旅行記 小城旅行記2

小城市

佐賀散策


トップページ諸国探訪記 >佐賀へ行く


佐賀県の千葉氏調査

●佐賀城下を歩く

 吉野ヶ里遺跡のゲートを出たとき、すでに午後3時55分。5月なのでまだまだ日は高いですが、もってあと2時間ちょっと。佐賀市内の散策にはあまり時間がない、ということで吉野ヶ里駅まで早歩きし、午後4時12分の電車に飛び乗って、10分ほどで佐賀駅に到着。

龍造寺八幡宮

 佐賀といえば、中世の領主・龍造寺家、そして佐賀藩三十五万石の藩主・鍋島家。街なかには佐賀藩当時からの堀割が走り、城下町の風情を残しています。

 まず向かったのが、「龍造寺八幡宮」。鎌倉時代に龍造寺村の地頭として赴任してきた龍造寺家祖「南次郎季家」が建立したと伝えられている八幡さまで、龍造寺家はもちろん、江戸時代の佐賀藩公も手厚く祀った神社です。屋根には龍造寺家の家紋・十二日足紋と鍋島家の家紋・杏葉紋が刻まれています。神社の入口には「慶長九年甲辰二月彼岸日」に、佐賀藩祖・鍋島直茂の奥さん・藤女(彦鶴:石井氏養泰院)が奉納した、どっしりとした鳥居が残されています。骨太でものすごい重厚感、オトコらしい鳥居です。それほど大きな神社ではありませんが、歴史を感じる石橋もあり、一見の価値あり。

松原神社

 続いて、龍造寺八幡宮の南にある松原神社へ。

 松原神社は安永元(1722)年に八代藩主・鍋島治茂が建立しました。俗に直茂の法名(日峯)をとり「日峯さん」と呼ばれています。藩祖・鍋島直茂のほか、鍋島清久(直茂祖父)、彦鶴姫(直茂室)、初代藩主・鍋島勝茂(直茂子)、龍造寺隆信、龍造寺政家、龍造寺高房、幕末の名君・鍋島直正、鍋島直大が祭神として祀られています。

松原神社 大隈重信

 境内には明治・大正期に寄進された多くの石灯籠が残っていて、その寄進者の中に大勢の旧藩士に混ざって「大隈重信」の名も見ることができます。また、明治6(1873)年8月に寄進された石灯籠には「神代直寶、鍋島茂彬、鍋島茂朝、鍋島茂文、鍋島文武、鍋島吉達、田中政維、高木武雅、千葉胤廣、鍋島政定」の名が見えます。

松原神社

・神代直寶:鍋島賢在(最後の藩主・鍋島直正兄)の子。
・鍋島茂彬:鍋島直永(最後の藩主・鍋島直正兄)の子。
・鍋島茂朝:鍋島茂真(最後の藩主・鍋島直正兄)の子。
・鍋島茂文:?
・鍋島文武:鍋島斉直末子。最後の藩主・鍋島直正の弟。
・鍋島茂智:?
・鍋島吉達:?
・田中政維:十人扶持田中家か。
・千葉胤廣:千葉太郎助家か。
・高木武雅:?
・鍋島政定:窪田鍋島家か。 

 旧藩公一門の錚々たる人々と並んで名を見せている「千葉胤廣」とは? 「胤」の文字から推測すると、大番頭の家柄だった千葉太郎助家の子孫? 次回の佐賀探訪の際の課題にしましょう。

 本殿の前に並ぶ石灯籠には、佐賀藩の支藩主の名前があります。佐賀藩の支藩は「御三家」と称された家格で、幕府から認められた独立した「大名」なのですが、藩内においては「三家格式」という契約により、佐賀本藩に支配権を握られているという特殊な家格でした。

・鍋島直柔:旧蓮池藩主。最後の佐賀藩主・鍋島直正の子。
・鍋島直虎:旧小城藩主。最後の佐賀藩主・鍋島直正の子。
・鍋島直彬:旧鹿島藩主。鍋島直永(鍋島斉直の子。最後の藩主・鍋島直正の弟)の子。 

 そして、表の鳥居を出て堀沿いに歩いて行くと、「佐嘉神社」の大きな鳥居が見えます。松原神社とは境内続きの神社で、鳥居をくぐって左手には大砲のレプリカが置いてある。佐賀藩ご自慢の「カノン砲」「アームストロング砲」の二門。これらは昭和、平成の複製品ですが、螺旋条まで細かく再現されています。

佐嘉神社 カノン砲

●佐賀城本丸御殿の見学

 佐嘉神社の眼前には、佐賀城のお堀が広がっています。さすが三十五万石の大藩のお城だけあって、お堀の幅もかなり広いです。見た感じ、高い石垣などもなく、皇居などとはまた違った素朴な感じがします。五月ということで、堀沿いのツツジもきれいに咲いていました。そして、午後8時までやっている佐賀城本丸御殿の見学に出かけました。

佐賀城堀 

 本丸御殿は入館料がとくになく、さらにカメラで写真を撮ってもいい、とのこと。なんて太っ腹な資料館なんでしょう。午後6時という時間のせいか、人もまばらで、長い廊下もリアルに昔をイメージできます。殿さまの部屋で胡坐かいてみたり、家臣の待合室のようなところでくつろいでみたり。 

 

大手門

 御殿を満喫して、鯱の門をくぐってお城をあとにした時間は午後7時。あまり時間はありませんが、佐賀県立図書館は午後8時までやっているので、少しでもいいから行ってみたいと思い、急行。すでに古文書の書庫は閉室でしたが、郷土史コーナーは開いていたので、むさぼるように資料を漁ると、続々と見たことのない資料が出てきました。こういうモノはやはり現地がイチバンです。しかし、やはり時間が足らず、図書館の資料検索は次回の来賀に持ち越しとなりました。

 図書館が閉館したあと、晩飯に向いましたが、佐賀城から駅までのメインストリートというべき中心地は、ほとんどシャッターが閉まり、なんと食事ができるお店がほぼゼロ! 哀しいほどの状況です。行政の対応はどうなっているのかと思ってしまいました。 

←前ページへ諸国探訪記トップ次ページへ→


ページの最初へトップページへ千葉宗家の目次千葉氏の一族リンク集掲示板諸国探訪記

copyright(c)1997-2008 chiba-ichizoku all rights reserved.
当サイトの内容(文章・写真・画像等)の一部または全部を、無断で使用・転載することを固く禁止いたします。