伊達家は共に 足利家の偏倚をけてます。まず大崎家の例では。 教兼(将軍義教)政兼(足利義政)義兼(多分足利義稙) 高兼(足利義澄)戦国期の当主大崎義直と伊達稙宗はいわゆる はとこの関係になります。 伊達家も例外でなく 尚宗(足利義尚)稙宗(足利義稙) 晴宗(足利義晴)輝宗(足利義輝)これは具体的です。 中条定資についてはですが、上杉定実の偏いを受けたくらいですので格式は高いのでしょう。定実にすれば稙宗は孫 だから重臣の娘を妻にやったのではないでしょうか? 田村清顕の伊達系の血縁ですが。稙宗はある側室に宗澄 二階堂輝行妻 盛義母 田村隆顕妻 清顕 氏顕 娘?(二本松畠山義継母、この娘は隆顕の側室が生んだ娘かもしれません。)の4人を生んでます。
それと葛西家の系図もですがいまいちはっきりしません。 特に葛西晴重(稙信 重信 重胤)の親からはあまりはっきりしません。有力な説は政信の三男かと思います。 しかし葛西宗清なども伝わります。宗清の子は稗貫家の当主と成り息子晴家です。葛西家は持信 政信からともかく系図が様々です。葛西晴胤は父は晴重ですが間違いなく兄は二人いました。一説に伊達稙宗は父と言いますがこれは嘘でしょう。生没年を見るとあべこべで全く予想不測ですので。 |
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千葉晴胤さん、こんにちは!
葛西氏の系譜は本当にわかりづらいですね(^^; いくつもの系譜に違う人名、さらに生没年や法名など、かなりの混乱があります。実名が他の文書にはっきり出ているのは鎌倉末期より南北朝期まで。その後は官途名などのみで実名がまったくわからず、系譜に頼るほかはありません。まさに手探りです。
以前まではいわゆる盛岡藩葛西氏に伝わっていた系譜をベースに作っていたのですが、仙台藩葛西氏の系統の系譜のほうが、他の文書等と比較してみて信がおけるのではないかという考えに至っております。葛西晴胤の父は晴重なのですか? できれば、その出典をお教えください。調べたのちにその旨で訂正したく思います。また、晴胤の二人の兄についても、お教え願えれば幸いです。
葛西氏についてお詳しそうなので今疑問に思っていることを二点質問をさせてください。まず、葛西宗清の父は伊達成宗なのか? 二つ目は葛西親信、葛西晴信、葛西義重、葛西胤重の親族関係について。親信、晴信、義重、胤重、このあたりも複雑で文書からは世代の錯誤等々が見えてしまい、書いていて、どうにも確信が持てない部分ではあります。
よろしくお願いします。
[From 相馬介]
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[847]
間違い |
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投稿者:千葉晴胤
[月星] 投稿日:2004/06/06(Sun) 19:54 |
岩城重隆の娘 久保は最初結城晴綱(白河)の婚約です。義顕ではありません。義顕は政宗と同い年です。 それと田村清顕と弟 氏顕の母は伊達稙宗との側室の娘です(二階堂盛義 掛田義宗の母と実姉妹) それと稙宗の三男 実元の母は 中条定資の娘です。 |
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千葉晴胤さん、こんにちは!
岩城重隆の娘は確かに結城晴綱との婚約ですね。おそらく相馬氏の項目に記載のことをご指摘されていると思われますので、書き直しておきます。
ただ、田村清顕・氏顕の母親について、確かに側室の所生と思われますが、あまり書いた記憶がありません(^^; どこの記事のご指摘かをお教えください。相馬氏の項目であれば少々昔に書いた記事ですので、誤りがあるかもしれません。誤りがあれば訂正いたします。
また、伊達実元の母につきましては、中条定資娘という話ははじめてうかがいました。葦名氏所生との説しか管見にはありません。よろしければその出典をご教授ください。
よろしくお願いします。
[From 相馬介]
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[846]
お久しぶりです |
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投稿者:Pino
[追加希望] 投稿日:2004/05/26(Wed) 14:27 |
なるほど、三十朗が土佐に行っていたとは驚きです。郡上にいられなかった理由でもあるのでしょうか?
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Pinoさん、こんにちは!
遠藤三十郎は郡上にいられなかった、というよりも山内家の見性院殿の遺志で、山内家が遠藤家へ図って、当時江戸にいた三十郎を山内家へ貰い受けたのかもしれません。
郡上藩の遠藤家では、慶隆に近い一族の子孫は続かなかったように思えますね。慶隆から慶利のころの筆頭家老は、三十郎の実兄にあたる遠藤内記(実名不詳)でしたが、その後はそういった一族と思しき名が見えなくなります。遠藤常友のころの城代家老・遠藤十兵衛朝慶は、諱に「慶」がついていますので、もしかしたら内記やその他、一門格の人々の子孫かもしれませんが。。
土佐藩の遠藤氏は、代々馬廻衆などに就き、幕末の遠藤三作胤直まで江戸時代も連綿と続いています。
[From 相馬介]
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[845]
no title |
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投稿者:管理人PC
[月星] 投稿日:2004/05/25(Tue) 17:27 |
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平成16年度千葉一族慰霊祭と講演会のご案内 |
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投稿者:管理人PC
[丸に並矢] 投稿日:2004/05/22(Sat) 00:53 |
今年も千葉一族慰霊祭が、千葉亥鼻城址公園において行われます。ご興味がおありの方はご来場ください。
●日 時 2004年6月12日(土) ●慰霊祭 受付10:00〜 ●講演会 受付13:00〜 ●懇親会 17:00〜
詳しくは、千葉氏顕彰会の紹介ページをご覧ください。
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告知 岩手千葉会 |
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投稿者:母体の千葉
[丸に三柏] 投稿日:2004/05/15(Sat) 12:31 |
岩手千葉会の2004年度第1回研修が下記の日程で行われます。 どうぞご都合の取れる方いらしてください。
開催日 2004年7月3日 10:00〜15:00 集合場所 岩手県東磐井郡大東町 大東町役場駐車場10:00(現地集合) 研修内容 午前、山吹城跡見学 午後、法両屋敷見学
当日は総会も兼ねて研修を行います。
今年度会費 1000円 昼食代 1000円
参加ご希望の方は下記の連絡先まで。
締め切り 7月1日 ○千葉勝士(会長) 0197-24-5220(TEL・FAX) ○千葉誠 (事務局)0197-46-3375(TEL・FAX)
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ラムネ |
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投稿者:御菓子司 千葉家
[月星] 投稿日:2004/05/04(Tue) 10:18 |
レモネードがなまって「ラムネ」。ビー玉が付き物ですが、着色された「A玉」(輸出用)・透明の「B玉」と業界では使い分けがあるようです。このラムネは1872年の5/04日レモン水の製造技師を雇って作られたのが始まりで、その雇い主は東京の実業家「千葉勝五郎」という人です。千葉一族の末裔ですかね?(千葉直胤) |
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気仙千葉氏について |
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投稿者:母体の千葉
[丸に三柏] 投稿日:2004/03/14(Sun) 19:10 |
埼玉在住の千葉さんこんにちは
浜田氏は頼胤の五男胤重が浜田五郎と称した事が始まりとされています。
以下は「仙台宝文堂刊・葛西氏家臣団事典・紫桃正隆著」よりの抜粋です。
浜田安房守広綱(大永三年一五二三〜文禄元年一五九二) 八代当主。 宗綱嫡男。米ヶ崎城を本拠地として事実上気仙郡総領職の権能を有した。 天正十五年本吉大膳太夫と確執争乱。 太守の裁定で講和するが、その扱いを不満として出仕を拒み同十六年再乱氏本吉郡に侵略 気仙沼篠嶺山陣で葛西軍主力である熊谷氏と交戦・・・・太守軍に制圧され降参となる。 ・・・後南部に落ち・・・十九年春浜田に帰り・・・同年秋高田卿内洞屋敷に移り、 文禄元年二月十五日没、行年七十歳
長男信茂は江刺家を相続・・天正十五年夏、深谷で討死。 二男信雄が・・・江刺家を相続、江刺重隆と名乗る。 三男信綱が浜田氏九代目を相続・・・略
又、同書には「浜田・長部系図」(浜田長部安房守広綱)などを含む浜田氏の記述が他にも記載されてあります。 |
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no title |
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投稿者:小畑
[追加希望] 投稿日:2004/03/10(Wed) 23:37 |
はじめまして、小畑と申します。わが祖は高松藩主松平頼常被官原半左衛門の庶流で、讃岐の庄屋(藍染問屋も経営) 小畑家に養子として迎えられたと聞いております。 先日、なにげにyahooで原半左衛門で検索してみたところ、 このHPにたどり着き、驚きました。半左衛門は八王子原氏の通称との事ですが、頼常と共に高松藩に移動した可能性はあるのでしょうか?全く別流でしょうか?
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千葉意外 |
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投稿者:王 軍合
[三日月] 投稿日:2004/03/07(Sun) 19:03 |
すばらしいページです。
わたくしは、日本の中世和歌が好きで、東常縁の名前で検索したら、出てきたのが、千葉一族でした。
千葉意外にありますね。歌枕もあるし、和歌と縁が深い先達も住んでいたところ。
三年前、私は千葉城の近く、いのはなに住んでいたのですが、通り道に古樹があって、面白く見ていたが、まさかと思いすぎましたよ。
これから、拝見させて頂きます。 |
[838]
初めまして |
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投稿者:なみえ
[九曜] 投稿日:2004/02/23(Mon) 20:24 |
戦前、故祖父はテニスをやっていたとか なくなった祖母も再婚といえど「○○様」 と、女学校の先生からも呼ばれていたというので もしかして、、、とおもい、弟の名前で検索... ビンゴ 益之 父が決めたそうです。 私は本当は理美奈と名付けられる予定だったらしい のですが、まわりがうるさくて平凡な名前になっち ゃいました。
今一生懸命万葉集をマスターして時々使っているのですが 今の人にはわからないですよね。。。 意訳つけると意味ないし。歌だからこその アンニュイさがいいと思うのです。
ではしつれいいたします。 |
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ありがとうございます |
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投稿者:宮城の千葉
[十曜三日月] 投稿日:2004/02/23(Mon) 15:46 |
母体の千葉さん、みなさんこんにちは 丁寧な説明を頂きましてありがとうございます! 私も大きく広い視点で楽しみながら色々な考えに 出会っていきたいと思います。。 |
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柴田さん度々すみません! |
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投稿者:田路 美奈
[九曜] 投稿日:2004/02/22(Sun) 16:21 |
田路の系図の豊胤が抜けてない?気のせいでしょうか?笑!胤安の子は新右エ門と男子までのような・・・!色々とワガママを書きまして、すみませんでした!やはり多冶比氏は、ここのHPだと天皇の子孫ですね!すごい!!!って前から気付いていたけど!笑!宣化天皇だっけ?調べますね又!なれなれしく私のイトコなどと柴田さんの事を重ねて見つつ思ったりしつつ、率直に正直(素直)に今までどうり気を使わずに(私は肥大型心筋症なので後2mmで治るのですが!)、これからも掲示板に書くと思いますが許して下さいね!(笑)今後とも何かあればアドバイスの方よろしく御願いします! |
[835] 柴田さん有難うございます! 投稿者:田路 美奈
[九曜] 投稿日:2004/02/22(Sun) 15:34
柴田さん御久しぶりです!PCが2階から1階に移動して千葉氏の〜のHPを見るのも1年ぶり位ですが千葉胤宗の子供の胤良から田路氏の所に名前を沢山、書いて頂きまして本当に心から有難うございます!私の子供の真美も私と同じように、いつか田路家の系図を見て胤良の名前を探した時に柴田さんのHPを見て安心する事と思います!千葉氏の系図には、まだ書き加えられないのでしょうか?ワガママ言ってすみません!どこを探しても胤良の名前がなく私がHPを作って名前を出さないとと思っていましたので、とっても嬉しいです!心強い味方が出来て!田路城主なども書いて欲しかったけど!又ワガママ言って、すみません!あ〜どうして私はこうワガママなのでしょうか?!(笑)でも嬉しくて仕方ありません!今日は最高ですね!私の家の系図と本家と2つしかない証拠という気もします・・・!お忙しいのにHPに書いて(書き加えて)頂きまして有難うございました!先祖も安心すると思います!昨日から上原まり?の筑前琵琶の平家物語を聞いています!関東八平氏という始まりで書いてある、うちの系図は桓武天皇皇子葛原親王から始まり平氏になり千葉氏になり今にいたるので歴史の事を昔の事を深く考えています!もう今の時代、平氏狩りはないですよね!笑!色々とすみませんでした!千葉新介は名前?位?どっちでしょうか?介に新がつくことに意味があるのでしょうか?葛原親王の母の多冶比氏は皇室の子孫みたいなのですが本当でしょうか?!又、研究して調べたいです!本当に色々、有難うございました!感謝しております!嬉しくて涙が出そうな位、感動しました!又こちらのHPで先祖の勉強をしたいです!
[834] 気仙千葉氏について 投稿者:埼玉在住の千葉です [八曜三日月]
投稿日:2004/02/22(Sun) 02:38
皆さんはじめまして 私は埼玉県在住ですが、本家が岩手県陸前高田市にあります。家紋は、八曜に三日月です。本家のそのまた本家。つまり大本家ともいまだに付き合いがある様ですが、かなり古い家系の様です。私の父によると、戦前のことですが、本家には日本刀がごろごろいっぱいあったそうです。同市内には千葉周作誕生の地に石碑が建っております。(ほんとうにここで生まれたんじゃろうか?) その昔、米ヶ先城というお城があって、千葉安房守という殿様がいたという言い伝えが、私の田舎にあります。気仙千葉氏の血を引く者の一人として、気仙千葉氏について知りたいのですが、お定まりの様に本家の菩提寺が過去火事にあい、記録が残ってません。お寺には、千葉安房守が寄贈したと伝わる建造物(五重の塔だか三重の塔)が建っています。気仙千葉氏の出自や千葉安房守について、どなたかご存知ありませんか?教えてください。
[833] 千葉氏の家系 投稿者:母体の千葉 [丸に三柏]
投稿日:2004/02/18(Wed) 23:50
皆さんこんにちは 冊子「千葉氏の家系」ですが 通常書店にて売られている歴史書などとは 異なった視点でつくられています。
私自身現在書店や図書館などに置かれている 千葉氏に関する書籍を創ってい頂いた 又、岩手県史、宮城県史、などを中心にさまざまな書籍に 数々の資料を載せていただいた先生方に 深く感謝し、それら書籍、資料に関してとても大切に思っています。
ただ今回発刊された「千葉氏の家系」はそれとは少し異なっています。 それぞれの会員、もしくは会に賛同していただいた方々の 資料を寄せていただき一冊の冊子に会長方々が中心となり纏め上げました。
中には今までの歴史書の内容から見て疑問に思われる事柄や 既存の歴史書とは見解の異なる内容があるかも知れません。
ただ私の思いとしては 限られた専門の先生方や良識の高い研究者の方々が 苦労して取り上げて頂いた発見のほかにも どこかに有るかも知れない まだ表に出ていない資料が表に出やすい環境が 少しでも広っていけばと思っています。 正しい、間違っているに限らず いろいろな伝承資料が表面化され それらを皆で話題にし いろいろな繋がりを発見する
まずはそこから始まるのも一つの方法かもと。
生意気を言ってすみません。 岩手千葉会はいろんな考えの人がいろんな意見で それぞれ、又皆で歴史を考えられる場だと思っています。
[832] みなさんこんにちわ 投稿者:宮城の千葉 [十曜三日月]
投稿日:2004/02/16(Mon) 12:54
皆さんお久しぶりです 「千葉氏の家系」はどのような内容の冊子なのでしょうか? 史実や家系が掲載されているものとは ちょっと違うのでしょうか?
[831] 岩手千葉会「千葉氏の家系」について 投稿者:岩手千葉会・会員A [月星]
投稿日:2004/02/13(Fri) 23:40
岩手千葉会の会員です。 この冊子「千葉氏の家系」は、各千葉家に伝わる伝承は伝承としていいのですが、下総国から陸奥国への下向を好き勝手に書いていますので、知らない人が読んだら鵜呑みとし問題が多々ある冊子です。 そのまま出版するのではなく、出典などをきちんと記載し、しかるべき人が校正して欲しかったと思います。 なお、千葉勝士(かつひと)会長は電話またはFaxだけの通信手段しかありません。
[830] 岩手千葉会「千葉氏の家系」第一部・第二部どうしても欲しいです
投稿者:松戸 及川 [丸に三柏] 投稿日:2004/02/13(Fri) 13:05
投稿824番で見かけたのですが「千葉氏の家系」購入したいのですが、岩手千葉会会長 千葉勝士のeメールアドレス教えて頂く訳にはいきませんでしょうか? oikawa-k@ka1.koalanet.ne.jp 及川
[829] 接続不能 投稿者:管理人PC [丸に並矢]
投稿日:2004/01/16(Fri) 22:37
みなさま、こんにちは。 当掲示板の管理人です。
掲示板ならびにサイトの一部に接続できない状態が続きまして申し訳ございませんでした。この掲示板は「トクトク」というレンタルサーバに置いてありまして、そのトクトクで大規模メンテナンスを行っていました。予定では16日の0時にて終了予定とのことでしたが、1日ほどオーバーしたようです。
皆様にはご迷惑をおかけいたしました。
[828] 有難うございます。 投稿者:母体の千葉 [丸に三柏]
投稿日:2004/01/11(Sun) 15:32
「奥州千葉一族の家紋」の引用をご承知頂き大変有難う御座います。 有難く活用させていただきたいと思います。
それと「真向月に三柏」というは表紋、裏紋の関係でしょうか それとも 真向月の中に三柏があるか並んでいるという事でしょうか こちらでは真向月星の紋は古くからある家に何件か在るようですし 又、丸に三柏は私の家を含めこの地では良くある家紋の一つです。
私自身まだ「真向月に三柏」といった家紋は見たことがないので これから調べてみたいと思います。 それにしても昔敵対関係?であった 千葉氏と足利氏 その足利市に松川千葉氏の墓在るというのも どこか時代の流れを感じ面白い気がします。
[827] みなさんこんにちは 投稿者:宮城の千葉 [十曜三日月]
投稿日:2004/01/05(Mon) 15:10
あけましておめでとうございます。 実家に帰省していたので顔を出せませんでした。 みなさん今年も良い年を創りましょう。 最近友達になった方の名字が珍しいと思っていたら 掲示板を見ていてビックリ! なんと葛西氏の傍系の方でした 不思議なものですね・・・
宮城の千葉さん、あけましておめでとうございます。
葛西氏について、今年は本腰を入れて調べてみようと思っているのですが、いわゆる惣領家の流れがいまいちつかめずにおります。研究論文などを読んでみても、清宗=宗清にしてみたり、「伊豆守」との記載が見えない(管理人の見落とし?)宗清を「伊豆入道明蓮」と同一人物としてみたり、どうも納得のいく結果が出ません。う〜ん。。。
ホームページならびに、こんな管理人ともども、本年も宜しくお願い致します。
[826] 明けましておめでとうございます。 投稿者:母体の千葉 [丸に三柏]
投稿日:2004/01/02(Fri) 21:55
明けましておめでとうございます。 管理人様をはじめ皆様にとって どうか良い年であります様に。
現在「千葉氏の家系・岩手千葉研究会編」の第2巻の作成を行っております。 管理人様にお願いですが、その際「奥州千葉一族の家紋」のページを引用させて頂きたいのですが可能でしょうか? お知らせいただけると助かります。
母体の千葉さん、あけましておめでとうございます。 本年も何卒、宜しくお願い致します。 また、岩手千葉会の益々のご発展をお祈り申し上げます。
ところで、『千葉氏の家系・岩手千葉研究会編』第一巻の在庫はまだございますでしょうか? もしございましたら、一冊購入したいのですが……(こんなところで注文いたしまして、申し訳ございません)。もし在庫がございましたら、bamen@ka6.koalanet.ne.jpの方まで、ご連絡賜ればと存じます(急ぎではありませんので、ご都合がよいときにお願い致します)。
「奥州千葉一族の家紋」の引用は構いませんので、どうぞお使いいただければと存じます。ページに掲載の家紋については、角川書店から発行されている『岩手県姓氏歴史人物大辞典』『宮城県姓氏家系大辞典』を参考にしております。
先日、栃木県足利市にある足利学校に行ってきたのですが、そのついでに足利学校の庠主(しょうしゅ=校長)だった奥州千葉氏族松川氏のお墓に詣でてきました。家紋は真向月に三柏(というのでしょうか)。ひときわ大きな寛政時代の墓碑が建っています。残念ながら、表面の碑文が磨耗していてはっきりと読み取れずに、閉館時間になってしまったので退散いたしました。何かご存知でしたらご教授ください(新年早々頼みごとばかりでスミマセン)。
本年も宜しくお願い致します。
[825] 新年挨拶 投稿者:江州 [丸に州浜]
投稿日:2004/01/01(Thu) 21:02
新年明けましておめでとうございます。 今年も美馬の千葉山安楽寺、西教寺、林照寺の初詣の梯子をしてきました江州です。 本年も管理人の相馬介様はじめ掲示板にお見えの皆様、ROMされておられる皆様にとって良い一年でありますよう祈念致しております。
江州さん、あけましておめでとうございます。 本年もどうぞ、管理人をかまってやってください(^^)
今年は、千葉県松戸市馬橋(まばし)にある(旧)大日寺=法王山万満寺に初詣に行ってまいりました。本当は、千葉神社に行こうと思っていたのですが、電車のつなぎが悪くてあきらめて、同じく千葉宗家に所縁の深い万満寺へ! となりました。
万満寺は、千葉介頼胤建立の寺院で、頼胤が馬橋に移り住んだときの建立です。その後、千葉宗家の千葉移住にともなって、大日寺も現在の千葉神社横(通町公園)に移っていきました。馬橋の大日寺は足利氏満が堂于を寄進し、法王山万満寺(「満」は、足利義満、足利氏満の「満」にちなむとのこと)と改められ現在にいたっています。千葉の大日寺も千葉大空襲の被害を受け、戦後にまたまた千葉市稲毛区轟町に移されています。
ここ馬橋は千葉家所縁の寺院が大変多いです。妙見神社が至近距離に二つ、千葉家守護神のひとつ蘇羽鷹神社、法王山万満寺、本福寺、三日月神社、風早氏の館跡に建てられた風早神社等々……。正月気分の抜けないうちに、いろいろまわっておこうと思っています。
今年もどうぞ宜しくお願い致します。
[824] 岩手千葉会 投稿者:母体の千葉 [丸に三柏]
投稿日:2003/12/19(Fri) 23:34
皆さんこんにちは 岩手千葉会の会員が ついに発足一年半余りで53名に達しました。
又、「千葉氏の家系」も好評発売中です。 可也の反響があり今回製本した部数の残りが50冊を切りました。 尚、先日¥2000と書き込みをしましたが 後日再度確認をしたとこ¥1000でした。 (すみませんでした。) ただし書店では売っていません。 詳しくはこちら 岩手千葉会会長 千葉勝士 0197-24-5220まで ・・・地方発送もしています。
宮城の千葉さんへ・・ ※希望すれば図書館にも入るのでしょうか・・・ 多分内容的にみれば十分価値の高い本だと思います。 一度近くの図書館に申請してみては如何でしょうか。
[823] 皆さんこんにちは 投稿者:宮城の千葉 [十曜三日月]
投稿日:2003/12/16(Tue) 11:49
母体の千葉さん今日は。 先日行われた岩手千葉会はいかがでしたか? 仙台宝文堂から発刊された葛西氏家臣団事典は 希望すれば図書館にも入るのでしょうか・・・ 学生にはちょっと高い本ですので 大学の史学研究所あたりなら入りそうですね!
[822] 葛西氏家臣団事典 投稿者:母体の千葉 [丸に三柏]
投稿日:2003/12/01(Mon) 22:39
皆さんこんにちは
管理人さん、 今週末行われる岩手千葉会のHPでの公示 どうも有り難うございました。
話は変りますが「仙台宝文堂」より 「戦国大名 葛西氏家臣団事典」が発刊されました。 奥州千葉一族を含む葛西氏の各家臣に関する内容を 纏め上げた内容の濃い書物になっています。 でも一寸高いんですよ(¥14000)(>_<)
[821] 無題 投稿者:母体の千葉 [丸に三柏] 投稿日:2003/11/27(Thu) 22:57
宮城の千葉さんこんにちは。 岩手千葉会は昨年発足してまだ歴史がありません。 開会当初は年二回のペースで行うとの 方針がありましたが 現実昨年は発足の会を含め3回行い 又本年度は、 一回目唐梅舘及び長坂近辺の歴史についての研修 二回目は岩手千葉会と千葉顕彰会の皆様との懇談会 そして今回の三回目となります。 実際に決まった時期と言う事は無いのですが こういった形で集まりを持っています。
次回の予定はまだ決まっていないのですが このサイトを通じご連絡を行いたいと思っています。
[820] こんにちは 投稿者:宮城の千葉 [十曜三日月]
投稿日:2003/11/22(Sat) 17:09
母体の千葉さんこんにちは。 千葉会総会が行われるのですか! ぜひ参加してみたいのですが、 私は学生なのでアルバイトのため無理そうです・・・ 非常に残念です。 この総会は毎年開かれているものなのですか? もし、次の機会があればぜひ皆さんとお話ししてみたいです。
[819] 相模国造の子孫? 投稿者:坂東八平氏 [ヒ・ミ・ツ♪]
投稿日:2003/11/15(Sat) 19:29
>相馬介様 >三浦氏・大庭氏などは平氏(良文の末裔と断定はしません)なのではないでしょうか。 三浦氏・大庭氏は実際は相模国造の末裔ではないかと言われています。 或いは、本来は相模国造の末裔であったのを、桓武平氏の末裔の者との婚姻を通す事によって平姓を称すようになったとも考えられるかもしれません。 私はこれ以上の事は分からないので、↓のホームページの掲示板に一度投稿する事をお勧めします。
因みに宝賀寿男氏によりますと、桓武平氏はもとより、清和源氏、宇多源氏、村上源氏、そして藤原氏を称す殆どの氏族がそうであると断定するのは危険だそうです。
坂東八平氏さん、こんにちは
彼らがたとえ相模国造や武蔵国造などの末裔という説があるにせよ、それはそういった説として尊重します。ただ、私は特に疑問に思っていないので、今投稿する気持ちはありません。お気を遣っていただいてありがとうございました。 もし疑問がおありであれば、ぜひもう一度投稿なさってみてはいかがでしょうか。
桓武平氏はもちろん、諸源氏も断定は難しいのは確かです。ただ、自分の家は○○の末裔であるとの伝承がある家々が実際にあって、そういった家々が伝えてきた伝承を明確に否定することはあまりしたくはありません。
[818] 千葉氏は桓武平氏ではない? 投稿者:坂東八平氏 [ヒ・ミ・ツ♪]
投稿日:2003/11/12(Wed) 22:10
初めまして。 私は千葉氏は勿論の事、桓武平氏全体に興味を持っています。 何時か『桓武平氏の全家系』と言うサイトを作ってみたいと思っています。
所で、千葉氏は一般に桓武平氏出身だと言われていますが、実は桓武平氏ではなくて別の氏族出身であると言う説が有るのを御存知でしたか? 宝賀寿男氏が会長を務める『古代氏族研究会』の公式ホームページにそう書かれていましす。 http://shushen.hp.infoseek.co.jp/ それに拠りますと、千葉氏は桓武平氏だと言うのは後世の捏造で実際は古代の知々夫国造の末裔ではないかと。 千葉氏以外にも、秩父党、中村党、三浦党、鎌倉党、そして執権北條氏も皆桓武平氏ではなく古代氏族の末裔であると言う説が載っていました。 中々興味深いです。
上記のホームページの掲示板では気になる氏族の疑問点につて色々問う事が出来ます。私は長尾氏の系譜について投稿しました。長尾氏を筆頭とする鎌倉党の系譜の混乱が激しいのは同党内で養子縁組が頻繁に行われたからだそうです。 千葉氏について気になる所が有れば一度投稿なされてはどうでしょうか?
宜しくお願いします。
坂東八平氏さん、こんにちは!
千葉氏は知々夫国造、または千葉国造大私部直の末裔という説があります。千葉氏は秩父氏ととても深い関わりを持っていますし、妙見信仰という点でも秩父(または群馬郡)から到来したとされています。関東各地にいた多くの古代氏族が一挙に滅亡したとは考えられませんし、そういった点で、千葉氏も彼ら古代氏族の末裔ではない! と断言することはできません。ただし、逆に知々夫国造ら国造がどういった人々であるのかの証明もできないので、彼らの子孫であるともいえません。
管理人は房総平氏は古代氏族の直接の末裔ではないとと見ていますが、良文から常長までの系譜には少々疑問を感じていないわけではありません。
平良文と忠頼(若き日の千葉介常胤は忠頼と思われる人物を「経明」と記しています)の親子関係を示す直接的な証拠はありません。良文、忠頼、忠常は確かに実在が確認できるのですが、親族関係は鎌倉時代中期ごろの系譜と千葉介常胤が相馬御厨の論争で伊勢神宮に差し出した文書以外に傍証はありません。
秩父党、中村党、三浦党、鎌倉党、北條氏、熊谷氏なども、実際どうなのかはわかりませんが、三浦氏・大庭氏などは平氏(良文の末裔と断定はしません)なのではないでしょうか。
個人的に関心があるのは、高見王と高望王の出自ですね。
[817] 岩手千葉会 投稿者:母体の千葉 [丸に三柏]
投稿日:2003/11/11(Tue) 21:32
宮城の千葉さん、千葉すけさん、そして皆さんこんにちは 12月7日(日)PM1:30より水沢市大鐘、南公民館にて千葉会総会が 行われます。 (年会費、1000円) 当日創刊誌「千葉氏の家系」(2000円)の販売が行われるとの事です。 お近くの方どうぞいらして下さい。
母体の千葉さん、こんにちは!
岩手千葉会の情報、トップページに掲載しておきますね。管理人も近所であれば……しくしく
[816] みなさんこんにちは 投稿者:宮城の千葉 [十曜三日月]
投稿日:2003/11/10(Mon) 15:41
母体の千葉さん、千葉すけさん、こんにちは。 歴史というものは本当に面白く、また、興味深いものですね。 千葉すけさんの感慨深いというその気持ちも、 母体の千葉さんの歴史の探求も、とても解かる気がします。 私もゆっくりと歴史の紐解きをしていきたいと思います
[815] 感慨深い 投稿者:千葉すけ [九曜]
投稿日:2003/11/07(Fri) 23:39
母体の千葉さん、みなさんこんにちは。 私の父は水沢出身で親戚一同もその周辺に暮らしております。 確かに水沢には千葉姓多いですね。 うちは佐倉河といって、宮城の千葉さんの姉体とは市の中心部を はさんで反対側になりますか。 それにしても、今は住むところが違えどさかのぼっていけば ルーツが同じかもと思うと感慨深いものがあります。。。
[814] ゆっくりと・・・。 投稿者:母体の千葉 [丸に三柏]
投稿日:2003/11/01(Sat) 22:05
宮城の千葉さんこんにちは 移住に関しては 葛西氏が滅亡してからすでに400年の月日がたっているわけですから 余り考える必要は無いのではなんておもいます。 事実私の家も私の知っている限り すでに5回も移住を行っています。 重要なのはゆっくりと自分の家系だけでなく 全体の流れを探求しながら 一つ一つ歴史の紐解きをするのも 良いのかも知れない。 なんて私はおもっています。
[812] 無題 投稿者:宮城の千葉 [十曜三日月]
投稿日:2003/10/20(Mon) 13:33
母体の千葉さんこんにちは! いつも貴重な情報ありがとうございます。 先祖が移住等をしていない限り もしかすると千葉を名乗っている私の一族は 厳密には千葉から遠いのかもしれませんね
[811] 姉体 投稿者:母体の千葉 [三葉柏]
投稿日:2003/10/11(Sat) 07:50
宮城の千葉さんこんにちは 姉体ですと地理的におそらく 柏山氏内の三田氏になると思いますが 姉体は北上川のすぐほとりなので 北上川の反対側の江刺氏などの可能性も大きいと思いますね 江刺氏は実際は葛西氏に属していたため仕置きの対象にはなりましたが 早くのうちに南部氏寄りの体制をとっていたため 結果的に南部江刺氏として多く残ることとなりました。
[810] テレビ東京「開運なんでも鑑定団」より 投稿者:加藤亮太
[月星] 投稿日:2003/10/07(Tue) 21:52
私、テレビ東京「開運なんでも鑑定団」にて、番組リサーチを担当しております、 潟tォーチュンスープの加藤と申します。この度ホームページを見てご連絡させて頂きました。
「開運なんでも鑑定団〜年末特番〜」では、番組の1コーナーで「お宝主張鑑定大会」を行います。 番組では先祖代々から伝わる「価値のあるお宝」を鑑定し、お宝などに対する人々の思いを伝える企画です。 そこで現在番組では「和」をテーマに、歴史のあるお店や、歌人・殿様の家系に眠っている昔から保存されている掛け軸や焼き物・藩札・名刀などのような、「価値のある日本のお宝」をお持ちの方を探しております。もしそのようなお宝をお持ちであれば、1度お話を伺った上で、歴史的・資料的価値を鑑定させて頂くことをご検討頂けたらと存じます。 又、知人・友人やお仕事関係の方で、該当されるような方がい突然のメールにて申しわけございません。 らっしゃれば是非ご紹介頂きたく存じます。 ご検討の程、何卒よろしくお願い申し上げます。
<番組概要>
◆番組名 「開運!なんでも鑑定団」(テレビ東京系列全国ネット) (毎週火曜日 20:54〜21:53放送) ◆番組内容 依頼を受けたお宝の歴史・資料的・金銭的価値を鑑定させて頂くと同時に そのお宝に対する人々の思いなどをお伝えする番組です。 ◆収録日 未定 ※決まり次第ご連絡させて頂きます ◆募集期限 10月25日(土) ◆備考 ・番組に御出演頂く前に出演者の選考がございます。 ・今回は先祖代々から伝わるお宝をご紹介頂きたく思います。
◆以下の質問にお答え頂ければ幸いです。 Q1、氏名・年齢・住所・TEL Q2、現在のお宝の収集活動があれば教えて下さい Q3、今回紹介していただくお宝を教えて下さい Q4、お宝に関する説明、また歴史やエピソードも教えて下さい Q5、他にお宝があれば教えてください 潟tォーチュンスープ 東京都渋谷区恵比寿1ー7ー13 電話)03-5449-4022FAX)03−5449−4023 「開運!なんでも鑑定団」担当 加藤 亮太
[809] 詳しくたどると 投稿者:宮城の千葉 [十曜三日月]
投稿日:2003/10/05(Sun) 21:18
母体の千葉さんこんにちは! 更に詳しく調べ進めた所、今は水沢らしいのですが かつては村として独立していた「姉体」という場所のようです。 碓かに、南部藩は仕置き等でだいぶ散り散りに なったりしていますよね。 これで大分ややこしくなっているのかもしれません。 実家の方での発見と言えば、曾祖父の卒業証書に記された 「岩手県士族 千葉 ○○」という言葉だけのようです。
[808] 奥相秘鑑 投稿者:勝山
[月星] 投稿日:2003/10/04(Sat) 14:03
新妻家のことを調べていたら、奥相秘鑑に千葉常胤の四男 大須賀四郎が居館し、よって千葉末流の新妻弾正と言う者が、居住し子孫相続していると、書いてあるのですが、 大須賀家から新妻家の系図はどうやって調べたらよいのでしょうか?知っている方がいたら教えてもらえないでしょうか。
勝山さん、こんにちは
新妻氏が大須賀氏の出自かはわかららないのですが、仙台藩の家中にあった新妻氏は、下総国匝瑳郡を発祥とする匝瑳氏(千葉介常胤の叔父・常広を祖とします)の子孫と伝わっています。岩城のほうに移住していますので、大須賀氏とともに下総から移っていったのかもしれないですね。
出自とは直接関係ありませんが、関が原の戦いののち、岩城貞隆が御家再興を目指して浅草に隠棲していた際、そのまわりには旧臣たちが集まっていました。その旧臣42人の中に、新妻久左衛門、大須賀織部の名が見えます。
[807] この地では・・・。 投稿者:母体の千葉 [丸に三柏]
投稿日:2003/10/04(Sat) 07:47
宮城の千葉さんこんにちわ 単純に水沢出身と言う見方でいえば 地理的に柏山氏に属するのかと思いますが 柏山一族は現在もこの近辺では柏山の姓を名乗っており いちがいに断定は出来ません。 元々は柏山氏も千葉が起源と言う説も有り 考え方としては無理ではないのですが 他に現在でも近くに千葉の姓を名乗っている氏として 江刺氏、長坂氏などが有ります。 奥州仕置きの後千葉氏も一旦この地を離れ散り散りになったり その後又もとの場所に戻ってきたりと 一族の中にも色々あるようです 私も納得させられるだけの知識は無いのですが 千葉氏を中心とした文化の探求が少しづつ始まっています。
[806] 無題 投稿者:宮城の千葉 [十曜三日月]
投稿日:2003/10/03(Fri) 18:02
母体の千葉さん、貴重な情報ありがとうございます。 少し調べたところ、私の住む地にも千葉姓が多いのですが、ルーツが異なるようです。また、情報によると水沢市周辺に住んでいる千葉のどれかが私の家系につながるようです。水沢市の周辺には千葉姓は多いのでしょうか?
[805] 無題 投稿者:母体の千葉 [三葉柏]
投稿日:2003/10/01(Wed) 19:13
皆さん 宮城の千葉さんこんにちは わたくしは岩手県南にすんでいますが この地にも千葉の姓は沢山ありますね。
詳しい日時はまだ決まっていないのですが 今年中にもう一度、岩手千葉会の集会が行われる予定です。 時期が近づきましたら この場所でも連絡を行いたいと思っています。 良かったらいらして下さい。
追伸 第三回唐梅館絵巻が和やかな中で今年も行われました。 大和田
伸也さんの千葉広胤はすごくよかったです。 今年は最後に花火も打ち上げられたんです。
[804] はじめまして 投稿者:千葉 [十曜三日月]
投稿日:2003/09/29(Mon) 15:30
宮城に住む千葉と申しますが、先祖は明治維新の前後に宮城に移住してきたと聞いております。本家は現在も岩手県にあると聞いてはおりますが、家系図を盗まれてしまったためルーツが良くわかりません。家紋も曽祖父が残した「三日月の周りに星が九つ」という言葉からのみ調べました。自分のルーツが知りたいです。東北の千葉氏に詳しい方、また、情報をお持ちのかたいらっしゃいましたらよろしくお願いします。
[803] 羊羹のルーツ 投稿者:江州 [丸に州浜]
投稿日:2003/09/23(Tue) 22:28
2003年10月号のJAF MATEに林望氏のコラム無印良道で佐賀県小城の話題が紹介されています。その中で小城羊羹は「日本各地の羊羹の元祖のような存在」と書かれています。大陸から伝承された羊羹ですが、小城が日本の発信拠点となれば、鎌倉初期に宋との交易を手懸けていた千葉氏に関係しているといって間違いないかも知れないですね。 京都趣味が多分にある千葉氏は小城にも祇園神社を勧進し、小城の祇園祭を根付かせたとも言われています。甘味の菓子として羊羹を宋から伝え、これを京・鎌倉を通じて諸国に広げていったのでしょう。 上誌では小城の写真として須賀神社からの眺望が紹介されていますが、須賀といえば、似た音で下総にありました「素加天王神社」が思い起こされます。 この素加天王神社に伝わるところとして、「武石三郎胤重(胤盛トモイウ)気質短慮なるゆへ父兄の中不快ゆへに蟄居して暫く山中に居す。大須賀四郎胤信やさいくも同胞の思ひ厚く様にいたはり、須賀本郷東方に一部を構へ、ここに居らしむ。胤重満足斜めならず」の一文があるようです。なぜ武石氏の下総での所領が思いの外小さいのだろうと疑問のあるところですが、初代胤盛に精神的な脆弱さがあって応分の所領をもらえなかったのか、あるいは所領をもらえなかったので拗ねてしまったのか、面白いところでもあります。 ともかく、羊羹のルーツに関わっていた可能性が高いとなるとなかなか累代のグルマンの系譜ということでしょうか。
[802] 唐梅館絵巻 投稿者:母体の千葉 [丸に三柏]
投稿日:2003/09/15(Mon) 15:54
告知です。 今年も唐梅舘絵巻が東山町で行われます。
今年の絵巻行列に、水戸黄門 角さん役でおなじみの≪大和田
伸也≫さんが特別出演されます。お楽しみに!
期日:平成15年9月27日(土) 会場:東山町唐梅館総合公園ほか
詳しくは・・・。 東山町役場 岩手県東磐井郡東山町長坂字西本町105-1 TEL:0191-47-2111 http://www.town.higashiyama.iwate.jp/index02.php
[801] 相馬介様お久しぶりです 投稿者:江州 [丸に州浜]
投稿日:2003/08/31(Sun) 00:19
相馬介様、お元気でしたか? 本当に今年の夏は降雨量の多い年ですね。でももともと雨の多い土地柄のため多少多い程度でしたでしょうか。東日本の方にお住まいのかたがたにはこれほどの雨量はご経験なかったことでしょう。さぞかしご不安のことと拝察いたします。
17世紀中ごろのことを今も調べているのですが、代々「宗」の字を通したことでどうやら表千家との関係で号を頂戴したため、名前が伝わらずに号だけが伝わることになったようですねぇ。包丁人として茶懐石を出す茶寮で、馬見丘綿向神社に料理を奉納することをしていたようです。なぜ包丁人か、ということですが、もしかして椀盤作法のようなものが伝承されていたのかなとも想像されます。近辺の豪商や京の公家さんも出入りし大正まで続きましたが、今はその跡もありません。
[800] 調べました 投稿者:千葉雅智
[月星] 投稿日:2003/08/30(Sat) 15:39
丸に抱き茗荷家紋の千葉です。先祖は加美郡四竃村で農業を営んでいたとの事でした.萬吉の子に〈長)銀次郎(文政8生)と〈次〉勇三郎がいて、私は銀次郎からかぞえて四代目になりますが、現在札幌在住の為勇三郎方の事は何も解かりません。私の先祖萬吉までは過去帳にありましたが現在では寺もお墓もありません。それ以前を知る方法はないのでしょうか。
[799] はじめまして 投稿者:勝山
[九曜] 投稿日:2003/08/28(Thu) 21:10
私の祖母は福島県いわき市の出身で新妻ともうします。 代々平将門の末裔と言い伝わっています。 新妻家は千葉一族とも関係はある家柄なのでしょうか。 江戸時代の千葉一族で新妻家の文字が見えたので気になりました。よろしくお願いいたします。
[798] 無題 投稿者:江州 [丸に州浜]
投稿日:2003/08/28(Thu) 13:26
久し振りにROMしに来ました江州です。 愛知の千葉さん、岐阜に本貫地がおありになるということですが、美濃ですか?飛騨ですか?
美濃は点と点ながらも千葉系の一族が多く点在していますが、さすがにこれを総括して調査されているかとなると難しいでしょうね。(この周辺の千葉一族に造詣の深い方は数えるくらいしかいらっしゃらないのではないでしょうか。) 御嵩に千葉実胤が隠棲との記録もありますし、犬山には成瀬家の重臣の千葉家があるそうですし、大和町?には千葉の囲炉裏火を800年間絶やさず燈す千葉孫兵衛家がありますし、勿論郡上八幡には東氏・遠藤氏が播居してましたし、美濃臼井氏も分家していたそうですから、かなり多数存在していますが、脈絡ははっきりいって分かりません。 私自身も恐らく美濃辺りにたどり着くのではないかというような具合で、なかなかそれ以上は遡れないですね。
江州さん、おひさしぶりです!
関東はなかなか晴れず、夏休みもほぼ雨でした。そちらはいかがでしたか?
[797] 無題 投稿者:千葉 [月星]
投稿日:2003/08/21(Thu) 23:50
はじめまして!自分の先祖を探っているのですが、親戚との付き合いがあまり深くなく、とても苦戦しています。岐阜にある寺が先祖ということは分かりました!これぐらいのヒントで先祖は分かるものなのですか?もし分かる方がいらっしゃたら是非教えてください!ちなみに家紋は月星で、愛知県に住んでいます。
千葉さん、こんにちは!
室町時代中期、下総から逃れた千葉実胤・自胤の兄弟は武蔵に逃れ、実胤はその後逐電し、美濃国に入って隠棲したという説があります。可児郡の可児大寺(願興寺)がたしか所縁の寺だと頭の片隅に記憶しています(^^;
東氏とともに入部したといわれる千葉家もあります。承久以来、絶やすことなく火を保ちつづけている千葉孫兵衛家も末裔の御家だとされます。犬山成瀬家の家老であった千葉家は、成瀬家が下総国栗原(船橋市)にあったころ、召抱えられた一族です。
東氏の末裔の方で、千葉(千馬)を称した家もあります。国会図書館にこの東氏の末裔の千葉家の系譜が特別室で閲覧できます。
[796] 無題 投稿者:富原 [追加希望]
投稿日:2003/08/17(Sun) 23:55
相馬介さん、どうも有り難うございました!しかしお墓は代々京都にあるので岩手県や宮城県北部出身である可能性はなさそうです。でもとても参考になりました。また何か分かるような事がありましたら教えて頂けると嬉しいです。
富原さん、こんにちは!
「柏」は神聖な葉とされておりまして、たとえば伊勢神宮の神官系統の御家が家紋として使用している例があります。柏の葉から、「神官」というキーワードもあるかもしれません。
[795] 先祖について 投稿者:八木
[月星] 投稿日:2003/08/16(Sat) 23:25
家紋は櫛松です。過去帳によると千葉介兼胤から良胤までの家臣であったとの記述があり、この夏インターネットで千葉介の歴代を調べたら家臣、重臣の中に八木の名前を見つけました。(民部少輔、右京、…)千葉介(重胤)が滅亡した後の私の家(八木)の墓は現在まで残っていますが、それ以前の状況がわかりません。情報をお持ちの方、調査手段をご存知の方は教えてください。
八木さん、こんにちは!
八木氏についてはおそらく、佐倉市八木を発祥地とする千葉家の直臣だったのでしょう。松戸市にある日蓮宗の古寺・本土寺に伝わっている『本土寺大過去帳』にも八木氏の記述があるかもしれませんが、こちらのほうは資料が手元にないので、今は確認できませんでした(^^;
[794] 家紋について 投稿者:千葉 [追加希望] 投稿日:2003/08/16(Sat) 00:08
私の家の家紋は丸に抱き茗荷です。祖父の時代にある事情で仙台塩釜から北海道へ一家で渡って来たのだそうです。塩釜には昔古い墓があったようですが今はありません。また祖父の祖父にあたる人の名前は銀二朗との事ですが、親戚付合いが無い為そこから先が全くわかりません。どなたか私の家の家紋の事や親戚関係の件でもしわかれば教えていただきたい。
千葉さん、こんにちは!
仙台藩の藩士録が図書館などに所蔵されています。「近世こもんじょ館」というホームページに岩手県立図書館に所蔵されている分限帳の一覧があり、仙台藩についても掲載がありました。
●「仙台藩士身帯帳」 明和6(1769)年 ●「詰所以上之御役人分限高覚」 ●「御家中御家列并御役列御知行高諸事手控帳」 嘉永4(1851)年 ■ご参考HP 「近世こもんじょ館」http://4d.hops.co.jp/4DACTION/WebH_q_a/34
もし仙台藩士の御家であれば、もしかしたら上記の分限帳にお名前があるかもしれません。
『仙台藩家臣録』(仙台市立図書館にはあるかも?)には江戸中期の藩士の由緒書きが記載されています。そこには 1.千葉市郎兵衛(祖父・千葉久右衛門、父・弥右衛門) 2.千葉久兵衛(兄・千葉次郎右衛門の跡を継ぐ) 3.千葉権作(養曽祖父・千葉正三郎、祖父・千葉善左衛門:正三郎弟) 4.千葉権平(祖父・千葉善七、父・善七) の千葉家が載っていました。
[793] はじめまして 投稿者:富原 [追加希望]
投稿日:2003/08/15(Fri) 00:39
私の家紋は流れ柏で親から千葉常胤氏の子孫だと教えられてきましたが、千葉一族の一覧で富原という名字が見当たりませんでした。何か知っている人がいましたら教えてください。
富原さん、こんにちは!
「柏」紋は葛西氏の代表的な家紋ですので、葛西氏とのゆかりのある地(たとえば岩手県、宮城県北部)のご出身のご一族かもしれません。「富」む原という縁起の良い地名ですので、各地にあったと思われますが、それらの地域に「富原」という地名を見つけることはできていません。ご存知の方、お教えください。
[792] 家紋について 投稿者:wir [追加希望]
投稿日:2003/08/12(Tue) 01:24
はじめまして 私の知り合いに千葉さんと言う人がいます。その千葉さんは岩手の山奥(それ以上は聞いていないのですが)だそうです。そして、家紋が九曜に三日月の家紋だそうです。家紋の一覧の所に載っていなかったので興味本位で書いてみた次第であります。
wirさん、こんにちは!
ページで紹介している奥州千葉氏の家紋は一部に過ぎません。その数は数え切れないほどあるでしょう。「九曜に三日月」もそのひとつです。
[791] 岩手千葉氏旅行参加者募集中 投稿者:調布市の千葉 [月星] 投稿日:2003/08/08(Fri) 23:29
皆様、こんばんは。千葉氏顕彰会では新渡戸稲造没後70年を記念し岩手県の千葉氏を視察旅行します。
盛岡および花巻新渡戸家史跡、東和町の江刺千葉氏居城跡と浄光寺(江刺千葉家菩提寺)、曹洞宗の東北大本山として末寺500ケ寺まで広宣流布した水沢市の正法寺(千葉氏とゆかりの深い熊谷氏出自の月泉和尚が二世)と黒石千葉氏が開基の妙見山黒石寺などです。参加定員40名ですがかなり届かず苦戦しています。(財)新渡戸基金、花巻新渡戸記念館、東和町・東和町教育委員会、岩手千葉会も応援してくれています。8月29日〜31日まで東北の名湯に入っての旅行です。皆さん一緒に行って見ませんか。
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