千葉市の中心地である中央地区は、律令期には陸上交通の主要官道であった東海道(現在の本町通り)と香取道(現在の国道51号線)の分岐点として栄え、同時に同地区の西側の内海部分は海上交通の拠点としての役割も果たしていた。
この地が都市化されるきっかけとなったのは、両総平氏の雄族の一人であった千葉介常重が、大治元年(1126)、土気の大椎(緑区大椎町)から千葉に本拠を移したことによるものであった。
やがて、常重の子・常胤が源頼朝の挙兵に参陣し、鎌倉幕府の創設に大きく貢献し、幕府有数の豪族に成長すると、このまちは千葉氏の本拠地として栄える事になった。
さて、強大な勢力を振るった千葉氏も、室町期になると次第に衰え、天正18年(1590)、豊臣秀吉による小田原合戦のとき、北条氏に味方したため滅亡する。しかし、その本拠地であった千葉町は近世には佐倉藩の海の玄関口として、また、妙見寺の門前町として発展した。また、明治を迎えると千葉町は県庁所在地として繁栄を続けた。
この間、千葉には『源平闘諍録』などの文学作品や『妙見縁起絵巻』といった美術作品などが製作された。また、将門伝承、頼朝伝承、羽衣伝承、千葉わらい、君待橋伝承などの民間の伝承、風俗習慣など千葉特有の文化が醸成され、語り伝えられてきた。
千葉市には、こうした歴史や文化があり、新たな地域文化の創造と観光資源の開発のためには、こうした地域文化の再確認も必要であろう。
千葉氏フォーラム実行委員会
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